JICA緒方研究所

ニュース&コラム

【JICA-RIフォーカス 第31号】木滝秀彰主任研究員に聞く

2015年9月16日

過渡期にあるベトナム医療の効率性を分析

新興国として注目されるベトナム。母子保健や感染症の予防・対応など従来からある課題に加えて、医療サービスの質の向上や、より効率的で持続可能な医療制度の構築も課題となってきています。

木滝秀彰主任研究員は、経済学の手法を使ったアプローチで医療などの公共サービスを研究しています。2014年7月から進めてきた「ベトナムにおける医療機関の効率性に関する研究」の現地調査を終え、現在はデータの精査などに取り組んでいる木滝主任研究員に、研究の目的や背景、将来的に期待できる成果、また「質の高い成長」との関係などについて聞きました。

■プロフィール
内閣府経済社会総合研究所を経て、現職。専門は、マクロ経済学、 応用計量経済学、医療経済学、公共経済学。



医療の過渡期にあるベトナム

-この研究の目的は?

一般に、低所得国では、保健医療のテーマは母子保健や感染症の予防・対応などが中心になっています。一方、ある程度所得が向上してきた国では、日本など高所得国と同じように、生活習慣病のような非感染性疾患が死因の多くを占める傾向にあります。そうなると、保健医療も母子保健や感染症とは違った対応が必要になってきます。ベトナムはまさに今、その段階に差し掛かっています。

この研究では、ハノイやホーチミンなどの大都市およびその周辺の6省市の省・地区レベルの公立病院と私立病院を対象に効率性を計測するとともに、その効率性に影響を与えている要因を分析します。例えば、病院の効率性がどのような分布になっているのか、病院の種類によって効率性に差があるのかなどについて明らかにしていきたいと考えています。

医療サービスを提供するためには、医師、看護師、薬剤師などのほか、ベッドや機械設備、検査設備など、資源のインプットが必要です。同じインプットであれば、多くの患者を診ている病院のほうが効率的であるといえます。もちろん、多くの患者を診ていても、例えば治療の質が低ければ必ずしも効率的とはいえませんので、分析ではそうした点にも注意する必要があると考えています。


大病院への集中とサービスの市場化に直面

-研究の着想に至った背景は?

一般に、所得水準が向上すると、国民一人当たりの医療費も増える傾向にあります。これは、医療に充てられるリソースが国全体として増えるためです。一方で、その増えたリソースをいかに効率的に使うかも大事になってきます。しかし、効率性という観点から考えた場合、ベトナムの医療システムには2つの課題があります。

廊下まで患者のベットが並ぶ、ホーチミン市のチョーライ病院(2011年)
廊下まで患者のベットが並ぶ、
ホーチミン市のチョーライ病院(2011年)
(写真:永武ひかる/JICA)

一つは、大病院への集中です。ベトナムの公立病院は、地区、省、中央の各レベルの病院に階層化されていますが、ベトナムの多くの人は、地域の小さな病院よりも、大病院をより信頼しているように感じます。本来であれば、3時間待ち、4時間待ちの大病院よりも、すぐに診察してくれる身近な病院のほうがいいはずなのですが、省・中央レベルの大きな病院に患者が集まってしまいます。そうすると、人や予算などの資源を大病院に優先的に投じなければならず、いつまでたっても地域の小さな病院を改善することができなくなります。人々が、思い込みや誤解に基づいて行動すると、それが結果として事実になってしまうことがありますが、ベトナムの病院の場合も、それに似た悪循環に陥ってしまっているように思います。

もう一つは、医療サービスの市場化です。ベトナムでは医療制度改革による公的医療保険の導入に伴い、公立病院が患者から費用を徴収することが可能になりました。診療する患者が増えれば増えるほど、病院の収入も大きくなるというわけです。加えて、従来は医療サービスを提供する医療機関は公立病院が主体でしたが、近年は都市部を中心に私立病院の参入が目立っています。約1,200ある病院のうち、1割強を私立病院が占めています。これらの私立病院は営利を目的としていますから、必然的に競争が生まれます。つまり、医療サービスが、市場志向に移行しつつあるということです。しかし、こうした市場化が病院の効率性にどのような影響をもたらすかは、十分な検討や評価がなされていないのが現状です。


ベトナムで初めて地区病院の効率性を分析

-研究の進め方と課題は?

先行研究で用いられてきた方法の一つに、DEA(Data Envelopment Analysis:包絡分析)があります。投じられる資源(インプット)と生じる成果(アウトプット)の比率から、いちばん効率的なインプットとアウトプットの組み合わせの集合(包絡面)を推定し、それぞれの病院が包絡面に対してどこに位置しているかを計測し、効率性を評価するというものです。包絡面から離れるほど、効率性は低いということになります。今回の研究ではこの手法を用いて、対象となる病院の効率性を分析します。DEAを使って病院の効率性を分析するという試みは、先進国でも途上国でも行われていますが、ベトナムについていうと、私立病院や省・中央レベルの大病院などを対象にした、限られたものしかありません。今回の研究の対象に含まれている地区病院の分析例は、私が知る限りありません。

研究を進めるうえで難しいのは、データの収集が簡単ではないことです。収集にあたっては、直接病院を訪問し、必要なデータの提供を依頼しています。入院患者数や退院患者数、外来患者数といった代表的な指標から、それぞれの年齢別、性別の内訳、さらに医師数や看護師数、ベッド数などに至るまで、病院の属性、インプット、アウトプットについての3年分のデータです。その多くは病院にとって基本的な情報だと思っていたのですが、実際に調査を始めてみると、いくつかの項目で「データがないので提供できない」とする病院が少なからずありました。データが集まらないと現状を把握することができないので、これがもっとも大きなハードルだと言えるでしょう。

もう一つ挙げるとするなら、ベトナム固有の医療制度です。こうした研究を行うためには、その国の医療制度を十分に理解することが重要なのですが、ベトナムの医療制度は非常に複雑です。たとえば日本の場合、どの病院に行っても医療費の自己負担は3割が原則です。ところがベトナムの場合、どのような人がどの病院に行くか、どのような治療を受けるかで、自己負担の割合が異なります。医療制度に関する情報が十分でないこともあって、こうした複雑な制度を理解することは容易ではありません。しかし、その理解がないと、効率性の背後に隠されたさまざまな要因を考察することも難しくなってしまいます。

ベトナム保健省の担当者らも、どのように効率的で効果的な医療サービスを提供できるようにするかについて関心を持っているようです。今回の研究は6つの省市が対象ですが、もっと全国的な分析をしてほしいという希望も聞きました。


システムの政策論議に効率性の視点は重要

-今後の途上国での政策決定や国際支援へ与える示唆は?

途上国の医療上の政策課題という観点では、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)という概念があります。国民皆保険のようなアプローチも、UHCの概念に基づくものです。国民皆保険は非常に重要ではあるのですが、一方で、医療は、需要者である患者、供給者である病院、規制当局である政府がいて、システムとして動くものです。UHCを実現するためには、医療がシステムとしてうまく機能する方法を考えなければいけないと思います。つまり、今ある資源を効率的に使って効果的な医療を提供し、患者の需要に応えることが求められるというわけです。そのように医療システムを多面的にとらえて政策論議をする上で、効率性という視点は非常に重要になってくると考えます。

「効率性」という言葉から、「非効率なものを切り捨てる」と考える人もいるかも知れません。しかし、経済学がいうところの効率性とは、同じ資源をインプットするなら、最大限多くの財やサービスを生み出し、それを享受できるようにするという意味です。

たとえば、100人の医師で100人の患者を診るA病院と、50人の医師で100人の患者を診るB病院があり、医療サービスの質に差がないとしたら、効率的なのはB病院であることは誰の目にもわかります。このとき、B病院の経営手法をA病院に取り入れるなどして、より多くの患者に医療サービスを提供できるようにしようというのが、効率性向上の考え方です。けっして、単純にA病院の医師50人を解雇し切り捨てればよいと考えるものではありません。誤解を受けやすい言葉でもあるので、丁寧に説明していく必要があると考えています。

現在は、途上国に限らず、医療や教育などの公共サービスのあり方が問題になっていると感じます。公共サービスの生産性や効率性を計測することは、政策形成の上で極めて重要だと考えています。今後もそうした分野でいろいろな研究活動をしていきたいと思っています。


包摂性、強靭性、持続可能性とイノベーションこそ医療

-「質の高い成長」と医療や、この研究との関係をどうとらえていますか?

日本政府が2015年に決定した開発協力大綱では、国際協力の重要課題として、包摂性、強靭性、持続可能性の3つを備えた「質の高い成長」を挙げています。また、研究所では、この「質の高い成長」を考える際に、イノベーション(創造性)が果たす役割に注目している訳ですが、私はこの研究のような医療分野の研究は、このすべての側面に関連すると考えています。

たとえば、医療を普遍的なサービスととらえるのであればその充実は「成長の質」における包摂性への貢献につながりますし、社会のセーフティネットとして医療システムを整備するという点では強靭性への貢献にもなり得ます。そして、医療システムは持続可能性を担保しなければ人々の信頼を得ることはできません。医療は包摂性、強靭性に貢献し、持続可能性を兼ね備えていなければいけないし、そうあるべきです。

そして、イノベーションこそが医療だと思います。従来は助からなかった人が、イノベーション、つまり新しい医療技術によって助かり、リハビリによって社会復帰も可能になります。だからこそ、医療に資金を充てる価値があるというのが私の考えです。

 

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