JICA緒方研究所

ニュース&コラム

【JICA-RIフォーカス 第8号】佐藤仁客員研究員に聞く

2010年3月5日

断片化された環境研究への挑戦——JICA研究所 佐藤 仁 客員研究員にインタビュー

Jin Sato

JICA研究所の佐藤仁客員研究員(東京大学東洋文化研究所准教授)は、現在、主査として「資源ガバナンスと利害協調」研究プロジェクトを進めています。タイとインドネシアの事例から行政組織間の利害関係が資源をめぐるガバナンスにどのような影響を与えるのかについて研究する佐藤客員研究員に、「資源ガバナンス」とは何か、そしてこの研究が持つ意義などについて話を聞きました。


研究プロジェクトの問題意識

「資源ガバナンスと利害協調」プロジェクトを始めたきっかけは

もともと研究所の重点領域である「環境/気候変動」の分野で何かやらないか、とお誘いを受けたのがきっかけでした。気候変動についてはすでに複数の方が研究を手掛けつつあったので、私はそれ以外の環境分野をやってみようと思ったわけです。

ただ、従来の環境研究というのは、ともすれば「環境さえ守ればよい」という、やや単眼的なところがあるので、私は途上国で問題になるような、たとえばインフラ開発と環境配慮のように「トレード・オフ」を正面から扱いたいと思いました。多くの途上国では、「AかBか」ではなく「AもBも」というニーズがあるからです。そこで、利害協調や住民参加問題を手掛けている専門家に仲間に入ってもらい「資源ガバナンスと利害協調」というテーマ設定に至ったわけです。幸い、工学、社会学、法学などのツールを用いて、現場ベースで議論ができる研究者のみなさんに集まってもらうことができました。

「資源ガバナンス」をテーマとした研究とはどのようなものなのでしょうか

開発や環境など、さまざまな社会問題の根底には断片化という現象があり、それが解決に向けた取り組みの障害になっています。断片化というのは、問題や課題をとらえるときに全体の一部しか認識しない、あるいは認識できないために、結果として処方せんが的外れになることです。「木を見て森を見ない」という言葉がありますが、まさしくこうした状態に陥る原因が、断片化された問題認識なのです。

なぜ断片化が起きるのか。私は学生時代、森林保全の研究に訪れたタイでその一端を垣間見ると同時に、断片化の弊害を痛感させられたことがありました。

「森林を研究する」とひと口に言っても、木そのものを研究している植物学者や、森林という資源を使い生活している人々を研究する人類学者がいます。さらに「森林を管理する」という観点で行政を見ると、森の基盤にある“土地”に関係している部局だけで10以上もあったり、森林保全についてはまた別の部局の管轄だったりするのが実社会の構図として存在するのです。つまり断片化は、たまたま生じたミスで起こるのではなく、組織的に再生産されているのです。

私は、タイでのフィールドワークを通じて研究者や行政官が専門や担当部局の視角から問題を個別に切り取り「それぞれの最適化」を図ろうとする結果、とりわけ地域に暮らす人々が大きな負担を強いられているという実態を目にしてきました。

開発の促進と環境保護の両方を見据えたとき、村人の所得向上のために農地が広がりさえすればよいというわけではないですし、森林保全のために保護区を作り、木を植えればよいということでもありません。これは土地という資源をどのように使うべきか、という資源ガバナンスの問題としてとらえることが適切なのです。もちろん政策を統合しようとか、一体的に考えていくべきだということは、これまでにもさまざまな場面で指摘されてきました。しかし、多様な利害関係から発生する対立や衝突、あるいはその解決策などについて、明示的な回答があったわけではありません。従来、別々の領域で処理されていたことを、統一的な視座で見たときに、どのような解決の見通しがあるのか、また、現場でうまくいっている実践活動にどのようなものがあるのか、それを事例ベースから拾い上げていくことがわれわれの研究です。

今回の研究で行政組織間の対立に注目する理由を教えてください

これまで断片化というと、政府と住民の対立や齟齬(そご)に注目が集まることが多かったのですが、私が今回フォーカスしようと思っているのは、行政内部の対立です。政府と住民を対立関係で見る場合には、政府を一枚岩としてとらえがちですが、現実は多様なアクターから構成されており、相互にいがみあったり競合したりしています。例えば、土地を担当している部局と森林を担当している部局、あるいは森林地に埋蔵されている鉱物資源を掘り出そうとする部局と、それを阻止し環境を守ろうとする部局同士の対立などがその典型的な例として挙げられます。

こうした行政間の対立は、結果として“inaction”、つまり不作為という重大な過失の温床となります。それぞれの部局が各々の縄張りを尊重しなければならないために、本来やるべきことを分かっていてもやらないとか、問題を先送りにしてしまうのです。

日本の水俣病問題を挙げるまでもなく、問題の先送りは重大な政策の失敗ですが、何かを「やらない」という選択は目立たないために、ほとんど注目されません。行政内部における対立と協調の問題は、環境や資源管理の分野で非常に重要であるにもかかわらず、これまでほとんど研究されてきませんでした。また、行政の失敗を補う形で、地域住民がどのような取り組みをしてきたのかという側面も、ほとんど研究されていません。

私は最近、タイのメコン川沿いの集落で、川と森と畑という3つの資源を、資源の状態と労働力の状態とを見据えて循環させながら利用している人々がいることを目の当たりにし、大きな感銘を受けました。この3つの資源は、村人たちにとって収入の少ない時期をしのぐ「セーフティーネット」になっているだけではありませんでした。森の養分が川を豊かにし、畑に多くの実りをもたらすように、一つの生態系システムとして互いに助け合っていることを彼らは自覚していたのです。3つの資源を循環させるシステムは、結果として一つの資源に集中的に負荷をかけがちな企業や政府の活動を和らげる効果も持ったといってよいでしょう。「資源ガバナンス」とは、こうした統合的な視座を持っている村人たちの視点に帰っていくことを目指すものでもあるのです。

この研究が持つ意義や可能性についてお聞かせください

研究者は、断片化を促進してきたという点では罪深い存在なのかもしれません。私たち研究者は、特定の分野で訓練を受けて研究活動を行い、そしてその分野の後継者を育てていきます。断片化の再生産にくみしてきたともいえるわけです。この連鎖を断ち切り、また克服していくためには、断片化された意識や知識、学問領域などに対する横串を明確に持たなければなりません。私の場合、その横串となる概念が「資源」でした。

資源とは、ある人にとって資源であっても別の人から見ればそうではないこともあります。つまり資源はモノそのものの性質ではなく、人間が定義しているものであり、人間と自然のちょうど中間に横たわる概念だと思います。人間がどのように資源を活用して将来の可能性を構想していくのか、そしてさまざまな可能性のアイデアが出てきたときに、どのように調整・共有するのか。まさに、最終的には人間の「知のガバナンス」が、資源ガバナンスを包括していくのだと思うのです。

今回の研究では、資源という概念を「私たちの生活に役に立つ可能性の束」と広義にとらえ、断片化された制度や問題に対する横串となればと考えています。そのための方法論は社会学的であっても経済学的であっても、あるいは政治学的でもかまいません。伝統的な研究領域内に納めなければいけないということはないのです。そして、現象の新たな総括を可能にするこの横串こそが、セクショナリズムから脱しきれない世界の援助潮流に対して大きな変革をもたらす可能性を秘めているのです。

こうした研究では、開発途上国の行政組織内に多くの専門家を派遣しているJICAだからこそ得られる情報が何よりも重要になってきます。私は、行政が蓄積してきた情報を全面的に活用しながら研究を進めていくことがJICA研究所の比較優位の一つになると考えています。


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