【STORY3】家にいるような安心できる食堂でありつづけるために 石川宏さん、新藤一博さん(JICA東京 食堂/東京ビジネスサービス株式会社)

2023年2月24日

-「わたしらしく」生きていると思えるのはいつですか?-
自分がハッピーであるとき。相手もハッピーになるはずだから- 左)石川宏さん
私らしさを料理に表現できたとき- 右)新藤一博さん

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(注)感染対策を施したうえで取材を行っています。撮影時のみマスクを外しています。

JICAは、海外での国際協力だけでなく、日本国内に開発途上国の人材を招いて、技術や知識の共有を図るなどの研修員受入事業を行っています。第3回は、JICA東京の食堂で、研修員たちにとってなくてはならない存在として慕われている石川宏さんと、母国から遠く離れて奮闘する研修員に朝・昼・晩の食事を提供する新藤一博さんの人間力を紹介します。

JICA東京の中にある「食堂」の役割とは

母国を離れて学ぶ研修員は、短いものでは1週間程度、長いものでは2年以上にわたって日本に滞在します。これまでJICA東京では120か国以上の開発途上国から、年間約4,000人(2018年度実績 3,768人)の研修員を受け入れてきました。

研修員は、JICA東京に到着してこれからの生活の拠点となる部屋に荷物を置くと、「JICA東京 食堂」を訪れます。国を代表しているという思いやこれから始まる研修に緊張の面持ちの彼らを満面の笑みで迎えるのが、食堂で研修員たちからお父さんと慕われている石川宏さん。

食事をしながら今日の出来事を話せる関係性

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ホテルのレストランやバーのホールで経験を積み、16年前にJICA東京の食堂へ。「周りに流されず自分の信念を持ってマイペースで走っていくこと」と、自身の生き方を趣味のマラソンに例える石川さん。

一日の中で、人が一番真剣になるのは何をしているときだと思いますか-。JICA東京の食堂で長年、接客を担当してきた石川さんに尋ねられました。

「何を食べようかなとか、食べ物について考えるときほど、一日の中で真剣に悩む時間はありませんよね。食こそいちばん大切だと思います。だから食事のときは肩の力を抜き、安心できて、楽しい時間であってほしい」と石川さんは言います。石川さんは研修員と初めて会ったとき、どこの国から来たのかを聞き、自分のアタマの中にある引き出しからその国の「言葉」を引っ張り出して、笑顔で「こんにちは、元気?」と声を掛けます。すると緊張していた研修員は、母国語であいさつをされてパーッと明るく笑顔になり、会話を返してくれるようになるそうです。

各テーブルを回り食の進んでいない研修員には、「なんでこれを食べないの?」と声をかけることもあるといいます。「ちょっとでもいいから会話することを心がけています。そうすると少しずつ心を開いてくれますね。気持ちよく安心して食事を摂れるように、家族のように接したいと思っています」。

「コロナ禍による渡航制限もあって国内での研修が制限され、それが長く続くうちにアタマの引き出しにも鍵がかかってしまいました。今は、いつお客さまが戻ってきてもいいように書きためた各国言語のメモを見直しています。引き出しの鍵は開けておかないと」と石川さん。会話にはいろんな知識、雑学が必要で、言葉が違っても文化が違ってもそれは変わらないと信じ、食堂に来る「家族」のための勉強を怠りません。

研修員も、フィリピンの家族に日本のお父さんを紹介したいからと、写真を石川さんと一緒に撮ったり、夕食時には「ただいま」「おかえり」とあいさつを交わしたりして石川さんのことを慕っています。あるときには、石川さんが仕事中に後ろから抱きしめられて驚き振り向くと、再来日したメキシコからの研修員が満面の笑顔で立っていたこともあったとか。

気持ちよく働くための疲れない体づくり

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研修員が短期・長期の期間を過ごす間、ほぼ毎日会うことになる石川さんは、「英語での会話になりますが、言っていることはわかってもとっさに返すことができないこともありますし、それぞれに国の言葉がありますから、基本的におたがいのニュアンスで会話をしています」と笑います。

石川さんは、JICA東京の食堂に務めることになったとき、大変だからこそ自分のこれまでの経験を遺憾なく発揮できる場となるのではと奮闘し、結果として、自分が食堂でいちばん仕事を楽しむようになっていると笑います。

「ここは僕のステージだと思っています。ゲストの心を満足させることまではできないかもしれませんが、満足に近づけたいと努めています。バックヤードから表に出たとき、ここはステージだと気持ちを切り替えていますね。自分が気持ちよく働くことで、皆さんにも気持ちよくお食事をしていただけるはずですから」

趣味のマラソンで疲れない体をつくることが、気持ちよく働くことの原動力と石川さんは言います。

「マラソンをしているときは、アタマが軽くなります。空っぽになったアタマに次のアイデアが湧いてくるんです。メニューにカロリー表示したらどうかとか、研修員に聞かれそうなハラール食材(注1)を売っている場所を調べておこうとか。すっきりして次の日に備えられますし、マラソンを始めてから、ああ今日は疲れた、ということはなくなりましたね」。研修員にも「一緒にそのへんを走らない?」「手始めに体育館で走らない?」と声をかけているそうです。

石川さんにとってこの仕事で一番うれしいことは何かと尋ねました。

「来日して1週間後も健やかに研修に挑んでいる姿を見るときです。しっかりと食事を摂ってくれているんだと思えますから。食べないと何もできないからね」とお父さんのように優しく見守っています。

(注1)イスラム教を信仰するムスリムが食べてよい食材

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JICA東京の食堂は一般の人も利用することができます。昼食時は、お目当ての海外の伝統的な料理や豊富なメニュー、何よりおいしくて安心する味を求めて、多くのお客さまが食堂を訪れます。

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豊富なメニューには、「ハラールチキン」「ハラールビーフ」「ベジタブル」「フィッシュ」などイラストのわかりやすい説明が添えられています。

家に帰ってきたような食堂であるために

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新卒で配属された筑波センターに始まり、市ヶ谷の地球ひろば、横浜センターのJICAの食堂での勤務を経験し、途中、市役所の食堂を担当したり本社で経営を学んだりして、2017年からJICA東京の主任を務めている新藤さん。

研修員が着席していると、石川さんをはじめとするホールのスタッフが、ほかほかの料理をテーブルへと運びます。多いときには、昼食時におよそ300人が来店し、長蛇の列ができることもあります。

切り盛りするのが、主任の新藤一博さん。食堂全体のマネジメントを担当し、厨房で腕を振るうことも、ホールに立つこともあります。基本的に研修員は、朝も昼も夜も、そして2週間以上、食堂で食事を摂ります。「その日の研修後、わが家に帰ってくるように、食堂で一息つけるような、食べなれた料理を提供できればいいなと思います。日本食でも、関東と関西の味や、家庭によっても違うので、完璧にストライクな味つけをお出しするのは難しいのですが、なるべくほっとするような味付けにするようにしています」。新藤さんが作るのは、気取らない家庭料理の味で、盛り付けにもこだわりが感じられます。

新藤さんが所属する東京ビジネスサービスは、全国にあるJICA拠点のいくつかの食堂を運営しています。新藤さんは25年前に入社し、のべ20年にわたってJICAの食堂に関わってきました。初めての配属先はJICAの筑波センターでした。

ホテルの料理人だった、いとこのお兄さんにあこがれて飲食業に飛び込んだ新藤さんでしたが、JICAの食堂はいろいろな国からのお客さまを迎えるため、宗教上の食事の制限をクリアした特殊な料理も提供していました。新人時代は厳しく鍛えられたそうですが、「日本人の常識ではなく、多様なお客さまの大切な『食』を守り、気持ちのよい時間を提供するために決して間違いがあってはならないと学んだ場所」とほほ笑みます。

たとえば和食であっても、イスラム教徒が食べても大丈夫な醤油や味噌を使用したり、調理器具自体もハラール食専用とそうでないものとを使い分けています。どんな国の研修員であっても、家に帰ってきたように食堂を利用してもらえるよう、厨房内でも対応に余念がありません。

滞在中の研修員の母国料理や話題を意識した料理を提供し続ける

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「各国の料理は、手間がかかることもありますが、日本だと彩りとして使う野菜を味付けに使用するなど、作るうえでの発見や楽しさがそれぞれにあります」と言う新藤さん。

「現在滞在している研修員の様子を石川さんから聞いて、『うちの国の料理を出してよ』と言われる前にお出ししたいと思いますし、JICAのスタッフから情報をいただいたり、話題にのぼったメニューを考えたりします」

新藤さんは、心休める食事の時間に食堂で一息ついてもらうためには、自分が得意な国の料理ではなく、どんな国の料理でもオールマイティにお出しできなければならないと言います。新人時代から多様なお客さまに提供してきたからこそ、臨機応変な対応力の必要性を感じていて、これまで作ってきたメニューは、200種類以上にもなります。

20年ほど前の年末年始、アフリカからやってきたウセイヌさんという研修員が、筑波センターに単独で滞在されることになり、新藤さんがひとりで朝・昼・晩と食事を提供したことがあったそうです。「食事を通じてコミュニケーションするリアルな経験だった」と振り返ります。つたない英語で「明日は何を食べたい?」と聞くと、「チキン」とだけ言われ、それなら調理法は任せてもらおうと、腕をふるったそうです。食事が終わるとすぐにカウンターにやってきて、家族団らんの雑談のように、TVは何が好きかなど、たわいない会話を毎日、毎食後、彼としたそうです。JICA東京の食堂が体現している「食堂が家に帰ってきたような場でありたい」という原点がそこにありました。

新藤さんは、「調理でいちばん大切にしていることは、よい意味で好き勝手にすることです。JICA東京での調理は決められたレシピや宗教上の理由によって、食材や作り方、調味料などがある程度決められているのですが、それらをふまえたうえで、調理法や味つけ、盛り付けを工夫して自分の色を出すことを楽しんでいます」と優しい笑顔で話します。石川さんや新藤さんたちスタッフは今日も、優しい心のこもった場と料理を提供しています。

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筑波センター時代の先輩に「この国の人が滞在しているのですが、いい料理はないか」と聞いたり、所属する会社の多国籍レシピからアイデアを得たりして、年間を通じて週替わりでいろいろな国のメニューを提供しています。取材日のランチセットは3種類。Aランチセット:(ハラール対応食)アメリカ合衆国ルイジアナ州の料理 ケイジャンチキン&ジャンバラヤ風ピラフ、スープ。Bランチセット:和食 豚肉ときのこのカルビソース炒め、ご飯・味噌汁。そのほかにもCランチセット:(ハラール対応食)鶏肉とシメジのグリーンココナッツカレー、ミニサラダ、スープ。

三上良子さん(JICA東京食堂/東京ビジネスサービス)

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25年ほど前からJICA東京の食堂に務めています。当時も今も研修員が母国の民族衣装を着て閉講式に出席する姿は本当にきれいですし、国を代表しているというプライドをもって来日していることがわかります。その研修員が食堂を初めて訪れるときは、緊張した面持ちでいらっしゃいます。ですが、石川さんは、本当にお上手に、スーッと彼らの懐に入っていきます。「朝から夜まで使えるあいさつの言葉はない?」と彼らに話しかけてメモを取っている姿も見ますし、メニュー表記の仕方の変更を提案するなど、お客さまのことをいつも考えているのがわかります。ですから研修員から慕われていて、「今日は石川さんはいないのか?」と尋ねられることもあります。

新藤さんは、私たちスタッフの業務が円滑に進むよう考えてくれ、しかもソフトに接してくれます。その人柄が出ているのか、盛り付けもきれいでかわいいですし、料理も優しいお味なんですよ。石川さんからポップの改善アイデアを聞けばすぐに取り入れたり、スタッフが働きやすいよう目を配ったり、研修員にもスタッフにも食堂が心地よい場所になるよう考えてくださっています。

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JICA東京の食堂は、JICA東京の1Fにあり、正面入り口から入って利用することができます。週間メニューはウェブサイトで確認することができますので、ぜひチェックしてみてください。

プロフィール

石川宏 いしかわ・ひろむ

東京ビジネスサービス株式会社所属。「やらねばならないことはやらなければならない」がモットー。給与をつぎ込んでテーブルマナーを学びに行ったこともあるそうで、「お父さん」と慕われる背景には、「すべてはお客さまに気持ちよい時間を提供するため」という努力がある。

新藤一博 しんどう・かずひろ

東京ビジネスサービス株式会社所属。「JICA東京 食堂」主任。「いろいろな国の方がお客さま」という特異な環境の中で、時には各地の料理に使用するスパイスを求めてアメ横や新大久保まで出かけたり、都内にある各国の料理店へ食事に出かけて仲間たちと議論を交わしながらレシピ開発したりと、「お客さまに一息つける食事と場を提供するため」に日々奮闘する。

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