【長村裕佳子研究員インタビュー】日系移民史から見えてくる日本社会の今

2021.08.13

約100年前、日本から海外へ渡り、新たな暮らしを築いた人々がいる—。そんな「移民」の存在は、多くの日本人にとって少し遠くに感じられるかもしれません。しかし、実は現代の日本社会にも深く関わっています。JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)で移民史を研究する初の研究員として2020年9月に着任した長村裕佳子研究員に、新しく立ち上げた移民史研究プロジェクトとその意義について聞きました。

移民史からのアプローチで現代の日本社会を考える

—移民史研究を始めようと思ったきっかけは?

「ボサノヴァってかっこいいな」。そんなカジュアルな理由でブラジルに興味を持ち、大学でポルトガル語を専攻しました。在学中にブラジル南部の大学に留学した際、その地域にはイタリア系移民やドイツ系移民が多かったので、ブラジルに暮らす人々の多様性に衝撃を受けました。さらに日本からの移民も目立っていて、「どうしてブラジルに日系人がいるんだろう?」という素朴な疑問が芽生えたことが、私の研究につながるきっかけだったように思います。

大学卒業後は、ブラジルのサンパウロで発行されている「ニッケイ新聞」という邦字新聞の記者になりました。各地の日系コミュニティーを取材して回るうち、日々の記事を書くだけでなく、もっと考察を深めたくなり、ブラジルの大学院に進学して研究を始めました。日本人は私しかいない環境で、ブラジルの視点から日系移民の歴史について研究できたのは大きな意味がありました。でも、日系移民についての研究は、日本語の文献にアクセスしやすいこともあり、移民を送り出した側である日本でも多くの研究蓄積があります。そこで、今度は日本の大学院で研究を続けたいと思い、国際関係論で博士の学位の取得を進めながら、2020年9月にJICA緒方研究所に着任しました。

—新しく立ち上げた研究プロジェクトについて教えてください。

研究プロジェクト「日本と中南米間の日系人の移動とネットワークに関する研究」の主査を務めています。このプロジェクトの強みは、さまざまな専門分野の外部研究者9人とチームを組むことで、移民の問題を多角的に掘り下げて研究できる点です。例えば、私は社会学の立場から移民史を研究していますが、プロジェクトチームの中には、歴史学の研究者もいれば現代の移民が抱える課題を専門としている研究者もいますし、日系人の研究者にも加わってもらっています。そうした多様なメンバーで、移民史からアプローチしながら現代の日本社会を考えていくのが大きな研究テーマです。

サンタ・カタリーナ州フレイ・ロジェリオ市の日系人移住地「ラーモス移住地」で開催されたさくら祭り

中南米には戦前戦後に約30万人の日本人が渡り、現地に根付いて家庭を築くことで各地に日系コミュニティーが生まれました。1990年の出入国管理法(入管法)改正で、日系3世までは日本で就労できるビザをとれるようになり、いわゆる「出稼ぎ」に来る日系人が増えました。バブル期の労働力不足を補う日本側の期待もあったわけです。彼らの労働環境、その子どもたちの教育、日本に暮らす外国人の権利、日本で生まれ育った日系4世、5世のアイデンティティーなど、彼らが直面してきたさまざまな課題は、日本社会の状況と深く関係しています。

実はJICA緒方研究所で移民史に関する研究をするのは初めてです。ガラシーノ・ファクンド研究員も移民に関する別の研究プロジェクトを立ち上げており、それぞれ約10人ずつ研究者が参加していますから、一気に大規模な移民関連研究が動き出したことになります。今後は、研究成果を論文として発表していくほか、書籍にもまとめる予定です。

書かれなかったものから歴史を掘り起こす

—長村さん自身はどのように研究していくのか、具体的な研究手法を教えてください。

主に、書かれた文献や資料の調査と、対象者への聞き取りの手法があり、研究内容によって使い分けたり組み合わせたりしています。例えば2021年6月の日本ラテンアメリカ学会定期大会では、「感染症と移民史にみる医療の経験—ブラジルへの渡航者を事例に—」をテーマに研究成果を発表しました。これは戦前に日本人の海外渡航が増加して、移民による病気の伝搬が問題となったことを取り上げましたので、当然ながら、リアルタイムの聞き取りはできません。そこで、当時の移住事業に関する資料や外交資料、移住先の邦字新聞などを調べ、衛生管理や医療の問題についてどのような議論がなされていたのかを調査分析しました。書き残された資料、例えば新聞というのは面白いもので、当時の邦字新聞にも読者投稿欄があったり、読者の問いに記者が答えるQ&Aのコーナーもあったりします。それを読むと移民の暮らしぶりが分かりますし、行政資料からだけでは決して見えてこない、移民の、かつ一般の人々の生活を垣間見ることができます。一方、研究対象者や関係者が存命の場合は、直接聞き取りを行うことで、生の声を記録としてまとめていきます。いわゆるオーラルヒストリーと呼ばれる手法です。一口に「移民」もしくは「日系人」といっても、一人一人のライフストーリーや経験、それに対する感じ方は千差万別です。そうした多様な生を写し取るのに、オーラルヒストリーはとても有効だと考えています。

サンパウロ州プロミッソン市の日系人移住地「上塚植民地」で聞き取り調査にご協力いただいた安永さんご家族

—オーラルヒストリーの手法を使う意味は?

オーラルヒストリーにおける聞き取りというのは、単なる「インタビュー」とは違います。対象者と調査者の間の信頼関係がなければ成立しません。その固有の関係性の中で、対象者がどういう文脈で何を語ったか、あるいは語らなかったかが非常に大事になってきます。そのため、聞き取りの後にもう一度聞き直すだけでは不十分で、何度か聞き直して初めて気がつく発見もあります。

オーラルヒストリーは、主観的すぎて科学的ではないという論争が学術界ではあります。でも私は、書かれたものだけが「真実」とは限らないと思っています。そもそも文書に残される言葉というのは、発言権があった人や地位が高い人、家長の男性目線で語られた意見だったりすることが多いからです。そうではない一般の人々、女性、弱い立場にあった人々の声も知りたいので、移民史研究にはオーラルヒストリーが欠かせないと考えています。

日系人といっても、何世なのか、どこに生まれ育ったのかなど、さまざまな背景の違いによって、アイデンティティーは一人一人全く異なります。私はそうした個人の、あるいは個人が属するコミュニティーの経験を大事にしたい。ビザの形態がどうかといった国が定めた枠組みから見えないこと、書かれていないものから歴史を掘り起こしていくことが、この研究の醍醐味だと感じています。

研究成果を閉ざすことなく、広く社会に発信したい

—移民史研究を日本社会にどのように還元したいと考えていますか?

今の日本社会には多くの外国人が暮らし、私たち日本人の生活にも密接に関わっています。入管法改正から30年、来日する日系人に限ってみても、そのアイデンティティーはますます複雑かつ重層的になっています。日本に暮らす外国人や日系人がどうしたらより生きやすいのか、多文化共生を理解しなければなりません。日本社会のさまざまな課題に向き合う際に、移民史研究の視点を生かせると思います。

また、私たちの研究プロジェクトでは横浜にあるJICA海外移住資料館とも連携しているので、そこにも研究成果を反映させていきたいと考えています。同資料館では日本の海外移住の歴史を広く発信していて、2022年に開館20周年を迎えます。研究成果をベースに、資料館の展示内容を現代に即した情報にアップデートしたり、研究プロジェクトの研究者と一緒に市民向けの多文化理解の講座を企画したりしているところです。自分一人でできることには限りがありますが、自分の専門以外の分野や地域の研究者と対話を重ねることで、移民史についてもっと考察を深めていきたいと考えています。さらに、その成果を研究の世界に閉ざすのではなく、広く一般の人々に伝えていきたいです。

■長村裕佳子研究員プロフィール
ブラジル・パラナ連邦大学大学院社会学専攻修士課程修了、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻満期退学、同大博士(国際関係論)学位取得。ブラジルの邦字新聞「ニッケイ新聞」記者、茨城NPOセンター・コモンズ外国人支援担当コーディネーター、日本学術振興会特別研究員(DC2)、上智大学での特別研究員などを経て、神田外語大学の非常勤講師を務めている。2020年9月にJICA緒方研究所に研究助手として着任し、2021年4月から現職。

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