JICA関西センター物語(6) -さらなるパートナーシップ発展のために- 「兵庫インターナショナルセンター開設にまつわるエピソード」

2023年2月10日

1973年8月、神戸市須磨区一ノ谷にJICA関西センターの前身である兵庫インターナショナルセンターが開設されました。それから約30年、神戸市中央区のHAT神戸に移転するまでの間、数多くの研修員を受け入れ、そして送り出してきました。(注1)

今年(2023年)は開所からちょうど50年を迎えます。今回は半世紀前の開所式の様子とそれにまつわるエピソードを紹介いたします。

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開所式に関する当時の資料。当日の招待客や会場レイアウト、式典進行手順などが詳細に記載されています。

(注1)この間に受け入れた研修員数はJICA研修員2,416名、兵庫県技術研修員359名の計2,775名。それ以外に他府県の技術研修員の日本語教育などを引き受けていた。(出典:「ひょうご県政の知恵」(財)兵庫地域政策研究機構 2008年発行))

稀代の参列者

兵庫インターナショナルセンターの開所式は1973年8月22日、同センターの講堂で執り行われました。式典には当時の大平正芳外務大臣(のちに内閣総理大臣(1978年12月~1980年6月))、坂井時忠兵庫県知事(当時)らもご出席され、祝辞を述べられました。また司会は当時の兵庫県外務課長の永 晴夫氏が務められたとの記録があります。このセンターの設立に兵庫県が大きく関わっていたことが伺えます。今でも外務大臣が一地方の施設の開所式に出席することは異例だと思いますが、当時も同じ。このセンターへの特別な期待が感じられます。

当時の新聞報道によれば、大平外相は祝辞の中で次のように述べられたそうです。

「海外との対話を推進していくうえでこうした施設が国際都市神戸に誕生した意義は大きい。研修生は民族、風習も違い、むつかしい点もあるが、海を越えての人造りという立場から人間性豊かな運営を期待する」。

一方で、地元の周辺の住民の方々からは、センター建設中から苦情や要望が相次いだとのことです。以下、「ひょうご県政の知恵 第10編 国際交流((財)兵庫地域政策研究機構 2008年発行)」(以下、「ひょうご県政の知恵」という。)からの引用です。

「(兵庫)県としては、廃墟のままの建物(注2)の存続よりも公的な施設として生まれ変わることの方が、環境・治安上も歓迎されるものと考えていました。ところが、地域住民にとっては諸手を挙げて歓迎ということでなく、多数の外国人との接触による別の意味での治安上の問題や不安を感じているというのです」。

それに加え、浄化槽や換気塔の設置位置などに対しても住民の理解を得ることに時間を要し、当初の予定より1ヶ月開所式を遅らせることとなりました。

「国は、当初の予定通り開所するとの強硬論もありましたが、円滑な運営管理を預かる側としては、周辺住民との共存を第一に考えることが当然でしょう。(中略)外務省からは、『多忙な外務大臣の予定を変更させたのは、兵庫県が初めてだ』と随分と叱られました」。

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1973年8月22日 兵庫インターナショナルセンター開所を祝いテープカットする大平正芳外務大臣(中央)と坂井時忠兵庫県知事(左)、中山素平海外技術協力事業団(国際協力機構の前身)会長(右)。「兵庫インターナショナルセンター20年の歩み(平成5年11月)」より引用。

(注2)兵庫インターナショナルセンターは、元は観光ホテルとして建設され、工事が中断して手つかずの状況だったものを改築、完成させたもの。「JICA関西センター物語(3)」参照。

大平正芳氏の揮毫(きごう)

センターの館長室には大平外務大臣による書が飾られていました。この式典の空き時間に揮毫をお願いしたところ、快く応じてくださったとのこと。以下、「ひょうご県政の知恵」からの引用です。

「大臣は、館長室で、口を横一文字に結んだ独特のポーズで、しばし窓から眼下に広がる須磨の海を眺めながら、色紙2枚にすらすらと筆を走らせました。きっと平安の昔、源兼昌が詠んだ「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」の歌を思い浮かべながら揮毫されたことでしょう。将来の有力な首相候補の貴重な揮毫として、館長室に大事に飾ったことはいうまでもありません」。

地域の周辺住民の方々と共存して

開所式を延期する原因にもなった地域の周辺住民の方々との軋轢ですが、このことは逆にセンター運営には地域住民の理解と協力が必要だということをセンター関係者が改めて認識するきっかけともなりました。「ひょうご県政の知恵」の中には「地域住民との共存事例」として3つの事例が挙げられています。以下、引用です。

  1. 年末の火災予防週間に合わせて、技術研修員の避難訓練と防火訓練を実施しました。須磨消防署の積極的な協力もあり、消防車の出動にとどまらず当時としては珍しかったヘリコプターまで出動しての避難・防火訓練となりました。外国人が多数利用する施設の大々的な消防訓練は、市民の防災意識の高揚に役立ったことでしょう。とりわけ須磨浦公園一帯の住宅は急な坂道と道幅の狭さから、火災に対する不安があったようですが、HIC(注3)の自衛消防隊の活動と受水槽からの放水を目の当たりにして、安堵感が広がりました。(後略)
  2. 研修員のなかには、妻子を遠く祖国に残し、慣れない日本での生活にホームシックに罹る者もいました。地域住民との交流を通じてなんとか彼らの気分転換ができないものかと考えていた矢先、須磨区民運動会のことを知り、区役所に相談したところ参加を歓迎してくれました。当日は開会式にも参列し、紹介もされました。プログラムに従って、思い思いの競技に参加し、子供達や大人達と一緒になって、異国での二人三脚に、リレーに、綱引きに、三輪車競技に汗を流しました。ホームシックに罹っていた技術研修員も元気を取り戻して子供達と三輪車競技に興じていたのが印象的でした。(中略)須磨の地で国際交流の芽が育まれていくことを実感しました。
  3. オープンから間もない日の午後、激しい集中豪雨に見舞われたことがありました。住民から側溝が詰まって床下浸水しているので見に来てほしいとの電話があり、在館していた男子職員数人で、豪雨の中、長靴とスコップをもって現場に駆けつけると、側溝にゴミが詰まって溢れ出したもので、とりあえず側溝のゴミを取り除いたら水は引きました。(中略)HICに戻って建設図面を調べたら、敷地内の雨水は全て住宅とは反対側の三の谷に流れることが分かり、後日、原因は稀な集中豪雨のためだったことを住民に説明して理解を得ました。雨の中ズブ濡れになってゴミを取り除いた職員の行為が、地域住民の感情を変えた出来事の一つだったともいえます。

(注3)HIC(Hyogo International Center)兵庫インターナショナルセンター

センターが住宅地から近かったことから、地域住民との軋轢は避けられませんでした。しかし当時のセンター関係者の地道な努力と住民の理解の深化がありまって、共存する関係へと発展していったのです。

(注)JICA関西センターでは当センターにまつわるエピソードなどを随時募集しております。過去の思い出や写真などお持ちの方は、ぜひ当方までお寄せください。

窓口:jicaksic-koho@jica.go.jp

JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦