【世界とつながる関西:串本町×トルコ】 ~エルトゥールル号遭難事故から130年 連続インタビューPart1 串本町長にお話を伺いました!

串本町長
田嶋 勝正(たしま かつまさ)
メルシン市を訪問した時の田嶋町長(左)(2014年)

串本町とトルコの関係はとても友好的であることをご存知でしょうか。そのきっかけは1890年に起きたエルトゥールル号遭難事故でした。オスマン帝国(一部は現在のトルコ)の軍艦が和歌山県串本町沖で遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件ですが、現在の串本町・日本とトルコの友好関係につながる出来事でもありました。JICAもトルコ事務所長が昨年2019年に串本町へ訪問し講演を行うなど両国の関係強化のお手伝いをさせていただいています。今回は、遭難事件から130年が経過する今、改めて串本町の方々に「連続インタビュー」題してお話を伺っていきます。その第一回目は、田嶋勝正串本町長にその思いを伺いました。

★☆★早速、インタビューへ★☆★

JICA楠原:本日はありがとうございます。それでは最初に、トルコの国や人についての印象をお聞かせいただけますでしょうか。

田嶋町長:こちらこそよろしくお願いします。トルコ人の印象は、フレンドリーな国民性の印象が強いです。私は5回ぐらいトルコに行っておりますが、初対面の方と話しても「昔からの友達だっけ?」という感じがします。
またトルコでは建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクの銅像や写真がどこに行っても掲げられているのが印象的です。特に市町村の長に挨拶へ行くと、写真が必ず掲げられています。またトルコ国旗もいたるところで見る事が出来ます。土地柄もあるのでしょうが、愛国心や自国への思いが強い国柄と思います。

楠原:自国への思いを持っているトルコ人の方が多い。私たちはトルコ人から学ぶところがあるのかなと思いました。ではこれからエルトゥールル号遭難事故についてお話を伺いたいと思います。

130年が経つエルトゥールル号遭難事故

120周年式典の様子(2010年)

JICA楠原:1890年のエルトゥールル号遭難事故は不幸な事故ではあったものの、串本と日本、そしてトルコとの関係が発展する事に繋がったと思います。この出来事は、串本町の方にとってはどのように捉えられているのでしょうか。

田嶋町長:遭難事故では、587人の殉難将士が亡くなり、69人のトルコ人を樫野(串本町の大島東部・現在は慰霊碑が建つ)や大島島民が中心となって助けました。そもそもあの当時、食べ物が十分にない時代で、樫野は秘境の地だったと思います。そのような中、皆が力を合わせて助けた。その利他の精神は素晴らしく、そして誇りに思います。
また救助された人だけでなく、海に流されて亡くなった人もいます。当時の人たちは、亡くなったトルコ人の遺体も引き上げ埋葬しています。遭難事故では大きな爆発が起きており、当時の文献を読むと「丸焦げ」という言葉が沢山出てきます。大やけどをして最終的には溺死したのだと思います。その遺体を地域の方々は、鼻にヨモギを付けて異臭を抑えて引き揚げ、丁重に埋葬しました。救助に比べ、この遺体の埋葬はあまり注目されませんが、その歴史を含め、当時の人たちは凄かったと僕は思います。先人の利他の精神や気骨な精神を、後世まで繋げていきたいと町民も思っているのではないでしょうか。

120周年式典での田嶋町長による挨拶(2010年)

楠原:遺体の引き上げについて不勉強なところもあり、驚きました。そのような遭難事故での出来事について、串本町の学校や地域において語られる場はありますか。

町長:私は成人式の式典では必ずこの話をします。「これから社会に出ていく中で辛いことも苦しいこともあるだろうけれど、我々の生まれたこの地に、かっこいい先人が沢山いた事を心に秘めて頑張ってほしい」というメッセージを込めて話します。悪い話とは違い、良い話というのは努力して伝えていかなければ、どこかで消えてしまうと僕は思っています。現在は月命日の16日には、僕か役場職員が慰霊碑を参拝し献花しています。こういうことを続けることが、この史実を後世に繋げていく一つの道筋になると思います。
また子ども達も慰霊碑などを定期的に掃除しています。その際に、どうしてこういう活動しているのか、学校の先生方が子どもたちにお話してくれていると聞いています。

楠原:町長も慰霊碑にお参りをされているのは初めて知りました。どのくらい続けていらっしゃいますか?

町長:10年ぐらいです。120周年の式典がひとつのきっかけです。トルコの方が串本に来られた際は、皆さん樫野でお参りをされて涙を流されます。こちらは「120年前の話なのに」と思っても、参拝するトルコ人は、異国の地である日本から無念にも帰国できずに亡くなった人を思い、涙を流される。そういう姿を見て「月に一回だけでも献花ができれば」と、お参りを続けています。
また子ども達が、町長や役場の人が毎月慰霊碑を参拝していることを知り、「どうしてだろう?」と思うことがきっかけで、「そういう歴史があったのか!」と史実に触れてくれたらという思いもあります。

串本町とトルコの交流

トルコ・メルシン市内の串本通りにて(2014年)

楠原:さて姉妹都市青少年交流事業として昨年2019年には、8年ぶりとなる中学生のトルコ派遣が実施されました。これからの子どもたちに期待することがあれば教えてください。

町長:歴史を将来につなぐために、子ども達の力が大きいと思います。そして地図上でトルコという国を見るだけではなく、現地で歴史や食文化に触れる事がとても大事です。姉妹都市トルコ・メルシン市へ派遣された子どもたちにはいつも、「必ず自分が経験したこと、感じたことを友達に伝えてほしい」とお願いをしています。
またメルシン市の子どもたちも串本町に派遣され、串本の文化体験等をしています。その子どもたちもメルシンに帰って学校のクラブ活動などで日本の経験を発表してくれていると聞いています。書物だけでなく、実際にその地で体験する事が、こういった素晴らしい史実を将来に残していく一助となると思っています。

楠原:現在は串本町役場にはトルコ人の交流員もいますが、どのような役割を期待していますか?

町長:現在はドゥルナさん、その前はアイシェさんが役場にいました(※1)。書き物の情報と、実際にそこで生まれ育った人から聞く情報にはギャップがあります。そのため、僕らもよく彼女らにトルコのことを尋ねます。また串本町トルコ文化協会と一緒に、トルコ文化に触れる事業を公民館活動などで実施しています。そういう生のトルコ文化に町民が触れられる事は重要だと思います。

楠原:町長がトルコ人や外国人にお勧めしたい串本の食事や名所があればぜひ教えてください。

町長:これからは何といってもロケットの打ち上げ場です。来年(2021年)12月ぐらいに、日本初のビジネスロケットの打ち上げが予定されています。その時期にも、ぜひ多くの方がいらっしゃればいいなと思います。
食べ物では、串本はやはりマグロの養殖が盛んな地ですからマグロでしょう。トルコ人はあまりマグロは食べないようですが(笑)。そしてポンカンやキンカンも作られています。
また、(2020年)9月16日に130年周年式典をリモートで実施します。串本町からは代表者6人位を在日トルコ大使館と結び、リモートで全国発信をします。ぜひご覧頂ければと思います。(※2)

最後に:串本町がトルコと交流を続ける原動力

トルコ・メルシン市内の串本通りにて(2014年)

楠原:町長や町民の方々がトルコとの交流を継続させたいと思う、その魅力、原動力はどのようなものなのでしょうか。

町長:悲しい事件事故から始まりましたが、そこから生まれたトルコと日本、串本の交流の歴史は素晴らしいものだと思います。私たちはこの地で、志半ばで亡くなった殉難将士たちの思いを考えると、本当に悲しいですし、今後もずっと慰霊碑をお守りしていきたいと思います。また当時、食べ物もないような樫野の住人たちが先頭を切って人を助けるという、そういう先人がこの地にいたという事を、私たちは誇りに思っています。今後もこのことを後世の子ども達に伝え、日本人は捨てたものではないという事を、串本町から発信できたらいいと思っております。

楠原:田嶋町長の強いお気持ちを知り感激いたしました。この度は貴重なお話をいただきありがとうございました。

次回は、串本町で働く2名のトルコ人へのインタビューを紹介します。お楽しみに!


※1:ドゥルナさんは現在、串本町役場で交流員として働くトルコ人。アイシェさんは元々地域おこし協力隊として串本町役場で勤務、現在は串本町トルコ文化協会会長。