ウガンダ野球少年・少女の夢を背負って〜ワフラ・ポール選手〜

兵庫ブルーサンダーズとウガンダ野球連盟の提携

提携会見にて。真ん中がポール選手。

7月22日、JICA関西で野球の関西独立リーグに所属する兵庫ブルーサンダーズとウガンダ野球連盟の提携会見が開かれました。会見に臨んだのは兵庫ブルーサンダーズの高下(こうげ)球団代表、山崎監督、ウガンダ野球連盟より田中氏、NPO法人アフリカ野球友の会の友成(ともなり)理事長、そして兵庫ブルーサンダーズに所属するワフラ・ポール選手の5人。
兵庫ブルーサンダーズとウガンダ野球連盟は、(1)兵庫県とウガンダとの地域間交流・文化交流を通じての地域活性化、(2)ウガンダをはじめアフリカでの野球の普及、(3)野球やスポーツを通じての強い体と豊かな心の育成、を目的として提携を結びました。
この兵庫ブルーサンダーズとウガンダ野球連盟との提携、ここに至るまでには長い道のりがありました。

ウガンダ人初のプロ野球選手が誕生するまで

兵庫ブルーサンダーズで練習に励むポール選手。

2004年夏、NPO法人アフリカ野球友の会が、ウガンダから野球少年・少女総勢12名を日本に招待(通称:ウガプロ)。2週間の日本滞在中、少年野球チームとの交流や、プロ野球の見学、甲子園での観戦など多くのプログラムを実施し、野球を通じた交流を各地で繰り広げました。その時ウガンダから招待された野球少年の一人が、ワフラ・ポール選手(当時12歳)でした。
ポール選手は当時を回想し「一番印象に残ったのは、元西武ライオンズの石毛宏典選手による指導でした。指導を受ける中で、技術的にも人格的にも彼のようなプロ野球選手になりたいという夢を持ちました。そして、ウガンダのためにいい技術を学びたいとも。」と話します。そんな夢を日本で見つけたポール選手はウガンダに帰国後も野球を続けていました。
2011年、ウガンダ野球・ソフトボール協会の要請を受けて、田中氏がJICA青年海外協力隊(野球)としてウガンダに派遣されます。そんな彼の目に留まったのがポール選手でした。それから田中氏によるポール選手への特訓が始まり、2012年兵庫ブルーサンダーズのトライアウトに挑戦することになりました。「身体能力や野球のセンスであれば、彼よりも上の選手は何人もいました。彼はそれに加え、人格面での素晴らしさを持ち合わせていました。ウガンダ初の選手になるので技術面だけでなく人格面でもしっかりした選手を選び、他のウガンダ選手の模範になってもらいたいと思いました。」と田中氏はポール選手を兵庫ブルーサンダーズのテストに推薦した理由を語ります。
そして、トライアウトに見事合格。ここにウガンダ人初のプロ野球選手が誕生したのでした。

更なる活躍、大きな夢を目指して

「ウガンダに野球を広めたい」と同じ夢を持つ田中氏とポール選手。

資金面ではNPO法人アフリカ野球友の会の支援を受け、2012年秋より1年間の契約で来日したポール選手。「来日した当初は球のスピードが速く怖かったが、今は慣れてきて、守備・打撃面でも成長したと思う。より練習を積んで良い選手になりたい。」と話し、将来は(独立リーグではない)プロ野球の選手への夢をかなえたいとしています。

ポール選手を指導してきた田中氏は、「2011年に青年海外協力隊としてウガンダに赴任した際、野球をやっている子供たちに夢を聞くと『コーチになること』だったことにショックを受けました。ここではプロ野球選手になるという夢も持てない環境なのかと。そこで野球で食べていける道を示したいと考えるようになりました。野球を通じて礼儀や躾が身につくなど教育的な効果も大きい。ウガンダの野球普及のためにも、ポール選手にはウガンダの希望となるような選手になってほしい。」と語ります。

そして冒頭の兵庫ブルーサンダーズとウガンダ野球連盟の提携。NPOアフリカ野球友の会のウガプロ、田中氏の協力隊赴任と熱心な指導、そして何よりポール選手の挑戦と努力、この延長線上に今回の提携があり、ウガンダの野球普及にまた一歩弾みが付きました。

ポール選手の挑戦はまだ始まったばかりです。自身の夢、そしてウガンダ野球少年・少女の夢を背負ったポール選手の今後の活躍に注目です!

JICA関西 市民参加協力課 山本 将史