ミスター・ネリカの稲作協力45年

ミスター・ネリカこと、坪井達史氏がアジア、アフリカの稲作振興において、顕著な功績を挙げたことにより、令和4年秋の叙勲で旭日双光章を受章されました。アジア・太平洋・アフリカ女性経済サミットで講演をするため大分県から上京されるのを機に、稲作協力に携わった45年間の経験、日本が途上国の稲作振興により良く携わるための提言についてJICA本部からご講演いただきました。
苦労した体験もユーモアを交えて話され、大変人間味あふれる講演でした。講演の概要を紹介いたします。
また、本記事の最後に「ネリカ検定認定」を坪井氏から授与される方法についても掲載しています。

国際協力の道に進む

インド一周の旅をしている時に海外技術協力事業団(注1)が同国で実施していた稲作技術協力を見たのが国際協力の道に進むきっかけですね。
この後、稲作の青年海外協力隊としてフィリピンに赴き、雨季には稲作、乾季にはスイカ栽培の指導を農家の人たちに行っていました。
協力隊を終えて日本に帰国後、ちょうど、JICAの海外長期研修制度が開始され、同制度の第1号生としてフィリピンの国際稲研究所で2年間研究生活を送りました。実は留学する前に、JICAから、稲の専門家は日本にたくさんいるから、米国のアリゾナ大学で乾燥地農業を研究することを勧められました。稲作の研究をやりたかったため、稲作後の畑作栽培、陸稲、ココナツと陸稲の混作を研究テーマとするということでJICAを納得させ、フィリピンに行きました。この時の研究テーマの体験が後にネリカ栽培に役に立ったのです。

ネリカとの出会いと協力の始まり

フィリピンのボホール島で7年間稲作専門家として従事した後、西アフリカのコートジボワールの稲作機械訓練プロジェクトへの派遣が決まりました。日本がアフリカの稲作振興協力で実績のあった国はタンザニア等の東部アフリカであり、自分もそのつもりでいたのですが、コートジボワールになるということで、急遽フランス語の勉強を始めました。
1992年に同国(1992~1997 コートジボワール)でネリカの由来となるアフリカ種とアジア種の交雑種と運命的な出会いをしました。
コートジボワールの後、1997年~2000年にガーナの稲作振興プロジェクトの専門家を務めました。この期間ネリカを開発したモンティ・ジョーンズ氏(注2)からネリカ完成前の交雑種の種子を受け取り、品種試験を行いました。ジョーンズ氏から種子増産の依頼があり、JICAに相談しましたが公的業務に専念するように言われ、専門家業務とは別に独自に品種試験をしました。

2002年、南アフリカで開催された環境開発サミットにおいて、当時の小泉首相が、日本はネリカ栽培を支援することを表明しました。
ガーナでの派遣を終え、日本のネリカ協力が本格化するまでの間、イランの稲作機械化プロジェクトに短期専門家として9回派遣されました。その後、JICAは2003年6月に第一次ネリカ調査団を派遣し、続いて2004年2月に第二次ネリカ調査団を派遣しましたが、この時の調査団の構成は私1人だったのです。1ヶ月間調査を行いました。
調査報告会でネリカ協力の拠点国をウガンダにすることを提案しました。この時同国にはまだJICA事務所のもなく、なぜウガンダなのかと不思議に思う声もありましたが、後で述べる理由による同国に決定され、2004年6月からウガンダで専門家として活動を開始しました。

ウガンダでの活動中の2008年に開催された第四回アフリカ開発会議で、アフリカ稲作振興のための共同体(CARD)(注3)の立ち上げを当時の福田首相が声明を出しました。私はこの時を機として、稲作収量増加が最初のステップとして重要であることをメディアに訴えました。

ネリカ振興拠点にウガンダを選んだ理由

ウガンダは年間の最低気温は17~18℃、最高気温も30度を超えることはほとんどありません。雨季も2回年あり、一年中稲を栽培できます。これは栽培試験を、年間を通じ、どんどん進められることを意味しています。
ネリカの栽培基準やマニュアルが存在しなかったため、基準やマニュアル作成のために、栽植密度、播種の適正量の把握するために実験を重ねられることが不可欠でした。ウガンダの気候は通年で試験を行えるという条件を満たしていたのです。
また、この気候条件により、陸稲、天水稲作の栽培が通年で可能、すなわち、これらの栽培に関する研修も通年で可能なのです。
作期を重ねることができるため、異なる圃場を利用すれば、苗代播種、田植え、稲刈り、精米までの一通りの実習を2日間で終えることも可能であるのも同国の特長でした。

ネリカ栽培のための取り組み(試験、人材育成など)

圃場試験

ウガンダに着任後すぐに長期の施肥試験を開始しました。
日本出発に開催された有識者会議の中で陸稲は連作障害があるからプロジェクトで扱うのは適当ないとの指摘がありました。発言をされた方に陸稲をやったことがあるのですか?と尋ねたところ、専門書にそのように記載されているからとのことでした。ウガンダでは年2回のペースで34作続けましたが、きちんと収穫できることを示せました。
この他、物理的な試験として、圃場のテラス栽培の効果確認の試験も行いました。テラスにすることにより、雨水の保持と豪雨による種子流亡を原因とする欠株を避けられ、収量も多くなります。
生物学的な試験では畝立てによるネリカと豆の間作を行いました。講演資料の写真は、畝に豆を植え、畝の間にネリカを植えるやり方です。

収量増加への取り組み

ネリカは穂が大きくたくさんの籾をつけます。ネリカ4(注4)は一つの穂に150粒以上つきます。ちなみに日本で人気があるコシヒカリは80~100粒です。
317粒ついたネリカ4の穂の写真を周知し、一つの穂にこれ以上の籾をつけた事例があれば報告してほしいと話しましたが、現在に至るまで、この記録を超えたという報告は届いていません。
収量を増やすためには、ひこばえの収穫も重要です。ウガンダの気候で、ひこばえの収量を最大化する刈り株の高さを把握するため、地面から5センチメートル間隔で刈り取りの高さを変えて収量確認試験を行いました。25センチメートルの高さで刈り取りを行った時に収量が最も多いことを見つけました。講演資料に掲載している試験圃場では、1作目が115日をかけて7.8トン/ヘクタールの収量があったネリカを25センチメートルの高さで刈り取った結果、65日間(一作目の6割弱の期間)で、2.3トン(一作目収量の30%)を得ることができました。

適切な収穫後処理による損失防止と品質維持

サブサハラアフリカにおいて稲の脱穀は伝統的に収穫した稲穂を叩いて行うやり方でしたが、この方法では籾への衝撃が大きいため、籾の中でコメが割れてしまい、精米すると砕米が多く発生するという問題がありました。この問題を解決するために、首都カンパラの町工場の工員に脱穀機製造研修を行いました。製造した脱穀機を収穫圃場に持ち込みました。籾の品質を保てるとともに労働負荷の少ない脱穀機の人気は農家の間で高く、脱穀機を製造・販売した、この町工場は相当潤ったようです。
脱穀の次の過程として精米がありますが、ネリカを栽培する農家の周辺には精米所がありませんでした。このため、農家は籾の入った思い袋を自転車の荷台に乗せて遠方の精米所まで運ばなければならなかったのです。農家たちの苦労を軽減するために、ササカワ・アフリカ財団に委託し、中古トラックに精米機を積んだ移動精米所を製造し、操業を始めました。この移動精米所は「あなたの村の精米所!!」と名付けられ、2年半実施され、農家から歓迎されました。その後、ネリカ栽培の振興とともに、栽培地に多くの精米所が誕生し、移動式精米所はその役割を終えました。
精米の価値を高く保つためには石が混じっていけません。石抜き機を導入するために精米所のオペレーターの育成に取みました。きちんと石抜きされた精米は品質、価格とも高いため、石抜き機は急速に普及しました。

人材育成

チームジャパンでネリカ振興を実行するためには、サッカーのように最低11人はいないと日本の協力とは名乗れません。そのため、ウガンダに派遣されていた「村落開発普及」の協力隊員10人ほどと連携し、隊員の任地でのネリカ普及を開始しました。
また、この頃、ネリカに広く親しみをもってもらうために、ネリカ検定を開始しました。

2006年10月から2019年8月までの約13年間で、ウガンダ140名、他のアフリカ諸国210名の合計350名が任地でネリカ普及活動に携わりました。このうち10名がJICA稲作専門家、15名が開発コンサルタントになり、アフリカの農業・農村開発に貢献する貴重な人材として活躍しています。
隊員に伝えたことは、「百聞は一見に如かず」のインパクトを農家に与えることを実践することでした。収量2トン/ヘクタールの収穫しか知らない農家たちに、小さな試験圃場でも良いので、工夫すれば、5トン/ヘクタールの収穫も可能であることを実際に見せることにより、常識を打ち破ることの大切さを隊員にも農家にも理解してもらうためでした。
また、JICA協力隊事務局には稲作に必要な資機材や事前研修の重要性を訴え、隊員が徒手空拳のまま現場で困らないよう働きかけも行いました。

ネリカ適地図の作成

ネリカは5日間に200ミリメートル以上の降雨があれば陸稲として栽培ができるため、ウガンダ各地の気象データを収集、さらに、これに標高、土壌酸度のデータを重ね合わせた同国のネリカ適地図を作成しました。
後にルワンダ、ザンビア、モザンビーク、マラウイ、タンザニア、エチオピア、スーダンでも適地図を作成しました。

ゼロから始めたネリカ普及展開

ウガンダはネリカ栽培を通年で行える国であり、これまでお話したように精力的に取り組みを行ってきましたが、普及は容易ではありませんでした。なぜなら稲を見たことがない、コメは自分で作るものではなく、店の棚に並んでいるものだと認識している農家も多かったのです。雨季になれば、メイズやキャッサバ等の伝統的な主食作物の栽培の方が優先度は高く、ネリカはあくまで手が空けばやるという位置づけでした。
しかし、時間が経つにつれ、農家たちはネリカの方が、収益性が高いことに気づき始めました。関心を持つようになった普及員や農家に対し、時には屋内で、時には青空教室で研修を行いました。またウガンダ国内だけでなく、周辺各国の普及員や研究者も研修を受けるためにウガンダを訪れました。研修を受けた者は千人を超えていますね。またウガンダで専門家をしている間に100回以上の任国外出張し、出張先の普及員や協力隊員にネリカ栽培の助言を行いました。

普及促進のために種籾にも着目しました。ネリカ栽培研修修了者に種籾1kgを提供し、それらの農家が収穫した籾のうち、近隣のネリカ栽培を希望する農家に2倍の2kgの籾を供与する条件を設定しました。籾を提供した農家たちは、隣人のために利他的な行動をとることが精神的な満足につながるといったことも感じていたようです。

ネリカの特長を生かした農家の変化

水田造成が不要のため、庭先での栽培が可能です。籾を渡して栽培方法を教えれば始められるのです。
これまでの日本の稲作協力は水田造成から着手していたため、投入金額が1ヘクタールあたり100~200万円と非常に大きかったのは異なる稲作振興です。
コーヒーを栽培している農家はコーヒーの樹の間でネリカを栽培する(間作)等、工夫する者も現れました。

成果の総括

  • ネリカ栽培基準の策定と研修教材を作成。
  • ウガンダで稲研究ゼロから稲研究研修センター設立を実現。
  • エチオピアで稲研究ゼロから稲研究研修センター設立を実現。
  • スーダンで灌漑地区でのネリカ導入と普及員の研修。
  • 協力隊員(ネリカ隊員、コメ隊員)を東南部アフリカ地域で350人に指導。この経験から稲作のJICA専門家や開発コンサルタントとして開発途上国の農業・農村開発分野で活躍中の元隊員もいる。
  • 縁結び:ネリカ栽培を通じ、8組の協力隊員が人生の伴侶を見つけた(通称ネリカップル)。
  • コートジボワールでイネ黄斑ウイルス(RYMV)の接種方法の開発、抵抗性品種WITA9を発見。
  • アフリカでの経験を日本国内の開発教育講座等で現在も伝えている。

アフリカの稲作振興に向けたJICAへの提言

アフリカには畑作ができない未利用の低湿地が存在しますが、それらは稲作栽培適地であり、食料安全保障に貢献するポテンシャルが高いです。そのような場所での稲作振興の協力を行うことが重要です。
アフリカはアジアと比較し、一部の地域を除き、稲作を伝統的な主食でなかったため、稲作振興のために何が重要であるか、本質を理解していません。そのため、政府、農家ともに聞き取りを行うと、個々の目先の問題を挙げ、問題を解決するために様々な生産資材の支援を訴えてきます。しかし、圃場に赴くと、聞き取りでは分からない根本的な技術の問題があることが分かり、改めて、この問題を解決するための人材育成の必要性を感じました。
JICAへの要望として、稲作プロジェクトを実施する際、カウンターパートとして研究機関を必ず入れることです。研究機関が不在の協力では、開発した技術が公認されず、振興がうまく進みません。
もう一つの要望として、正確な方針決定やマニュアル作成をするために、稲作栽培の経験のある人が会議やマニュアル作成等のイニシアティブをとるやり方を進めることです。例えば現在のマニュアルでは収量調査をするため、正方形の坪刈り用木枠を用いるとしていますが、このやり方は過大評価を招きます。正確な収量を知るためには円形坪刈り器を用いることが重要です。収量調査の値が間違っていたら圃場試験の意味が無くなります。

質疑応答

Q1:水田開発には土地の制約もあり、陸稲栽培の振興を通じて、食料安全保障に貢献するという考え方でよろしいでしょうか。
A1:稲作をどのようにやっていくのかは、各農家の経営判断によります。農家自身が決めることです。「何を、どのようにしなさい」という指示ではなく、例えば、栽培技術、人力での水田の作り方、土壌水分の多い低湿地での稲作等、様々な情報を提供して、農家の意思決定のお手伝いに徹することが大事です。農家がこれまで知らなかった新しい可能性(収量を倍増できる等)を見せることも重要です。

Q2:講演の中で陸稲の連作障害を発生させずに継続して栽培したとのことですが、どれくらいの年数連絡が可能なのか、また収量はどのようであったのかについて教えてください。
A2:施肥をきちんとすることが重要です。また農家は畑作について熟知していますので、単作を続ければ連作障害が発生することは知っています。障害を発生させないために、ネリカと他の作物をうまく組み合わせたり、栽培の場所を色々変えたりしています。陸稲は連絡障害を引き起こすからダメだという、当初日本で議論されたことは、現場では全く起こっていないのです。ネリカの収量でキーとなるのは雨量ですね。

Q3:稲作栽培の経験のある人が会議でイニシアティブをとることが重要とのご発言がありました。協力隊員の活躍も話されていましたが、専門性を有する隊員は少なかったのではと考えます。隊員の育成にどのように留意されていたのかをお教えください。
A3:稲作の専門性を持つ隊員は多くありませんでした。また、任地に行く前に渡したマニュアル類を必ずしも熟読していないことは任国外出張で隊員の圃場を訪問した時に感じました。ただし重要なのは、現場と隊員と農家が一緒に試行錯誤することです。これは効果があります。ザンビアで稲作が行われてなかった地域で隊員に入り、稲作が定着した事例があります。このような事例をもっとうまく広報することも重要ではないでしょうか。

ネリカ検定をもらおう!皆様ができるネリカ啓発活動!

ネリカ検定には4級から名誉特級まであります。
本記事を読み、ネリカやアフリカの稲作支援に関心を持ちネリカ検定をもらいたい人は、その旨、JICA食と農の協働プラットフォーム事務局(jipfa@jica.go.jp)に1)ご氏名、2)認定証送付先住所(JICA麹町本部受け取り以外の方、かつ日本国内限定です)、3)認定証ご希望の背景)をお知らせください。それを坪井氏に報告し、同氏が設定した基準に応じた級のネリカ検定認定証を作成します。
認定証は、JICA本部(麹町本部)の経済開発部に受け取りが可能な方は、JICA本部でお渡しします。それ以外の方は坪井氏により、2)の住所に郵送されます。

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講演中の坪井氏

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質疑応答で回答する坪井氏