日本、JICAが特別な存在であり続けるために ~61年間のニカラグア協力~



2025.03.21
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- ニカラグア事務所長 小谷知之
2025年はニカラグア・日本の外交90周年の節目にあたり、JICAもニカラグアと長い協力の歴史を歩んできました。今、日本やJICAにとって、ニカラグアとこれからも絶えず長く共に歩み、特別な友人である証を示すべき重要な時期にあります。
北米大陸と南米大陸の間の地峡に位置する中米ニカラグアは、大航海時代の16世紀から300年間に亘るスペイン人統治を経て1821年に独立しました。しかし独立後も米国や英国の干渉を受け、また国内でも内戦の歴史を生きてきました。西部は太平洋、東部は大西洋に面し、19世紀の米国ゴールドラッシュ時代から、パナマ運河と同様に両大洋間を結ぶ有望な交通ルートとしてニカラグア運河建設計画が存在し、現在もルートを変更するなどして計画自体が存在しています。
現政権は1980年代に政権を握った社会主義政権サンディニスタ党(FSLN)率いるオルテガ大統領が、2007年から政権復帰を果たし約20年の間指揮を執っています。
2025年は、ニカラグアを含む中米5カ国(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)と日本との外交関係樹立90周年ですが、JICAは、両国の友好関係の歴史の中で、ニカラグアの協力パートナーとして長年、大事な一翼を担っています。JICAは、1964年に最初のニカラグア人研修員を「農地改革」コースで日本に招いて以来61年間、ニカラグアの協力パートナーとして役割を果たしてきました。
農牧業立国ニカラグアゆえ、JICAの協力も「農牧水産業」、また「教育」「保健」「上水」といった基礎的社会サービス分野を中心に展開してきましたが、1998年に中米を襲ったハリケーン・ミッチの直後にニカラグアに派遣した国際緊急援助隊医療チームの支援を機に、「防災」「環境」分野における協力も重点的に展開してきています。
ニカラグアの政府高官から国民まで、JICAの協力といえば「橋梁建設」「学校建設」といった資金協力を通じて建設された国内24橋(現在25橋目を建設中)、258校などのインフラ実績を挙げる人が多いですが、他にも国定教科書に認定された小中高の算数教科書・指導書作成を支援した技術協力や、スポーツを含めた幅広い分野でのボランティアの活躍なども、両国協力のシンボルとして広く認識されています。
ニカラグア事務所に私が着任して2年が経過しました。この間、中南米ならではの日系ペルー人環境専門家マリノ・モリカワ氏との連携によるマナグア湖水質改善プロジェクト調査・形成、JICAボランティアが立ち上げた「ニカラグア女子野球と読売巨人軍との連携強化」、日本人アーティスト蓑輪Flo章子氏との連携によるエコマスコットの誕生と琵琶湖、滋賀県関係者との環境教育活動などが、所内スタッフと日本・ニカラグア両国関係者の発意と協働作業で実現しました。政府から村落まで、ニカラグア国民のJICAに対する高い期待と親日感情を日々実感します。我々日本人も、どこか懐かしいニカラグア人の人懐こさと温情に心を打たれ、ともすれば忘れがちな大切な価値を学ぶことが多いです。
大切なアミーゴであり、協力パートナーであるために、JICAは協力実施機関として、ニカラグアが必要とする協力を一日も絶やすことなく推し進めることが大事です。現在、多くの欧米ドナーがニカラグアから撤退し、ロシアや中国などの新興ドナーが援助を拡大してきています。JICAは61年間ぶれることなく、ニカラグア政府そして国民が必要とするニーズに手を差し伸べ共に歩んできました。JICAはこれからもニカラグアと手を取り、可視化したインパクトを生み続けることが重要で、それがニカラグアの政府高官からコミュニティレベルまで全ての人々が「日本はやはり特別な存在」との思いを強くし、何十年と続く信頼を得ることになると考えます。
今後も、JICAが果たしうる「国際協力」の役割を限定的な枠にはめることなく、日本代表の一員として肩幅を広くして、ニカラグアの記憶に残る日本ならではの取り組みに挑戦していきたいと思います。
日系ペルー人マリノ・モリカワによるマナグア湖水質調査
読売巨人軍女子チームとニカラグア女子野球チームの試合。外野席も埋め尽くした
蓑輪章子創作のエコマスコット“Xolt”
“Xolt”を使った環境教育マンガ
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