JICA関西センター物語(4) -さらなるパートナーシップ発展のために- 「センター運営は共通の思いを胸に」

2022年12月19日

前々号(JICA関西センター物語(2))では、JICA関西センターの前身である兵庫インターナショナルセンターの設立には兵庫県と神戸市による「大いなる貢献」があったことをお伝えしました。またその貢献については財政的なものだけではなく、運営管理面にも及んでいることにも触れました。今回はそのセンターの運営管理について、もう少し説明します。

1973年8月の兵庫インターナショナルセンター開設の前月、JICAは兵庫県との間で「兵庫インターナショナルセンター運営委託契約書」を交わし、その中でセンターの運営を兵庫県に委託することを定めました。県との運営委託契約は当時、他のJICAの研修センターにはない画期的な体制でした。その後、同様の体制で運営管理を担う自治体も現れましたが、その先駆けとなったのが兵庫県での取り組みだったのです。また、二つの異なる組織によりセンターは運営されていたので、その人員構成もユニークでした。

研修はJICA、運営管理は兵庫県

1976年当時の組織図が残っています(下図「兵庫インターナショナルセンター 業務機構」参照)。センターの「総括・研修」は国際協力事業団(現在の独立行政法人 国際協力機構)が、また「運営管理」は財団法人 兵庫県海外協会(現在の公益財団法人 兵庫県国際交流協会)が担っていました。
JICAからは、研修課長を兼務した「所長代理(注1)」が勤務していました。その他、会計・庶務事務、研修関係業務、研修監理業務5名の計8名が配置されていました。一方、兵庫県海外協会からは「館長」という役職の方が配属されていました。館長は兵庫県の職員で、他に4名の県職員が派遣されていました。さらに県海外協会所属の職員2名、県職員のOBの方が1名嘱託職員として勤務していたと記録があります。館長他、総務室長、経理事務、自動車運転業務、フロント業務といった職務を計7名で担っておられました。

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センター経費の分担についても前述の運営委託契約の中で明確に規定されていました。JICAは施設の所有者として、(1)建物や自動車等に係る税金や保険料、(2)建物や施設の修理費、(3)備品の購入費用などを負担することとなっていました。一方兵庫県側は「その他の経費を負担するものとする」と同契約書に記載されています。

(注1)JICA側トップの呼称はたびたび変更された。開所当時(1973年)は「主席駐在員」、翌1974年に「研修室長」、1984年には「所長代理」、1990年からは「所長(研修課長兼務)」が正式な名称となった。

兵庫県は独立採算制

JICA側が負担する経費はJICAの事業費・管理費で賄われていましたが、兵庫県側は独立採算制で人件費も含めてこのセンターを通じて得る必要がありました。主な収入は海外からの研修員の宿泊料となりますが、これだけでは収支は成り立ちません。したがって利用者の範囲も国際交流事業の関係者に拡大するという方策を講じて収入増を図りました。開所からの数年間、運営が軌道に乗るまでは赤字覚悟だったとのことですが、管理者の弛まざる経営努力によって健全運営が続けられたとのことです。

兵庫県が運営管理を担った理由

なぜ地方自治体がJICAの研修センターの運営に携わるというユニークな体制が生まれたのでしょうか?
1992年6月に発行された「兵庫インターナショナルセンターの生い立ちと現状」の中に「運営管理が兵庫県に委託された前後の事情」という項目があります。そこには次のような記載があります。
「(中略)当面の施設の利用度を早急に高めねばならないと言う命題に応える必要から、宿泊対象が限定される(国際協力)事業団運営の他センターのような直営方式を採らず、事業目的との関連でより広範に利用効率を上げ得ると見込まれ、かかる事業に関するノウハウの蓄積も高い県の運営に委ねる事が適当と考えられた。」
つまり、センター設立当初から兵庫県側がこのセンターからの収入で運営していくためには施設を大いに活用していく必要があったのです。そしてJICAとしても兵庫県であればそれが可能であると考えていたことが伺えます。
さらに次のような文章が続きます。
「県が運営管理の主体となったため、センターの運営費は原則として県の負担であり、運営赤字が生じた場合でも事業団はこれを負担しないことが確認された」
少しドライな印象を受ける文章ですが、そのあとにはこのような文章が続きます。
「(が)、同時に施設の所有者又は業務の委託者としての事業団の責任を放棄するものではないことも併せて確認されている。」
ビジネスとしてはドライに整理せざるを得ないものの、運命共同体としてお互いの組織が円滑なコミュニケーションを取りながら、一つのセンターとして業務を進めていたことが分かります。

共通の思いを描いて

神戸市須磨区一ノ谷にセンターがあった時代、このセンター最後の所長を務めた河合恒二氏のお話です。
「当時、(JICA側の)『所長』と(兵庫県側の)『館長』二人がセンターのトップとして勤務していましたが、お互い役割が違うこともあり、混乱や衝突するようなことは全くありませんでした。むしろ兵庫県から派遣されていた方たちはみな親切でいろいろ教えていただくことも多く、とても仕事がやりやすかったものです。」
兵庫インターナショナルセンターでの勤務経験があり、現在もJICA関西センターで働く職員の話です。
「当時は一つの職場に働く仲間という感じで、出身母体に関係なく仲良く仕事をしていました。兵庫県の方はもちろん、センターの食堂運営や施設保守を担ってくださっている方たちとも交流が深く、みんなでバスをチャーターして有馬温泉や城崎(きのさき)温泉など、県内の有名観光地を巡る職場旅行などもしたものです。」

兵庫県で長年国際業務に携わっていらした西田 裕さんが当時のエピソードを披露してくださいました。
「兵庫インターナショナルセンターではそこで働く人たちだけではなく、JICAの研修員と兵庫県の研修員が同時に滞在し、交流を深めていました。センターの隣には兵庫県の『須磨浦公館』があり、残念ながら1995年の震災で倒壊してしまいましたが、そこでは餅つき大会やお茶席などを開いたものです。」

全国に先駆けて地方自治体による技術研修員受入事業を実施してきた兵庫県。「自国の国造りに貢献する有益な人材を育成し、その国の発展に寄与したい」という共通の思いを描いた二つの組織はさまざまな困難を乗り越えながらその役割を果たしていったといえます。

(注)JICA関西センターでは当センターにまつわるエピソードなどを随時募集しております。過去の思い出や写真など、ぜひ当方までお寄せください。

窓口:jicaksic-koho@jica.go.jp

JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦