【STORY4】教育で、言葉で、勇気で世界は変わる 上田 祥子さん(埼玉県立川越初雁高校国語科、進路指導主事)

2023年3月10日

-「わたしらしく」生きていると思えるのはいつですか?-
「勇気」をもって「決断」するとき。怖いことを、それでもやらせてあげようって自分に許可するときに、それって私らしいなと思います。

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(注)感染対策を施したうえで取材を行っています。

JICAの教師海外研修への参加がきっかけとなり、日本でいち早くSDGs(持続可能な開発目標)を教科の授業に取り入れた上田祥子さんは、不動産業界から専業主婦を経て公立高校の教員になったという経歴の持ち主です。民間企業と協力した高校生の就職活動におけるDXシステムの開発や、学校の垣根を超えた教員の交流を主催するなど、意欲的な取り組みに数多く関わっている上田さんの「勇気と決断」の背景を探ります。

視点を変えて世界を見る

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2016年のタイでの教師海外研修の様子。研修ではJICAのタイ事務所や現地の学校のほか、浄水場や障害者センターなども訪れました。中央列の右から5番目が上田さん。

教員一家に生まれ、自身も教職を目指していた上田祥子さん。しかし大学時代に旅行で訪れたインドで、現地の人々の生きることにかける力強さに圧倒され、「お金を稼いだ経験もないのに、私は子どもたちにとって説得力のある先生になれるだろうか」という疑問を抱えるようになりました。進路を変更した上田さんは、まずはしっかり「稼ぐ」ことを学ぼうと、大学を卒業後は不動産業界に就職します。その後結婚し、専業主婦として子育てをしながら過ごしていましたが、親として改めて教育の重要性を感じていた中で、ママ友の「先生ほど貴い仕事はないよ」という言葉に背中を押され、2011年から公立高校の教員となりました。

教育以外の仕事を経験した上田さんは、教員となってからも学校外の情報にアンテナを張るように心がけているそうです。その一環として、2016年にはJICAの教師海外研修(注1)にも参加しました。

「研修先のタイは想像以上に発展していました。一方で当時の日本では子どもの貧困率の上昇が問題視されていて、私が研修を経て痛切に感じたのは、日本の未来に対する強い危機感でした。私の人生を大きく変えた経験の一つです」

教師海外研修では、参加者は帰国後に所属先の学校で研究授業を実施します。生徒に対して「発信する力」「自分ごと化する姿勢」を身に着けてほしいと常々考えていた上田さんは、当時はまだあまり国内に浸透していなかったSDGsと関連づけたプレゼンテーションの授業を思いつきます。授業のポイントは、生徒たちに「身の回りのどんなに小さな課題でも世界が抱えている大きな課題とつながっている」と実感してもらうことでした。実際に行った活動は生物多様性をテーマにした評論文を入り口に、最終的には一人ひとりが半径5メートルで、つまり自分の身近なところで「義憤」を覚える課題を取り上げ、その課題がSDGsの各目標と繋がるかを踏まえてプレゼンテーションするというものです。

生徒からは「ニュースの見方が変わった」「あの人がこんなことに課題意識を持つとは思わず印象が変わった」など、さまざまな反響があったそうです。実施後にまとめられたJICAの授業実践報告書(注2)が出版社の明治書院の目にとまり、記事として掲載されたことで(注3)、SDGsを国語の授業で最初に扱った例として注目を集めることになります。

学校が変わるために必要なこと

上田さんが現在の職場である埼玉県立川越初雁高校に赴任したのは2020年のことです。赴任1年目に、同僚の矢野明子さんが自身の担当するクラスで、学年をまたいだグループ学習授業を実施しているのを見て、大きな衝撃を受けたといいます。

「こんなことができる学校はめったにないと思いました。だから、次はこれを全校でやってみない?と持ち掛けたんです」

翌年「総合的な探究の時間」の責任者を任された上田さんは、矢野さんたちとともに全校全クラス規模でのグループ学習を実現します。学年ごとに異なるテーマを設定して学習したあと、今度は別のグループ同士の生徒で内容を共有し課題を解決する「知識構成型ジグソー法」という手法を取りました。

「この子たちは、こんなにできるんだ」。この成功をきっかけに、教員の、生徒を見る目が変わったことを上田さんは感じたそうです。

「学校全体が変わるには、一人ではどうしようもありません。先生方お一人お一人がそれぞれの強みを発揮し、"社会に貢献し活躍できる生徒を育てる"という学校目標に対し主体的に関わっているのが今の川越初雁高校です」

そんな川越初雁高校では、およそ4割の生徒が卒業後の進路に就職を選ぶといいます。企業から届く膨大な数の求人票を手作業でコピーしてファイルするのは、教員の負担が大きいだけでなく、企業を探す生徒にとっても不便なものでした。

現場の状況を上田さんがSNSで投稿したところ、民間のシステム開発会社が興味を持ち、就職活動をDX化するための新サービスの開発が動き出しました。2021年12月に完成した「Handy進路指導室」(注4)は、22年度から本格的に運用が始まっています。生徒はスマホでどこからでも企業情報にアクセスすることができ、業務が減った教員は、その分生徒からの相談に対応できるようになりました。現在は全国450以上の高校で導入されているそうです。

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Handy進路指導室のトップ画面と検索画面。地図、業種、給与など複雑な求人票の記載項目を、生徒が重要視する要素に合わせて自由に検索できるようになっています。同サービスは第一回日本DX大賞官民連携部門大賞を受賞しました。

一緒に遠くへ行く仲間を増やしたい

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上田さんが理事の一人として参加しているHASSYADAI social。写真は代表理事勝山恵一さん(右)と理事の三浦宗一郎さん(左)。

上田さんは中学生の頃、トイレットペーパーを使おうとした時にふと「私が生きているだけでいったい何本の木が伐採されるのだろう?」と悲しい気持ちになり、将来は砂漠に木を植えるような仕事に就きたい、と思ったそうです。その後「私が一人で木を植え続けていくより、砂漠に木を植えたいと思う子どもを100人育てた方がもっと世界が良くなるんじゃない?」と気づき、幼いころから漠然と抱いていた教職に就くことへの意思を固めました。そして、現在のさまざまな経験を経た上田さんはこう考えます。

「『砂漠に木を植えたいと思う子どもを育てようと考える先生』が100人増えたら、もっと大きく世界は変わるはず。『早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め』というアフリカのことわざがあります。一緒に遠くを目指してくれる仲間を増やしていきたいですね」

そのための活動の一つが、明治書院の社長・三樹蘭さんとともに主催している学校や地域を越えた教員同士の勉強会、「<ミライ>とつながる国語の会」です。文部科学省の官僚や企業経営者、あるいは国語以外の科目の先生などをゲストに招き、さまざまな話題を扱います。何事も言葉を介して学ぶ以上、「国語」はすべてのハブになれる教科だと上田さんは話します。

非大卒の若者たちを対象に教育とインターンの機会を提供し、若者の「選択格差」是正に取り組む企業「ハッシャダイ」にも、2018年からプロボノ(専門知識を生かして社会貢献すること)として関わっています。JICA教師海外研修に参加して以来、国内の教育にもっと多面的に関わりたいと思っていた上田さんは、同社が運営する「ヤンキーインターン」というプロジェクトを知り、「国語の授業をさせてほしい」とコンタクトを取りました。そして現在上田さんは、社団法人として新たに発足したHASSYADAI.social(注5)の理事も務めています。

「参加当時のハッシャダイは株式会社でした。ボランティアだったにもかかわらず、公務員が営利企業にくみするなら訓告くらいは覚悟しろ、なんて言われたこともあります。もちろんすっごく怖かったですよ。だけど怖くても「勇気」を持って自分がやりたいこと、正しいと信じることを「選ぶ」のが、私らしさなんです」

上田さんにとって、「怖いこと」は必ずしもネガティブな感情ではありません。そこには未知のものや、悪い結果になるかもしれないという恐れと同時に「やりたい」という感情が隠れていると言います。やりたいことを自分にやらせてあげる許可を出す「勇気」、自分らしくあることの大切さについて上田さんはこう話します。

「生成AIも話題となっていますが、『私が私らしくあること』がこれほど大事な時代はないと感じています。その人が自分の持ち味を最大限に生かすことが、ひいては周りの人たちを幸せにしていくと思うんです」

上田さんが「勇気」を持って「私らしく」踏み込んでいく生き方が、一緒に未来を変えていく「砂漠に木を植えたいと思う人」を増やしています。

矢野明子さん(埼玉県立川越初雁高校 総合的な探究の時間検討委員会)

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左から:矢野明子さん、同じく埼玉県立川越初雁高校 進路指導部の吉野岳さん、小池江里加さん。

上田先生は、日本の教育について真剣に考え行動できる方という印象です。お仕事をご一緒させていただくと、私もがんばらなくてはというエネルギーをいただけます。私だけでなく他の先生方もそう感じていると思います。学校全体に向上心を与えられる、川越初雁高校になくてはならない存在です。

プロフィール

上田祥子 うえだ・さちこ

埼玉県立川越初雁高校国語科教員、進路指導主事。教員の家庭に生まれ育ち、教育学部に進学。大学を卒業後、不動産ディベロッパーを経て専業主婦に。2011年より公立高校勤務。2016年にJICA教師海外研修に参加し、SDGsにまつわる教科実践がメディアの注目を集める。2018年より一般企業の新人研修で「国語」の授業プロボノを開始。3女の母。