【絵本『カカ・ムラド~ナカムラのおじさん』出版記念】中村哲医師がアフガニスタンで実践した「人間の安全保障」とは

2021.02.26

2020年12月、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の1周忌にあわせ、絵本『カカ・ムラド~ナカムラのおじさん』(双葉社)が出版されました。中村医師の功績を子どもたちに伝えたいとアフガニスタンのNGOガフワラが出版した絵本を、日本語に翻訳したものです。これを記念し、中村医師と親交が深かったバシール・モハバット駐日アフガニスタン前大使、日本語版の制作に携わったJICAの永田謙二国際協力専門員とJICA緒方貞子平和開発研究所の上原克則課長が、中村医師の功績と人間の安全保障の実践について語りました。

※このインタビューは、新型コロナウイルス感染症対策の上で実施し、その際の発言を要約・編集したものです。

アフガニスタンの合言葉「ナカムラさんに学べ」

上原:私がこの絵本を日本に広めたいと思ったのは、絵本の原作者であり、母国でNGOガフワラを立ち上げたザビ・マハディさんの言葉が忘れられなかったからです。それは、「中村先生によるアフガニスタン東部での灌漑事業で、65万人が定住できるようになった。アフガニスタンの人口は約3000万人なので、あと50人の中村先生が生まれれば、国民全員が幸福になれる」というものです。そのための一助になりたいという思いに加え、アフガニスタンの人々が中村先生をいかに尊敬しているか、守れなかったことをいかに悔いているかを日本の人々に伝えたいという思いから、出版をお手伝いさせていただきました。

JICA緒方貞子平和開発研究所の上原克則課長

永田:私が水資源開発・管理の長期専門家としてアフガニスタンに赴任した2011年、すでにJICAと中村先生は共同事業を始めていましたが、私が中村先生と深く交流するようになったのは2014年からでした。これだけ国際社会が支援しているのに、なぜアフガニスタンは平和にならないのかという疑問を抱えていたところ、中村先生はクナール川下流域で用水路を完成させ、国内外に避難していた人々が定住し、農業をして暮らしていける基盤をつくっていました。巨額の支援をしても難しい事業を、なぜ中村先生はなし得たのか。私は水資源の専門家としてその答えを知りたくて、中村先生に何度も何度もお話を聞き、博士論文にまとめました。そこで思ったのは、中村先生のカリスマ的なリーダーシップはもちろんですが、それまで何十年と続けていた医療活動を通じて地域社会の人たちとの信頼関係があったからこそ、誇り高いアフガニスタンの人々が先生についていったのではないか、ということです。共に汗を流して水路をつくり、農民たち自身で維持管理し、“自分たちの水路”だと思ってもらえたことが、あの偉大な事業を成し遂げた要因ではないかと考えています。

上原:モハバット前大使は、2020年11月に行われた中村先生の追悼の会で、「中村先生はエンジェルのような人ではなく、エンジェルそのものだった」と語っていましたね。

モハバット前大使:以前から中村先生のことは知っていましたが、私が2003年に駐日アフガニスタン大使館の二等書記官になったのを機に親しくなりました。彼がアフガニスタンでどれほどのレガシーになっているかというと、例えば、歌やスーパーマーケット、道路、スポーツ大会などに「ナカムラ」という名前がついています。汚職や賄賂に手を汚す人には、「ナカムラさんに学べ。恥ずかしくないのか」と言われるほどのヒーローなのです。中村先生は36年もの長きにわたってアフガニスタンに貢献してくださいました。中村先生の灌漑事業によって65万人が定住できるようになったという話がありましたが、新たに生まれた子どもたちを含めれば、その恩恵は200万人にも300万人にも及ぶでしょう。中村先生といろいろ話した中で特に印象に残っているのは、「やればできる」という言葉です。ありきたりの言葉ですが、砂漠をオアシスにした先生が言うと、本当に重みがある。アフガニスタンには「男は殺されても死なない。名前があれば永遠に生きる」という歌がありますが、先生がまさにそういう人。しかも決して偉ぶらない、日本のことわざにもある「実るほど頭を垂れる稲穂かな」そのままの人でした。

どんな困難も「創意と工夫」で乗り越える

永田:水資源のエンジニアである私からすると、あの河川に取水堰を建設することがいかに難しいことかよくわかります。ところが中村先生は医師だったので、ある意味、無謀とも思える挑戦ができたのではないか。中村先生も「何度も失敗したんだよ」と言っていましたが、失敗と工夫を繰り返し、あの大きな仕事をやり遂げたのは本当にすごいことです。

JICAの永田謙二国際協力専門員

上原:中村先生は以前から、「人間の幸せとは三度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせること」と仰っていました。これこそが、「人間の安全保障」の究極のビジョンではないかと感じています。中村先生が意識していたかどうかはわかりませんが、「人間の安全保障」が概念化する以前から、実践されていたのではないかと思うのです。

永田:2019年の春頃から、中村先生と灌漑事業のガイドラインをつくろうと、何度も打ち合わせをしていました。その過程で日本に招聘して協議を行っていたアフガンスタン政府の行政官に向かって、「自分は素人なのに、創意と工夫でここまでできた。皆さんも創意と工夫で継続して事業に取り組んでほしい」と中村先生が話されていました。今となってはそれが遺言のように思われます。亡くなる約1ヵ月前、中村先生は「これからが天王山だ」という言葉を使われていました。これからが大事だと。中村先生を支援してきたNGOペシャワール会や現地NGOであるPMS(PEACE JAPAN Medical Service)の協力でガイドラインはほぼ完成しつつあります。これを活用して先生のPMS方式灌漑事業をアフガニスタン全土に広げていきたい。そのために、アフガニスタン政府の中に志の高い人を集めた「チーム中村」をつくり、JICAと共に引っ張ってもらえたらと願っています。

モハバット前大使:行動力があって中村先生の考え方を理解し、国のことを心から考えている人たちのチームですね。とてもいいアイデアだと思います。

常識にとらわれず、何が必要かを見極める力を

上原:人づくりという意味では、JICAは2011年から「未来への架け橋・中核人材育成プロジェクト(PEACEプロジェクト)」を展開しています。アフガニスタンの開発を推進する人材育成のため、行政官や大学教員などを日本の大学院での学位取得のために受け入れるものです。実は、絵本の原作者のマハディさんも、このプロジェクトで2015年に来日されました。日本滞在中に、子どもの情操教育や平和教育には絵本こそが重要であると考え、帰国後にNGOガフワラを立ち上げたという経緯がありました。このPEACEプロジェクトこそ、「人間の安全保障」を提言し、当時、JICA理事長だった緒方貞子さんの肝いりで始まったものです。緒方さんも、アフガニスタンと関わりの深い方でした。

バシール・モハバット駐日アフガニスタン前大使

モハバット前大使: PEACEプロジェクトは、アフガニスタンの100年先、200年先を考えて緒方さんが立ち上げてくださった。アフガニスタンは全てを失いましたが、特に失ったのは教育。国づくりは人づくりという考え方が根底にあります。人を育てるためには、世界を知り、視野を広げることが大切だと。中村さんが「アフガニスタンの父」なら、緒方さんは「アフガニスタンの母」です。

永田:PEACEプロジェクトが始まった当時、カブールの水・エネルギー省にいた私は、留学を希望する若い職員たちの省内選抜試験を担当していました。PEACEプロジェクトはコネや出身などに関係なく公平に人選していたので、若い政府職員は自分にもチャンスがあるととても喜び、希望に満ちていたのを覚えています。

上原:緒方さんも中村先生も、信念の人、実践の人として、まさに「人間の安全保障」の実現に貢献されていたのだと感じます。

永田:「人間の安全保障」という観点から考えると、中村先生も緒方さんも、常識にとらわれなかったという部分で非常に似ていると思います。緒方さんは国内避難民(国境を超えない避難民)を支援対象外とする国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のルールを変え、中村先生は医師にもかかわらず、薬よりも水や食料があればみんなが健康で幸せになれると用水路の建設を始めました。

モハバット前大使:2人から学べるのは、何が必要か、何が大事かを見極めるのが重要ということ。ひとつの道だけを突き進むのではなく、もっと効果的な方法を見つけたら、勇気をもって方向転換してもいいということだと思います。

上原:今後、2人の遺志をどのようにつないでいこうと思いますか。

永田:中村先生が命をかけてやってきたことを、JICAが支えていければと思います。なかなか現地に行けない中でも、ガイドラインを活用して、アフガニスタン政府や国連機関などと連携しながら、中村先生のPMS方式灌漑事業をアフガニスタン中に広めていければと考えています。中村先生がいない今、アフガニスタン政府の人たちが本気になってPMS方式灌漑事業をやっていくことが大切です。5人でも10人でもいい、本気で一緒にやってくれる人がいればと願っています。

モハバット前大使:JICAや日本政府の協力は必要ですが、アフガニスタンの人々自身が行動しないと意味がありません。私も日本とアフガニスタン両チームの架け橋となり、中村先生の夢を20年、30年先に実現させたいと考えています。

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