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第六回JICA海外移住「論文」および「エッセイ・評論」受賞者インタビュー第1弾

2026.02.19

2025年12月に、第六回JICA海外移住「論文」および「エッセイ・評論」「エッセイ・評論」部門の授賞式を行いました。授賞式に参加された小迫孝乃さんと熊谷雄さん(共に優秀賞受賞)に大野館長がインタビューをしました。インタビュー内容を全3回に分けて、ご紹介します。

皆さんもインタビューを読んで、ぜひ第七回にご応募ください!

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「空間と時間を超越した物語がありました。」

大野裕枝館長(以下、大野):この度は受賞おめでとうございます。早速ですが、まずは熊谷さんにお話を伺います。今回は、ペルーに移住した西山音松に焦点を当てていますが、なぜ彼に興味を持ち、調べようと思いましたか?

熊谷雄さん(以下、熊谷):ペルーのクスコに3年くらい住んでいましたが、ペルー日系人協会クスコのスエナガさんという日系二世の当時の会長に昔話を聞く機会がたびたびありました。ペルー国内をあちこち見て回った後に、クスコに移住して自分の商売を始めたという話がすごく面白く、クスコへの日本人移民史や日系社会の発展を調べるようになりました。

クスコへ移住した日本人は限られており、このぐらいの人数であれば子孫にコンタクトして、クスコの日本人移民のほとんどは調べられるのではないかと思いました。その中の一人が西山音松で、友達を介して、ひ孫のディエゴさんと知り合い、お話を聞くことができました。西山音松の息子さんであるエウロヒオ西山さんは、写真集を出していたり、映画を撮っていたり、国際的に活躍された日系人でした。それにも関わらず、長年、中南米に関わっていますが、私自身全然知りませんでした。私が知らないということは、たぶんほとんどの日本人は知らないんだろうと思いました。

西山家の歴史に関心を持ち、面白かったというのもありますが、他の人たちにも知ってもらいたいというのが最初の目的だったんです。また、戦前の日本人移民で誰が最初にクスコに定住したのかという調査をした結果、最初に定住をしたのが西山音松だったこともあり、西山音松の調査を開始しました。

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「エッセイ・評論」部門 優秀賞受賞 熊谷雄さん

大野:西山音松にたどり着くまでも、かなり調査されたんですね。調査の段階でいろいろなエピソードがあったと思いますが、心に残ったエピソードはありますか?

熊谷:そうですね。西山音松には、6人の息子がいました。音松は7歳の長男を連れて日本に一時帰国し、長男を和歌山の親類に預け、クスコに戻ります。その後、再び日本に一時帰国した際に、戸籍上の長男の名前をシモンから禎一に改名しています。禎一は日本に残り、音松はクスコに戻りました。以降、音松は日本に戻ることなく、クスコで亡くなりましたので二度と禎一に会うことはありませんでした。

禎一は他の兄弟とも離れ離れになってしまいますが、三男のエウロヒオさんが晩年日本に渡り、禎一さんと再会したという話を聞きました。空間と時間を超越した物語がありました。

大野:調査でそこまで分かるんですね。すごいです!

(第2弾につづく)

受賞作品はこちらから

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