「自分ならできる!3D義足開発・製造で世界を変える~徳島泰~」

JICA 海外協力隊経験者で、国内外・公私問わず社会課題の解決に取り組んでいる方を表彰する『帰国隊員社会還元表彰』大賞を受賞した徳島泰さんに、ものづくりへの思いなどを伺いました。世界初3Dプリント義足を開発し、3Dプリント義足を開発途上国で製造・販売するInstalimbを創業した徳島さんを突き動かしているものとは?! 帰国後に国内外で活躍する帰国隊員のインタビューシリーズ「協力隊経験を未来へつなぐ」の第1回です。

2023年6月1日

現場を知らなければと思いJICA海外協力隊へ

協力隊時代の徳島さん

●大学に入学後ベンチャー企業に入社、25歳で起業した後、再度大学に入学、卒業後メーカーに勤めていた徳島さんがJICA海外協力隊を目指したきっかけはどんなことですか?

徳島泰さん(以下「徳島」):それまでの自分のものづくりを変え、人の役に立つものづくりをしたいと思い、学びなおしとして28歳の時に多摩美術大学に入学し、工業デザインを学びました。卒業製作として「開発途上国の医療」をテーマに研究し、ザンビアでフィールド調査をした際、協力隊はじめJICA関係者にもたくさんお会いしました。その後医療機器メーカーに就職しましたが、本当に困っている人の役に立つものづくりをしたい、という思いがより強くなり、そのためにはやはり現場を知らなければならないと思ったのがきっかけです。
帰国後の生活に不安もありましたが、JICA海外協力隊には現職参加制度があったのも後押しとなりました。

3Dプリントの知識ゼロの人へ伝える苦労と、その後に得た喜び

徳島さんは青年海外協力隊として「デザイン」という職種でフィリピンに派遣。貿易産業省(日本の経済産業省に当たる機関)に配属され、フィリピンに初めて3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル加工設備を備えたFabLabを立ち上げ、今やその数は25か所にも増えています。

●徳島さんが立ち上げたFab Labは大統領にも認められ、現在、その数はフィリピン全国で25か所に増えているということですが、はじめから活動は順調だったのですか?

フィリピンのFabLab Boholの様子

徳島:はじめは要請内容により忠実に、デザイン提供を行うだけの活動をするべきかと考えていましたが、ただ与えるだけでは現地の課題解決にはならない、現地の人が自分たちの手で現地の課題を解決できるようにならなければ本当の支援にはならないのでは、と思い、Fab Labの立ち上げを思いつきました。しかし、僕が赴任していた2012-14年頃はまだ3Dプリント等のデジタルものづくりは一般的に広まっておらず、フィリピンでも3Dプリントとはなにか、という概念さえ知らない人たちが多い。3Dを始めとしたデジタルものづくりを知っている人は自分だけで、知識ゼロの人たちにどう伝えたらよいのか苦労しました。
なんとかJICAの支援でインドネシアにプロジェクトのコアメンバーを派遣する事が叶い、実際にFab Labを見てもらうことができて、ようやくプロジェクトの内容を理解できる人が4人に増えた事で、何とかプロジェクトが前に進み始めた、ということを思い出します。

   
●多くの苦労を含む経験をされた協力隊経験ですが、一番の喜びや思い出はどんなことがありますか?

Fab Lab Boholでメンバーに教える徳島さん

徳島:一つは当時のコアメンバーの多くがその後昇格したことですね。Fab Labプロジェクトとその活躍が認められたことだと思っています。
もう一つ大きなことが、コロナ禍当初の混乱の中で、自分が設立したFab Labがフェイスシールドやアクリル板を作り始め、それが他のFab Labに波及して、フィリピン全国で本当にたくさんの感染対策用品がデリバリーされたことです。これこそ「現地の課題を現地の人が解決する」を実践した形だと嬉しくなりました。これは自分がFab Labを立ち上げていなければなかったことだろうと、とても嬉しく思っています。

自分なら解決できる!と3D義足の製造を決意

●帰国後、慶應義塾大学大学院に進学し、2018年にインスタリム株式会社を立ち上げます。現在の活動に協力隊経験はどう生かされていますか?

フィリピンで見かけた義足を持たない方

徳島:協力隊経験があったからこそ、今があると思っています。
フィリピンでのFab Labの活動中に、何度も「3Dで義足を作れないか」と聞かれました。その背景を調べていくと、糖尿病を発症し、足が壊疽していて、足を切断しなければ死に至ると分かっていても「足を切断しても義足が手に入らなければ働けない。」と、そのままにしている方が多いと知りました。その時に「この問題を解決できるのは、もしかして世界中で自分しかいないのでは」と思い、3D義足の開発を決意しました。
協力隊の経験から、一生を賭けても良いと思える課題に出会えたのだと思っています。

原動力はアンフェアネスへの憤り  

●現在、インドネシアやウクライナでの3D義足の製造、販売も目指して活動を展開されていますが、徳島さんを突き動かす原動力は何ですか?

ウクライナでの義足製作の様子

徳島:アンフェアネス(注:不平等、不公平)へのやりきれなさ、憤りでしょうか。
もし自分がフィリピンに生まれ、足が壊疽した人と同じ環境で同じ目にあっていたなら、きっと同じように、自らの命を自ら断つ、という選択をしてしまっていたのではないかと思います。生まれた環境によって、こうも人生が違ってよいのか、という憤りが力となっているように思います。

悩まないようにベストを尽くす

●活動する中で苦労も多いと思いますが、悩みはありますか?また壁に当たったときはどうしますか?

徳島:悩みは色々ありますが、悩まないように心がけています。思い悩むより「これでだめなら仕方ない」と考えられるよう、やるべきことできることを全てやるべきだ、と思って日々ベストを尽くしています。
壁に当たったきも、これがだめなら次、とできることを全部行うように心がけています。
こうしたマインドも協力隊経験で身につけたのだと思っています。

挑戦する方へのメッセージ

●最後に、これから何かに挑戦したいと思っている方や協力隊応募を考えている方へメッセージをお願いします。

インスタリムフィリピンのメンバーと

 ※写真は全て徳島さん提供※

徳島:たとえば、協力隊なら派遣期間の2年間だけで全てを成し遂げようと区切って考えるのではなく、5年、10年先を見据えた長いスパンでも自分の活動を捉え、その先の目標に向かうという視点も併せて持つとよいと思います。僕もはじめから起業しようと思っていたわけではありませんが、フィリピンに行ったことで一生涯を賭けても良いと思える課題に出会え、起業を決めました。
協力隊なら、協力隊を足掛かりにどういうふうに次へのステップに繋げていくか、という考え方をするのがよいように思います。

プロフィール

徳島泰:大学入学後、ベンチャー起業に入社。25歳で独立しウェブシステムとハードウェア系企業を立ち上げた後、多摩美術大学を経て大手医療機器メーカーの工業デザイナーに。2012年に34歳でJICA海外協力隊としてフィリピンへ。帰国後、慶應義塾大学大学院に進学し2017年に修了。最優秀修士論文に送られる相磯賞受賞。2018年にインスタリム(株)を創業。