JICA関西センター物語(8) -さらなるパートナーシップ発展のために- 「HAT神戸が選ばれた理由」

2023年6月2日

神戸市須磨区一ノ谷にあった兵庫インターナショナルセンター(現在のJICA関西センターの前身)の移転先については、HAT神戸(注1)以外にも候補地があったことを前号(JICA関西センター物語(7))でお伝えしました。
JICAもHAT神戸への移転をすぐに決めたわけではありません。今回はJICAの中でどのような検討が行われたのかについてお伝えします。

(注1)JICA関西センターがある地区の名称。神戸市の東部新都心として開発された。「Happy Active Town」の略。また用地全体が国道2号線を挟んだ北側が約30ha、南側が約90haで帽子(HAT)の形状であることも由来の一つと言われている。

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兵庫インターナショナルセンター付近の須磨浦公園でくつろぐ研修員たち。
出典:「兵庫インターナショナルセンター閉館に添えて」(兵庫県国際交流協会2002年3月発行)

震災の影響

兵庫インターナショナルセンターは、震災以前から宿泊室の面積が狭い、また他地域のJICAセンターにはあった研修員(注2)のための福利厚生施設(運動場等)がないなどの問題点が指摘されていました。しかし移転の大きな契機となったのは1995年1月17日に発災した阪神・淡路大震災でした。
震災の翌年の1996年に実施されたJICAの内部調査報告によれば、「構造耐震診断」結果として、「昭和39年(新耐震設計法(注3)以前)の設計であり、耐震安全性は著しく低いと判断される」と記載されています。また、「構造剛性バランスが不均一」、つまり建物としてのバランスが悪く地震に弱い構造になっているほか、「電気設備、給排水設備、空調設備、昇降機設備、これらは使用開始後23年経過しているため、全設備の取り替えが必要である」との記載のとおり、施設も古くなっていました。そして、以下のように結論付けています。
「上記事項を総合的に考慮すれば、安全性、経済性をとっても建て替えが望ましい建物であると判断される」。

(注2)開発途上国からJICAの研修事業に参加する方を指す。研修期間は数週間から日本の大学院での学位取得を目指す最長3年まで多様。参加者の大宗は先方政府の行政官で、研修事業を通じて知見・技術を共有し、自国の発展のために生かす上で核となる人材である。中には、研修参加後、数年で自国政府の局長、次官、中には閣僚にまでなった実績もある。他にも開発途上国のビジネスや学術界の中堅リーダーなどが参加している。
(注3)新耐震設計法は1981年(昭和56年)6月から施行。

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シングルルーム。バス・トイレ付きで広さは15平方メートル。同じ頃(1996年)に新設された中国国際センター(広島)では20.5平方メートル、1994年に新設された大阪国際センター(2012年に兵庫と統合し廃止)18平方メートルだったとの記録があります。

建て替え以外の選択肢

JICAの内部調査では「建て替え」を結論としていたわけですが、場所までは検討されていませんでした。しかし同じ年の1996年、場所も含めた検討が行われています。それを取りまとめたのが「国際協力事業団 兵庫インターナショナルセンターのあり方調査報告書(平成8年11月)」です。
その中で、センターの「改修」も含めて以下の4つの選択肢が挙げられています。

  1. 既存地(神戸市須磨区一ノ谷)/改修
  2. 既存地(神戸市須磨区一ノ谷)/建て替え
  3. 兵庫県「兵庫県国際センター構想(仮称)」エリア/建て替え
  4. 第三の候補地/建て替え

しかし、1.については改修では長期間の使用に耐えられないこと、2.については既存地で建て替える場合は建物の高さ制限があって宿泊室の数を増やす(注4)ことが困難であったことから、ともに選択肢から外されています。また4.に関しては、HAT神戸以外に、「三田市(注5)」、「明石市」、「ポートアイランド」、「六甲アイランド」を検討しています。いずれもアクセスの不便さや、産業・経済ゾーンであるため研修施設の設置場所には適さない地区であるとして候補地から外されました。
3.の「兵庫県「兵庫県国際センター構想(仮称)」エリア」は神戸市の東部新都心地区、のちのHAT神戸です。最終的にはこの選択肢のとおりに移転したことになりますが、当時、JICAではこの土地についても問題があると判断していました。それは土地面積です。以下、報告書からの抜粋です。
「土地が狭隘(兵庫県提示:3,750平方メートル)である。現状の用地では、施設は高層化しなければならず、(中略)講堂・アリーナ等の厚生施設の設置は現状の3,750平方メートルでは難しい。従って、必要用地面積5,800平方メートルを目途に用地の拡大交渉が必要。」

しかしこの土地面積以外の要素、すなわち交通の便、基本インフラ(配電、通信、上下水道等)、自然環境や文化的環境については高く評価しています。また土地柄も魅力的としています。報告書には、「神戸港をもち、全国でもとりわけ国際性の進んだ土地。(中略)研修員受入れに係る関心度、理解度、外国人に対する包容力、寛容性は十分期待できる」と記載されています。また、「兵庫県及び地元からJICAに対し貢献できる内容として(中略)提示されている」と記されており、たとえば研修員のための福利厚生施設として兵庫県や神戸市が運営する既存のスポーツセンターのプールやテニスコート、体育館、動物園の利用などが挙げられています。
加えて新しく整備する施設として、すでに現在は完成している兵庫県立美術館、なぎさ公園、各種商業施設が記されているほか、当時は神戸市営地下鉄海岸線(新長田駅から三宮・花時計前駅まで)が三宮からさらに東に延長されてHAT神戸にも地下鉄の駅を整備する計画もありました。報告書にも、「(完成すれば)研修員、一般来訪者の利便性が新たに向上する」と記載されています。
ではこの土地問題はどのようにして解決されたのか。ここでもJICAは兵庫県側に助けられました。
次回はその内容と、そこに至るまでの兵庫県側の調整内容について、関係者の方のお話を通じて報告させていただきます。

(注4)「研修施設のあり方に関する調査検討委員会」が取りまとめた「研修施設のあり方に関する調査調査報告書(平成4年2月)」の中に研修センターの基本モデル(案)が記載されている。その中では運営効率・収支の観点から宿泊人数は「100名程度以上」としている。
(注5)当時の知事も三田市を推していたがJICAの候補からは外れることとなった。報告書によれば、その理由の一つが、「大阪国際センターに近い」ということ。なお、その大阪国際センターの施設は2012年4月に当時の民主党政権が行ったいわゆる事業仕分けにより閉鎖することとなる。

当時の関係者の方からの情報提供

前号で兵庫インターナショナルセンターにあったレストランを写真とともに紹介しましたが、当時、このセンターに勤務していた方から情報提供いただきました。

「兵庫インターナショナルセンターを引き払う準備が最終段階に入った頃、すでに営業を止めていたレストランで兵庫県(注6)のみなさんが建物管理(注7)のスタッフの方々を労うパーティーを企画されました。パーティーの最後に全員で肩を組みあって円陣を作り、「あとひと踏ん張り!」とエールを交換したのを思い出します。思えば建物管理のスタッフさんは仕事が変わったりして境遇が変わってしまう前夜なわけで、何とも言えない切ない表情をされていた方もおられました。
新センターに移っても何人かの方々は遊びに来てくださって、中には「ふれあいボランティア(注8)」に登録してくださいました。これも兵庫県の方たちのスタッフ一人ひとりへのお心遣いの賜物と感じました。」

(注6)兵庫インターナショナルセンターの「運営管理」は兵庫県側が担っていた。(JICA関西センター物語(4)参照)
(注7)1)センターの施設や機械の保守管理やフロント業務、清掃・ベッドメイキング、2)食堂経営は兵庫県国際交流協会から民間企業に再委託していた。1)は日本管財株式会社(本店:兵庫県西宮市)、2)はシンエーフーヅ株式会社(本部:神戸市)がそれぞれ18名と11名が担っていた。(出典:「兵庫インターナショナルセンター事業概要(平成13年3月)」)
(注8)途上国からの研修員が日本に親しんでいただくため、彼らに茶道や華道などの日本文化を紹介したり、一緒にスポーツをしてくださる主に関西在住の方たち。

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「レストラン」では研修修了式も行われていました。修了式では自慢の民族衣装を披露してくださる研修員も多く、日本側関係者も楽しみにしていました。(写真:右はマレーシアからの研修員。左は写真をご提供いただいた藤川多津子さん。藤川さんは当時兵庫県の研修員受入事業に日本語教師として関わっていらっしゃいました。1989年頃撮影)

JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦