【STORY5】豊かな世界の実現を目指していきたい 髙野孝子さん(エコプラス代表理事、早稲田大学文学学術院文化構想学部教授)

2023年4月18日

-「わたしらしく」生きていると思えるのはどんなときですか?-
暖炉の火だけで暖を取ったり、川の水が飲めたり、自分たちの作ったものだけで暮らせたり、鳥の声や風の音がしたり、そういうシンプルな暮らしができているとき。

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(注)感染対策を施したうえで取材を行っています。

アマゾン河をカヌーで下り、北極海を犬ぞりで横断するなど、さまざまな冒険にチャレンジしながら、1992年からは南太平洋ミクロネシア連邦のヤップ島で、日本の若者に向けた教育プログラムを行うなど、持続可能な暮らしの実現のために奮闘する髙野孝子さん。冒険家や教育者として世界的に知られる髙野さんに自身の思いと原動力をお聞きしました。

冒険の始まりは、面白そう!という好奇心

「私は自分を冒険家だと思ったことはないですし、挑戦して記録を残したいという思いがあるわけでもありません。純粋に面白そうだなと思って行くんです」

これまで髙野さんは世界中の多くの秘境を訪れています。「自分で選んで行ったというより、目の前に道が開かれたので、進んだという感じでしょうか。声がかかったから、前に進めたから行ったんです。アマゾンも『一緒に行く?』と言われて『うん』と答え、北極点にパラシュート降下したときも、自宅に誘いの電話がかかってきて行くことになったんですよ」と笑います。そうした「ご縁」はどうしたらつながるのかと尋ねると、「若いころは、どんな人も、いろんな大人に関わっていますよね。自分をちゃんと見てくれている人と関われると、『こういうの好きなんじゃない?』と薦めてくれたり、教えてもらえたりします。そうした情報から参考になる本と出合ったりもしますので、これらをつかむかどうかではないでしょうか」と髙野さんは言います。

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髙野さんは生まれ育った新潟県南魚沼市に暮らしています。山奥にあった誰も使っていない古民家を譲り受けて移築し、それを同じ新潟県に住むドイツ人建築デザイナー、カール・ベンクス氏が改装しました。冬でも暖炉だけで家じゅうが温まります。

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深い青空が広がる南魚沼市。「地球環境は良くなっていないし、大きな目で見ると悪化しています」と言う髙野さん。「15年から20年くらい前の2月に、豪雪地帯のここ南魚沼で雨が降ったときは本当に驚きました。自然科学の世界では30年くらい前にこの地域での温暖化による影響が推測されていて、予測通りになりましたね」と、環境の変化を憂えています。(写真:髙野孝子)

1995年に開催された国際北極プロジェクトは、北極を横断しながら学校などの現場とつなぐという壮大な試みで、日本の教育現場の活動参加は、髙野さんがいたからこそ実施できたといえます。

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WSJ=ワールドスクールジャパン(のちにワールドスクールネットワーク)の旗とともに撮った北極点での写真(写真提供:髙野孝子)

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北極海横断時の様子。(写真提供:髙野孝子)

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家の中には世界を旅したときの思い出の品がたくさん保管されています。1995年の北極海横断時に使用した服。「これは予備用ですが、使用したものは帽子のところがもっと防寒仕様でフワフワでした」。(写真提供:髙野孝子)

自然環境の中で見つけた本当の豊かさ

髙野さんが教育プログラムを進めるため起こした団体エコプラス(注1)は、2022年に活動開始30周年を迎えました。活動場所の一つとなってきたミクロネシア連邦のヤップ島を初めて訪ねたとき、「生きるためのものがすべてそろっていて、日本の人が見失っているものがここにはある。ここから学べるものがいっぱいある」と直感したそうです。髙野さんは、「今いるこの社会がもうちょっと良くならないか。自分だけじゃ良くする方法がわからないから、本当に大事なこととは何かを考えさせてくれる場所があるなら、そこで一緒に考えてくれる人を増やしたい」と、10歳から高校生までの子どもたちを連れて、自然の中で暮らし、本当の豊かさとは何かを学ぶプログラムを実行に移しました。

「訪問する私たちのほうが得るものが多いのは当然ですが、最初から一方的に享受する立場でいては絶対だめです。何をするにも人間関係がいちばん大切で、押しかけていって教えてくださいといっても交流は続きません。ヤップ島で活動を始めた当初から島にどういう還元ができるかを考えていました。だから、『ありがとう活動』という仕掛けをつくりました。必須ではなく任意で、内容は参加者が決めます。これまで、すべての参加者が村人に感謝を示す活動を行ってきました」と言います。参加者はごみ拾いなどを行うことが多いそうです。また、最終日には島での暮らしから学んだことや感謝を伝える会が実施されています。村人は、先進国日本から来た若者が、島の暮らしや自然、星空に感動して涙を流す姿に戸惑いながらも、自分たちがかけがえのないものを手にしていることを理解する機会ともなっているそうです。

環境を守る、恩返しの草の根技術協力

30年以上前に初めて島を訪れてから、毎年のように訪れるなかで、実は髙野さんは島の変化を肌で感じていました。開発マネーがいっぱい入るようになって、村の人たちが必要としていないものが作られたり、そこら中にごみが増えていったりと、「貧しくなっていっている感じ」がしたそうです。以前は、木陰に石が置かれていて、裸足のままどこまでも歩けた場所が、木が伐採され、道が造られ、炎天下では地面がすごく熱くなってしまうので靴を買うことにもなります。木陰がなくなり熱帯の直射日光をあびるため、移動は車を持っている人に頼まなければならないようになりました。もちろん、緊急事態の際に病院まで急いで運べるという良い面もあったそうですが、「こういうことが誰にとっても幸せな未来になるのか」と自問するようになりました。

世界と地球が急速に変化していくなか、ヤップ島も例外ではありません。ですが、海面が上昇したり、魚が捕れなくなったり、輸入された生活品で土地が荒れたりした姿を目にして、一部の地域住民たちが、将来の世代のために海陸の環境保全の声を上げたことで、髙野さんは、この島にはまだ可能性があると確信し、「お世話になったヤップ島のために、私たちにもできることがある」と思ったそうです。そして、これまで教育関係で実績を積んできた髙野さんでしたが、畑違いの国際協力分野に目を向けたとき、ともに活動してもらえると頭に浮かんだのがJICAでした。

「昔から、面白いことを知ってしまったら黙っていられず他の人に伝えたくなるし、困っている人を見たら何とかしたい、--自分でできなければ誰か引っ張ってきてでも何とかしたいと思う性格でした」

そこで2016年から約1年半実施した草の根技術協力事業(注2)(注3)では、島全体に普及した洗濯機から出る合成洗剤の排水がタロイモ畑や海に流れ出ないようにする汚水の浄化対策をはじめ、ごみの収集システムの構築などを進めました。そして、2023年からは同島で住民参加型のエコツーリズム(注4)の事業開始に向けて準備をしています。コロナ禍で渡航制限がありましたが、「2023年にふたたび本格始動ができそう」と、髙野さんは草の根技術協力事業での新たな活動に期待を寄せています。

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「JICAという名前は、やはり信頼の証しです。エコプラスが培ってきた地域住民との信頼関係と、JICAが培ってきたミクロネシア連邦との信頼が合わさり、活動に対する住民の機運も高まっています」。(写真提供:髙野孝子)

自然に関わる活動と社会に関わる人づくり

ヤップ島での教育プログラムの参加者に期待することは何かと尋ねると、「周囲の人や世の中に、なんらかの形で体験したことや考えたことを伝えてほしい」と髙野さんは言います。もらいっぱなしにしないで必ずギブする姿勢を忘れないこと、誰かのところにお邪魔するときに相手の立場になって考えてみること、できるだけ自然環境にインパクトを与えないような入り方(滞在)をすること--などです。

「以前、観光系の専門学校に通っていた学生が参加したとき、『観光する人をいかに楽しませるかばかりを考えていましたが、彼らと同じ暮らしをすることで、受け入れる側の見解や自然環境の価値を知ったことがとても勉強になりました』、と言ってくれたことがありました。観光でお金が落ちることだけを考えるのではなく、環境や他者の立場になるという視点を持った職業人が増えてほしいと思います」

生きていて良かったな、うれしいなと思うのは、「誰かの成長に関われるとき」と言う髙野さん。できなかったことができるようになって笑顔になる子どもを見るときや、自分が関わったことがきっかけとなって新しい一歩を踏み出す姿を見るときに喜びを感じるそうです。

原動力は「人」と言う髙野さん。「人との出会いが好奇心をかき立ててくれます。その好奇心が力となって自分は前に進んでいますね。静かにしていても好奇心は湧いてこない。名のあるような人との出会いでなくても、学生との会話だったり、友達とのちょっとした会話だったり。たとえば、私が講師を務める大学の授業予定を見た学生から講義内容が面白そうと言われると、あ、面白い? 面白いかも、がんばろう、魂を吹き込もうと思えます」と笑います。

人、自然、異文化を柱に据えて「平和で豊かな世界」を目指す髙野さんは、多様な人たちとともに、自然に関わる活動と社会に関わる人づくりを続けています。

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渡辺道雄さん(エコプラス理事、国際開発センター/写真左)

髙野さんとは大学生のときに参加した「オペレーション・ローリー」(注5)の同期でした。髙野さんの同期でしたので、学生のころから知っています。当時からリーダー的な存在で、面倒見もよく、人を引っ張っていく力がありました。だから、いろんな人が髙野さんの人柄に引かれていくんです。アイデアがあるとやってみようとする行動力があって、やっていることも面白い。ひとりではなく周囲を巻き込んでやるので、私も喜んで活動に参加しています。(写真提供:渡辺道雄)

(注5)1984年から4年間にわたって行われた冒険活動。各国の青年たちが世界各地で、さまざまな探検や調査、ボランティア活動を行い、冒険心を育みながら国際交流を行った。

参考図書:『地球(ガイア)の笑顔に魅せられて』(海象社、2010)、『野外で変わる子どもたち-地球は彼らの学校だ』(情報センター出版局、1996)ともに高野孝子著。

プロフィール

髙野孝子 たかの・たかこ

1963年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、早稲田大学大学院(政治学修士)、英国エジンバラ大学博士、ジャパンタイムズ入社。アマゾン、北極海、マダガスカルなど冒険をしながら、子どもたちのための環境教育に携わる。1992年にエコプラスを設立し、ヤップ島プログラムを開始。立教大学客員教授、早稲田大学教授。