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-さらなるパートナーシップ発展のために- 「兵庫を拠点とする関西センター(中)」
(写真:JICA大阪2階にあった国際会議場。1994年竣工時撮影)
(付注:今回はJICA兵庫存続のために活動して下さった方、当時の関係者に取材させていただいた内容を中心に記載しております。JICA大阪存続のためにも多くの方々がご尽力下さっており、そのような方々にとって、今回の記載内容には必ずしもご納得できない部分もあるかと存じますが、ご海容のほどお願い申し上げます。)
日 付 | 動 き |
---|---|
2009.11.24 | 事業仕分け第1弾のとりまとめコメント「兵庫と大阪を統合」 |
2009.11.25 | 事業仕分けで「大阪と兵庫の統合を求めた」旨神戸新聞に掲載 |
2009.12.09 | NPOやNGOなどが要望書を民主党県連合会等に提出 |
2009.12.10 | 神戸新聞に「JICA兵庫 存続を」の記事掲載 |
2010.04.23 | 事業仕分け第2弾で前回仕分け結果のフォローアップ実施。その中で外務副大臣が「大阪センター売却を判断した」と発言 |
前号では兵庫県内にJICAが存続するようご尽力くださった県職員の方々のお話を掲載しましたが、今回は市民の方々の動きについてお伝えいたします。
2009年12月10日付の神戸新聞に「JICA兵庫 存続を」という見出しの記事が掲載されました。阪神・淡路大震災の被災地で活動する非営利団体(NPO)や非政府組織(NGO)など27の団体が、JICA兵庫の存続を求めて要望書を当時の与党、民主党の県連合会に提出したという内容です。なお、賛同者のリスト(注)もこの要望書と共に提出されています。
前号でお伝えしたとおり、民主党政権の「事業仕分け」では、JICAの国内施設の運営費について議論されました。評価者により兵庫と大阪の統合がコメントとして取りまとめられたのは11月24日、その内容が新聞(注1)に掲載されたのは翌日の11月25日でした。要望書はこの記事が掲載された前日の12月9日付で作成されています。つまり公表からわずか2週間あまりでこれだけ多くの賛同者を集めたことになります。
(注:要望書の添付資料として併せて提出されました。ご連絡することができ、かつ掲載のご了承をいただいた団体・個人のみ掲載しております。)
(注1)「事業仕分け後半 海外援助3割削減 ODA関連、厳しく判定」神戸新聞、2009年11月25日。
【要望書に込められた思い】
この要望書の「世話人代表」としてお名前が記載されているのは、次の3名の方々です(カッコ内は当時の役職)。
・芹田健太郎氏(特定非営利活動法人CODE海外災害援助センター代表・神戸大学名誉教授)
・村井雅清氏(被災地NGO恊働センター代表)
・吉富志津代氏(特定非営利活動法人多言語センターFACIL理事長)
要望書のタイトルは、「国際協力機構兵庫国際センター存続の要望」。当時の政権与党であった民主党県連合会代表や、当時の外務大臣、JICA理事長にも同じ文面で送られていました。
要望書は次のような文章で始まっています。
「先般の政府行政刷新会議による事業仕分けにおいて、国際協力機構(注2)大阪センターと兵庫センターの統合案が提起された旨報道されました。私たち地元兵庫や兵庫を拠点に活動するNGOをはじめ関係者は、晴天の霹靂のごとく大変驚いております。私たちは是非とも阪神・淡路大震災に見舞われた被災地の総意として、兵庫国際センターの存続を、強く、ここにお願いする次第です。」
また、文章のいたるところにJICA兵庫に対する熱い思いが綴られています。
「命がけで集積してきた経験と知見を更に研鑽を重ね、防災・減災の真髄を兵庫国際センターと連携しながら地元はもとより国内外に発信してきました」。
「この地は(中略)被災地の産官学民が協働して築き上げてきた知の財産の集積拠点となっています。その中心を担うのが兵庫国際センターです」。
「兵庫国際センターをなくすということは、日本の国にとって大きな損失であるとともに(中略)災害の多発する途上国にとっても大きな損失となります」。
「この地に築いてきた知の財産の根底には、あの震災で亡くなられた6434名の尊い存在があります。私たちの原動力です」。
最後は次のような文章で結ばれています。
「国際協力機構兵庫国際センターは、日本を代表する拠点として、地域及び世界との連携による多様な事業を展開するために不可欠なセンターであることから、兵庫県で活動している私たち市民団体はその存続を強く希望し、存続を要望するものです」。
(注2)要望書原文では、「国際機構」と記載されているが、筆者にて修正。その他引用文章についても必要に応じて同じ修正を反映している。
【自治体からの陳情】
一方のJICA大阪の地元では、廃止に反対する動きはなかったのでしょうか。
2010年4月23日に開催された「事業仕分け」第2弾の配布資料の中に、「(独)国際協力機構運営費交付金(国際施設の運営費)添付参考資料」というものがあります。その中に、「自治体からの陳情」という欄があります。JICA大阪には以下の3件が記載されていました(注3)。
①大阪府→JICA大阪(12月14日)
②大阪大学→外務大臣、JICA理事長(12月21日)
③茨木市→外務大臣、JICA理事長(12月22日)
一方、JICA兵庫に関しては、以下の3件が記載されています。
- 神戸大学→外務大臣(12月7日)
- 兵庫県NPO・NGO等→民主党県連、外務大臣、JICA理事長(12月9日)
- 神戸雇用主連絡会→民主党県連、外務大臣、JICA理事長(1月27日)
さらに事業仕分けでは、兵庫・大阪を含め、当時、札幌・帯広、東京・横浜も廃止、統合について議論されたのですが、その配布資料を見る限り、自治体や大学以外の市民団体や地元の経済団体からの陳情の厚さではJICA兵庫が突出していました(注4)。
「世話人代表」で筆頭に記載されている芹田氏は、「大阪センターは大阪市内から離れていたこともあり(注5)、市民とのつながりが兵庫センターほどはなかったと聞いています。ここ(兵庫センター)は須磨の頃(注6)から割とオープンにしていました」とお話しされました。
実際、当時JICA兵庫に勤務していた方によれば、「兵庫には県、神戸市、NGO/NPO、経済団体、協力隊OB会、シニアボランティアOB会など本当にたくさんの味方がいた。兵庫県や神戸市と一対一の密接なパートナーシップも築いていた」とのこと。
(注3)資料原文のまま。カッコ内は要望書に記載された日付と思われる。
(注4)「事業仕分け」第2弾の後には、2010年8月2日付で関西経済3団体(関西経済連合会、大阪商工会議所、関西経済同友会)が外務省に対し、『関西における海外人材の育成機能の維持・強化に向けた要望―JICA大阪の存続を求めるー』と題した要望書を外務省に対して提出している。
(注5)アクセス向上のため、JICA大阪とJR茨木駅を結ぶシャトルバスを運行していた。
(注6)JICA兵庫の前身となる兵庫インターナショナルセンターは2002年3月まで神戸市須磨区一ノ谷に立地。JICA関西センター物語(3)参照。
【政策的意義の比較】
事業仕分け配布資料には、「政策的意義」という欄があり、それぞれのセンターの特長も記載されていました。JICA大阪は以下の4点です。
・西日本最大のJICA事業の拠点。
・国公立、私立の有力大学や国立民族学博物館など国際協力に熱意のある研究・教育機関が存在、貴重な国際協力人材リソースあり。
・大阪大学(隣接)との密接な関係(連携協定締結)。
・中小企業振興、クリーンエネルギー等の分野で官民連携事業推進。
一方、JICA兵庫には、以下の3点が記載されていました。
・阪神・淡路大震災もあり、防災分野における我が国の経験・ノウハウの拠点的存在(市民防災に携わるNGOや自治体の広範かつ積極的な協力あり)。
・地元自治体の積極的関与(同施設内「国際防災研修センター」、隣接施設内「人と防災未来センター」・「国際健康開発センター」併設)。
・また、市内に国連国際防災戦略事務局、国連地域開発センター等国連機関存在。一連の国際協力関連の一翼。
この資料の中でも、「市民防災に携わるNGOや自治体の広範かつ積極的な協力」があると記載されていましたが、実際、要望書を取りまとめてくださった団体・賛同者の多くはこれら防災関連の団体、市民の方々でした。
【「JICAは神戸に必要だった」。世話人代表、賛同者の思い】
のちに「世話人代表」となられた吉富氏と村井氏の動きはスピーディーでした。要望書の筆頭者を当時、特定非営利活動法人CODE海外災害援助センター代表を務められていた神戸大学名誉教授の芹田健太郎氏に依頼、これを芹田氏は快諾されました。芹田氏曰く、「先頭を切ってやりました」とのこと。その理由を芹田氏に伺いました。
「これまでも兵庫センターにはお世話になっていましたし、これからもずっとお世話になると思っていました。CODEでJICA事業に関わっていたことはもちろん、神戸大学とも関係が深かった。国際協力研究科(注7)を作ったんです。須磨の時代から新入生のガイダンス、院生の指導などでも施設を使っていました。指導教員が自分の部屋で待っていて、院生たちがいつでも質問ができるようにしていました。センターの施設は重宝しました」。
要望書は短期間に取りまとめられました。その理由を吉富氏は次のように説明してくださいました。
「当時、市民団体のネットワークがいくつかありましたが、私(吉富氏)はその頃兵庫市民活動協議会という市民活動団体の代表を務めていました。対象は国内。一方、(筆者加筆:芹田先生が代表を務め、)村井さんが事務局長を務めていたCODE海外災害援助市民センターは国際系。二人でメールのやり取りをしながら要望書の作成に取り掛かると共に、それぞれ関連する団体に声を掛け、賛同者を集めました。電話で直接呼びかけたり、またさまざまな団体のメーリングリストを利用したり。兵庫県の職員の方たちのメーリングリストも提供いただき、そこからも多くの賛同者が集まりました。県職員の方は立場上このようなリストに名前を連ねることに抵抗があるのではないかと思うのですが、そんなことは気にされることなく賛同してくださいました。それほど兵庫県の皆さんの気持ちも強かったのだと思います。賛同してくださる方の多くがひと言メッセージを添えてくださったことが忘れられません。2~3日ほどで一気に集めました」。
要望書に添えられていた賛同者に記載されていたのは18団体、個人9名ですが、実際に賛同くださった方はそれよりもはるかに多かったようです。
吉富氏が要望書のとりまとめに動いてくださったのはなぜだったのでしょうか。
「もともとJICAとはそれほど接点はありませんでした。しかし自分たちが国際協力イベントをすると必ずJICAの人が来てくれました。またJICAの防災研修の中でいくつか講義を担当させていただくようになり、さらにJICAの草の根技術協力事業(注8)などにもかかわるなど、徐々にJICAとの付き合いが増え、深まっていきました。そんなときにJICA統合の話が出ました。なお、私はアフガニスタンの草の根技術協力事業にも関わっていたCODEの理事もしていました。
当時の兵庫センターの伊禮所長には県や市の懇親会などでお会いすることも多かったのですが、私がそのころ執筆していた新聞のコラムを読んでくださると必ず電話をくださいました。『今日のコラム、とてもよかったです』、『全く同感です』など必ず反応をしてくださいました。兵庫センターとの間では率直なお話ができる関係性ができつつあったのです。『地域に根を張った兵庫センターになりたい』との所長のお考えに賛同し支援に動かれた方もいらしたと思います」。
賛同者団体の一つ、FMわぃわぃの代表理事を務めておられた日比野純一氏も最初はJICAとのつながりはなかったと語ります。
「最初にJICAとつながりを持ったきっかけは、JICAが須磨からHAT神戸に移転するのを機に(注9)FMわぃわぃの事務所に不要になった机やイスをいただいたことでした。そのあとにJICAの人たちが事務所に来るようになりました。関係が強くなったのはJICAにDRLC(注10)が立ち上がったことです。当時、私たち兵庫の者は、震災から10年ほど経過し、復興途上であるものの、世界の人たちに恩返しがしたいと思っていました。2005年に(国連)世界防災会議が神戸で開催されて、コミュニティ防災が注目され、JICAの研修にも組み込まれました。JICAの人たちと直接接することも多くなり、だんだんとお付き合いも深くなっていきました。兵庫センターのために動いたのは、その積み重ねが大きかったと思います」。
多くの市民が存続のために協力してくださったようです。さらに日比野氏のお話です。
「兵庫県がHAT神戸にJICAを持ってきたのは、世界の人たちに恩返しがしたいという理由もあったからではないかと思います。それは震災で被害を受けた、この地の人たちの意向でもあります。JICAがなくなっては困ります。存続に対する協力を呼びかけたらみな、二つ返事で協力してくれました。
被害に遭った人たちのもとにJICAの研修員は来る。自分たちが世界の人たちに伝えたい。それは自分たちだけではできない。JICAはここ神戸に必要なのです」。
2010年4月23日に開催された事業仕分け第2弾では、事業仕分け第1弾の結果に関するフォローアップが行われ、その場で大阪を廃止し、兵庫に統合することが決定的となりました。この方針に対し、JICA関係者も含め、多くの人たちが驚きました。
次回は、どのような経緯でこの方針が決まったのか、さらにそれに対して兵庫存続のために活動された方たちがどのようなお気持ちを持たれたのか、関係者へのインタビュー内容も含めて報告させていただきます。
JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦
(注7) 神戸大学大学院国際協力研究科。1992年10月設置。芹田氏は同研究科長を歴任。吉富氏は芹田教授指導の下、同科で学んだ。
(注8) 国際協力の意思のある日本のNGO/CSO、その他民間の団体、地方公共団体または大学が、開発途上国の住民を対象として、その地域の経済及び社会の開発または復興に協力することを目的として行う国際協力活動。団体が有する技術、知見、経験を生かして提案する活動を、JICAが提案団体に業務委託してJICAと団体との協力関係のもとに実施する共同事業。
(注9) JICA関西センター物語(3)参照。
(注10) 国際防災研修センター(Disaster Reduction Learning Center)。2007年4月、兵庫県とJICAが共同で設立。JICA関西センター物語(11)参照。
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