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世界から地域へ 現代の「かわみなと」で描く、幸せのかたち

田実智幸(たじつ ともゆき)さん
NPO法人かわみなと 代表理事


~「あなたらしく」生きていると思えるのはいつですか?
「社会課題にチャレンジしているとき」

西アフリカのサハラ砂漠の南端に位置する国、ブルキナファソ。遮るもののない強烈な日差しが照りつけ、乾いた風が砂を巻き上げるその地で、田実智幸さんはかつて、深い無力感の中にいました。JICA海外協力隊の村落開発普及員として派遣されたものの、自分には医療の知識もなければ、井戸を掘るような土木の技術もない。「自分は、何かの専門家ではない」。その事実は、目の前の厳しい現実に立ち向かおうとする彼にとって、重い足枷のように感じられました。
しかし、その葛藤こそが、田実さんの人生を決定づける大きな転換点となりました。専門技術を持たないからこそ、自分にできることは何か。悩み抜いた末に辿り着いたのは、シンプルでありながら、何よりも強力な「人と人を繋げる」という役割でした。

「繋げること」しかできないからこそ、できたこと

村の人々の暮らしを少しでも良くしたい。その一心で新規事業を模索していた田実さんですが、素人のアイデアだけでは限界がありました。そこで彼は、自分の周りの協力者を探します。当時、日本人の専門家の中に魚の養殖のプロがいることを知った田実さんは、すぐさま協力を依頼しました。「自分に技術はないけれど、この専門家と村の人々を結びつけることならできる」。そう信じて奔走した結果、村の人々と専門家の間に橋が架かり、新たな養殖場が完成したのです。

また、あるとき村の診療所の周りがゴミで埋め尽くされていることに気づいた彼は、有志による「ゴミ拾い」を企画しました。すると、彼の熱意に引かれたほかの隊員たちが各地から駆けつけ、単なる清掃活動は大きなイベントへと姿を変えました。この動きはさらに広がり、別の隊員の任地でも同様の活動が始まり、やがてブルキナファソ国内の日本人ボランティア全体を巻き込む一連のムーブメントにまで発展したのです。
「自分は専門家ではない。けれど、誰かと誰かが出会うと必ず新しい何かが生まれるので、情熱を持って橋を架けることはできる」。この確信は、今の田実さんの活動を支える揺るぎない背骨となりました。

便利すぎる日本で問い直す「幸せの基準」

英国留学や国連アルメニア事務所での勤務を経て、田実さんは人生の舞台に新潟県阿賀町を選びました。協力隊の同期がこの地で活動していた縁で訪れた際、阿賀町の豊かな山々と清流、そしてそこに流れる静かな時間に、文字通り一目ぼれしたと言います。「この美しい自然の中で、家族と共に暮らし、子育てをしたい」。その直感に従い、アルメニア人のパートナーと共に移住を決断しました。

田実さんが阿賀町での活動、そして自身の人生設計において最も大切にしているのは、海外での経験を通じて得た「世界基準の価値観」です。それは、言い換えるならば「幸せの基準」のことです。
「今の日本は、当たり前の幸せに気付けないほど便利になりすぎてしまったのではないか」。田実さんはそう問いかけます。蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば明かりが灯る。その利便性と引き換えに、私たちは人と人が繋がり合い、助け合って生きていたアフリカでのような日々をどこかに置き忘れてはいないか。電気も水道もないブルキナファソで、人々が寄り添い、絆の中に喜びを見出していた光景。その原体験をベースに、田実さんは「本当の幸せとは何か」「どうすればそれを感じられるのか」を改めて考え、それを法人の運営方針や、自分自身の人生設計そのものに取り入れています。

現代の「かわみなと」を再生する

田実さんが代表を務めるNPO法人「かわみなと」が拠点とする阿賀町津川地区は、かつて会津と越後を結ぶ阿賀野川の物流拠点「川湊(かわみなと)」として栄えた歴史を持ちます。多くの人や物、情報が激しく交差したその場所を、現代の文脈でアップデートし、人が繋がることで何かが生まれる「交流の交差点」として再生すること。それが田実さんのミッションです。
その挑戦は、今や国境や世代を超えた鮮やかな光景を町に作り出しています。かつてフランス語圏であるブルキナファソで磨いた語学力を活かし、田実さんは積極的にインバウンドの受け入れを進めました。結果、今では世界15の国と地域から宿泊客が訪れるまでになり、地元の温泉宿の女将さんも「一人の若者の力でこれほど景色が変わるのか」と驚きを隠せません。
さらに驚くべきは、そこで生まれた繋がりの深さです。旅行客として偶然阿賀町を訪れた一人のフランス人が、田実さんの活動と阿賀町の魅力に深く共鳴し、現在はなんとNPOのスタッフとして共に汗を流しています。町では「フランス文化祭」も開催され、静かな山間の町に、阿賀野川のせせらぎとフランス語の響きが混じり合う、新しい文化の交差点が誕生しました。

地域を支える、次世代の「結び目」

田実さんの「繋ぐ」魔法は、町の若者たちにも伝播しています。運営する学生寮「緑泉寮」で暮らす高校生たちは、単なる寄宿生ではありません。彼らは自ら地域の集落の祭りに飛び込み、大人たちと協働して伝統を支え、社会福祉協議会でのボランティア活動にも積極的に励んでいます。
過疎化が進む集落にとって、若者のエネルギーは何よりの宝物です。一方で高校生たちにとっても、学校や家庭以外の「サードプレイス」で地域の人々に頼られ、役割を持つ経験は、大きな自己肯定感へと繋がっています。「地域の人が自分たちの力で未来をつくる。その背中をそっと支える存在でありたい」。田実さんのその想いは、高校生たちの瑞々しい活動を通じて、着実に形になっています。

未来への一歩、出会いこそが宝物

ブックカフェ「風舟」では、一冊の本をきっかけに旅人と住民が語り合い、温泉施設「清川高原保養センター」では、朝ヨガの後に多世代が笑い合って湯に浸かる。田実さんが手がけるこれらの拠点は、単なる施設ではありません。そこは、かつての川湊がそうであったように、多様な価値観が交差し、新しい物語が次々と生まれる「港」そのものなのです。

「現場にはあなたの活動を支えてくれる地域の方や優しさが必ずある。そうした出会い自体が、人生の宝物になる」
田実さんはそう確信を込めて語ります。彼が「社会課題にチャレンジしているとき」に自分らしさを感じるのは、その挑戦の過程で必ず、かけがえのない「繋がり」が生まれることを知っているからです。専門家ではないからこそ、誰よりも謙虚に、そして大胆に人を繋ぎ続ける。田実智幸さんが阿賀町に描き続ける物語は、便利さの先にある「本当の豊かさ」を、私たちに力強く伝えてくれています。

※記事内の写真は本人・保護者の了承を得て掲載しています。

プロフィール

田実智幸(たじつ ともゆき)
NPO法人かわみなと代表理事。元JICA海外協力隊(2005年度ブルキナファソ・村落開発普及員)。国連や開発コンサルタント等の業務を経て、2019年に新潟県阿賀町へ移住。地域おこし協力隊としてインバウンド誘致や地域活性化に尽力。2020年にNPO法人かわみなとを設立。「ものがたり、はじまるみなと」をコンセプトに、交流拠点「風舟」、温泉施設「清川高原保養センター」、学生寮「緑泉寮」を運営。地方の過疎化や少子高齢化による課題に挑戦している。