かけがえのない2年

【写真】清原 李里紗(徳島県)平成27年度1次隊/バングラデシュ、バヌアツ/感染症・エイズ対策
清原 李里紗(徳島県)

青年海外協力隊に参加したきっかけ

ネパールで医療ボランティアに参加

 旅好きの父の影響もあり、私にとって“海外”は比較的身近なものでした。バックパッカースタイルで家族旅行をしたのは今でも良い思い出です。旅のノウハウはもちろん、訪れる国の歴史や文化を学ぶことの大切さ、移動や買い物・食事などを現地の人になりきって滞在することの面白さも父から教わりました。この経験がいつか海外で生活してみたいという思いに繋がっていったのだと思います。中学生の時には、海外で生活してみたい、人の役に立つ仕事をしたいという思いを抱き、海外ボランティアを意識するようになりました。ボランティアの中でも特に重宝されそうだと思ったのが看護師で、看護科がある高校へ進学しました。
 そこからは漠然と、いつか海外に…という気持ちを心の片隅に置いていましたが、より現実的に考えるようになったきっかけが、ネパールでの医療ボランティア活動への参加でした。この活動は2週間ほどチベット仏教寺院に泊まり込み、周辺に暮らす人々へ眼科関連の治療を行うものでした。私はそれまで臨床の経験がなく、何もできないのでは…という不安もありましたが、手術衣の着脱、血圧の測定、薬の投薬などを行い、“こんな私でも何かできることはある”という大きな自信になりました。何より、現地の人々と寝食を共にしたり、宗教について考えたり、日本の常識でかたまっていた私への大きな刺激となり、もっと世界を見てみたいという強い気持ちになったのを覚えています。

 まずは社会経験を積んで自分に自信をつけたいと思い、卒業後は行政の保健部門で仕事をしました。今思えばまだ未熟であったと思いますが、4年の経験を積んだ時点で青年海外協力隊に応募しました。
 青年海外協力隊へは退職して参加する人も多く、私の当時の職場にも休職する制度はなかったのですが、上司が後押ししてくださり、現職参加制度を利用して職場に籍を残したまま参加することができました。チャンスを与えてくれた職場と同僚の皆さんには本当に感謝しています。

最初の派遣国、バングラデシュ

コミュニティクリニックで啓発活動を行う

 配属先はバングラデシュ北部、ロングプール県にある保健衛生事務所でした。『顧みられない熱帯病』の一つであるフィラリア症の撲滅を目指し、駆虫薬の投薬キャンペーンの支援やフィラリア症罹患者のケアなどが主な活動でした。まずは実態を知るために、住民に一番身近な村のコミュニティクリニックを巡回していったのですが、外国人が珍しいため私の周りに人だかりができてしまったことには驚きました。
 学校を見つけては子どもたちに駆虫薬を飲む必要性を伝えたり、ヘルスワーカーから患者の様子を聞くことを通して現地の人々の姿が見えてきたり、ベンガル語での会話が少しずつでき始めていました。ところが派遣されて4か月が経つ頃、情勢不安により一時帰国を余儀なくされました。駆虫薬キャンペーンの予定が近付いていたのと、現地の環境にも慣れ始めていた頃だったので、無念な気持ちでいっぱいでした。

一時帰国中に気づかされたこと

 一時帰国後は、他の隊員と協力してFacebookを通じた啓発を行ったり、今の自分にできることをしたいと思っていました。しかしある時、母と会話してると「現地の人を考えた発言に聞こえない」と言われ、ハッと気づかされました。現地の人の思いを大切に活動したいと思っていたのにも関わらず、できていないこと、足りていないことばかりに気持ちが向き、相手を尊重するという基本的な気持ちを忘れていたのです。このような姿勢であったことは恥ずかしいことではありますが、一時帰国は次の活動に向けて自分を見直す、初心の気持ちを思い出す貴重な機会だったと思っています。

再派遣国、バヌアツ

大型冷蔵庫内でワクチンの在庫管理をする

日本の支援により届いたワクチン

予防接種課のメンバーと

 バングラデシュへの再派遣の見込みが立たなかったため、他国への派遣が検討された結果、再派遣国がバヌアツに決まりました。配属先は保健省の予防接種担当課で、事務所には子どもたちに届けられるワクチンを保管する大型冷蔵庫が備えられていました。
 バヌアツで与えられた任期は1年、活動の展開を少し早足で進めていかなければならないと思っていたところ、配属先がボランティアへの活動の要望を明確に示してくれました。ワクチンの在庫管理、UNICEFへのワクチン発注と受取、地方医療機関への発送管理、冷蔵庫の気温管理、地方医療機関のワクチン管理の活性化、これらの支援、といったものでした。協力隊の活動は自分で作り上げていくべきだという思いもあったのですが、必要とされることを何でもやっていこうと活動を進めていきました。

 私が赴任する直前に事務所が移転し、ワクチンも同時に移動していたのですが、種類や有効期限がバラバラに保管され、在庫数もわからない状態でした。まずは整理することから始め、一つ一つのタスクを同僚と一緒にクリアにしていこうと思っていました。しかし同僚は時々しか出勤してこないため、黙々と一人で活動する日々…その結果「何かあれば李里紗に聞け」と言ってくれるまでになりました。
 これでは私が去ったらゼロに戻ってしまうと思っていた頃、配属先の人員確保のため地方の診療所から看護師が異動してきました。アイランドタイム(のんびりした感覚)が主流の中、決められた時間に出勤するような、きっちりした性格の持ち主で、彼なら一緒に活動を進めることができると直感で感じました。初めて彼と会った際に交わした握手は手が触れる程度のものでしたが、一緒に仕事を進めていき活動も終盤に近付く頃には堅い握手を交わせるようになり、信頼関係を築くことができたのだなと嬉しく感じました。ボランティアの活動に正解はないと思いますが、その国を想い、よりよい状態を目指すために、まっすぐに活動する姿勢をみてもらうことは現地の人の意識に変化を与えることに繋がるのではないかと思っています。

-帰国後とこれから

 帰国後は復職し、山間にある診療所で働いています。診療所ではへき地医療を担っており、医師が地域の人々を把握し、一人一人の状態に臨機応変に対応される姿を見て、開発途上国と通ずるものがあると感じました。この診療所での経験を踏まえた上で開発途上国へ出向くべきだったと思うほどです。
 昔ながらの地域の風習を見聞きし、人の穏やかさにも触れ、改めて日本、そして私の生まれ育った所の良さを感じています。ボランティア活動に携わった2年間はもちろん、今までの経験できたことはかけがえのないものです。これらの経験を生かし、社会や地域に恩返しをしていきたいと思っています。