2022年度JICA新卒採用職員入構式 式辞【於:JICA本部(市ヶ谷)】

皆さん、国際協力機構、JICA入構おめでとうございます。私にとっても、今日はJICAの入構式です。実際は2回目の入構式となります。1回目は2012年4月でしたから、ちょうど10年前になります。3年半ほど勤めて大学に戻って、今回また任命していただいたということになります。皆さんと一緒に、JICAの仕事をもう一度学び直しながらがんばっていきたいと思います。

JICAの理事長として、皆さんがJICAを仕事場として選んでいただいたことに感謝を申しあげたいと思います。良い職場を選んだと思います。私の3年半の経験からみて、断言できます。

今年入構の皆さんは、女性25人、男性17人です。私が前に理事長をしていた時代以来、JICAは、女性も男性も働きやすい職場になることを目指してきた組織です。男性の育休取得率は25%で、全国平均の2倍です。昨年度の管理職昇格者の47%は女性でした。昨年の職員の意識定点観測でも、「働きがい」については、他の組織よりも圧倒的に高い数値が出ています。今後も、さらに一層、働きやすく、働きがいのある組織、ハラスメントなど絶対におきないような組織にしていきたいと思います。

さて、現在の世界は大変な激動に見舞われています。新型コロナウイルス感染症のパンデミックに見舞われるなか、米中対立は激化し、アメリカのバイデン大統領は民主主義と専制主義の競争の時代だといい、そのようななかでロシアはウクライナに対する侵略戦争を始めました。

かつてギリシアの歴史家トゥーキュディデースは、「今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかつてのごとき、つまりそれと相似した過程を通るのではないか」と語り、歴史学・国際政治学の古典中の古典であるペロポネソス戦争の歴史、日本語訳は『戦史』という題名になっている書物を書きました。「歴史は繰り返す」という言葉の語源の一つです。もちろん、全く同じ形で歴史が繰り返すわけではありません。したがって、「歴史は繰り返さないが、しばしば韻をふむ」(History does not repeat itself but it often rhymes.)、これはマーク・トウェインが言った言葉とされますが、典拠ははっきりしません。

どの程度、韻を踏んでいるのでしょうか。新型コロナウイルスの感染症が世界に広がり始めたのが2020年春です。当時、想起されたのは、スペイン・インフルエンザ(H1N1亜型)のパンデミックでした。発生したのは1918年、収束したとみられるのが1920年のことでした。死者は、世界全体で5000万人から1億人ともいわれます。1918年というのは第1次世界大戦が終結した年ですが、その前年にロシア革命がおこり、革命を期に、ウクライナでは独立の機運が高まり、「ウクライナ人民共和国」の創設が宣言されました。これに対して、10月革命をおこしたボルシェビキは、攻撃をかけ、ロシア内戦が起こります。第1次世界大戦終結で独立したポーランドも参戦し、ボルシェビキ軍、反革命の白軍、そしてウクライナ独立共和国が入り乱れた内戦となりました。これまで「キエフ」、と言っていた町を、これからは「キーウ」と言うわけですが、このキーウは14回も支配者が交代するという事態になりました。今から、ちょうど約100年前が、パンデミックとロシア・ウクライナ地域の大戦争の時期でした。

絶対的な政治権力をもつプーチン大統領に着目してみると、また別の時期のことが頭に浮かぶかもしれません。1933年、ドイツではヒトラーが民主的選挙で首相に就任します。当時、大恐慌の影響のもとドイツ経済は苦境に立たされていました。第1次世界大戦敗北という屈辱と経済苦境のなかで登場したヒトラーは、一方で国内の反対派を押さえ込む強権体制を作るとともに、ドイツ軍の再建、そして経済の立て直しに成功します。ベルサイユ条約で、ラインラントが非武装化されていましたが、ヒトラーは、ラインラント進駐を強行しました。英仏はこれを阻止せず、ヒトラーは成功しました。1938年春、ヒトラーはオーストリアに圧力をかけ、ドイツ国防軍を無血進駐させ、オーストリアでドイツとの合併を実現する法律を成立させてしまいました。これに対しても、これを阻止しようとする国際的動きは起こりませんでした。チェコスロバキアのズデーテン地方は、ドイツ人が多数派の地方でしたが、ヒトラーはここに高度の自治を認めよ、そして自決権を認めよと要求をしました。これが戦争を引き起こすかもしれないとの恐れから、ミュンヘンでヒトラーと会談したイギリスの首相、ネビル・チェンバレンは、ヒトラーの要求を丸呑みして「平和」を維持できたとしました。これでヒトラーの歩みがとまるわけではなく、ヒトラーは民主主義国であったチェコスロバキア自体を解体してしまいました。経済で成功し、ナショナリズムを煽り立て、何回ものカケにヒトラーは勝利してきたのです。そして、さらなる大きなカケが、ポーランド侵攻でした。しかし、このカケに対しては、英仏が我慢ならずとして参戦し、第2次世界大戦が始まり、ヒトラーのカケは大失敗に終わったのです。

さて、プーチン大統領はどうでしょうか。彼は、冷戦崩壊とソ連解体後のロシアが経済的にとてつもない困難と苦境をかかえたエリツィン政権の後に大統領になりました。最初は、エリツィン辞任をうけて大統領代行でしたが、その後比較的民主的な選挙で大統領に選出されました。大統領になると国内の安定をはかり、原油やガスの輸出を積極化させることで経済を立て直しました。21世紀の最初の10年、ロシアの1人当たりGDPは急成長しました。その間、ロシアからの自立を狙うチェチェン地方の反乱を粘り強く、そして強圧的に鎮圧してきました。また、2008年には当時、日本ではグルジアと呼んでいたジョージア内部の南オセチアとアブハジアの親ロシア勢力を助けるため、軍事介入を行い、5日間でジョージアを屈服させました。その間、政治体制は自らの独裁が継続するよう大統領任期を変更するような憲法改正を行いました。2014年には、ウクライナで親ロシアのヤヌコーヴィッチ政権が倒れると、クリミアをほとんど何の抵抗もなく併合し、ウクライナ東部のロシア系住民の多く住むドネツクとルガンスク、いわゆるドンバスに武装独立勢力を作り出しました。そして、2021年、秋からウクライナ国境で大演習を行い、この2月、ドネツクとルガンスクの二つの人民共和国を承認するとし、平和維持のためウクライナで特別軍事作戦を行うと称して侵略戦争を始めたのでした。これが、当初のもくろみ通り、2,3日でゼレンスキー政権を倒してウクライナ全土に傀儡政権を作り上げることができれば、ヒトラーのオーストリア併合やチェコスロバキア解体と同じことになったのだと思います。実際は、ロシアの軍事作戦はうまくいかず、キーウ制圧はほぼ失敗しました。この後、どうなるかは予断を許しませんが、少なくとも、ウクライナ戦争は成功ではない。経済を立て直し、国民のナショナリズムを煽り、数々の軍事的ギャンプルに成功してきたプーチン大統領は、ヒトラーと同じく、最後のカケに大失敗をもたらしたように見えます。

ただし、ヒトラーの場合は、大失敗は第2次世界大戦という近代史上最悪の世界中を巻き込む大戦争になりました。今回は、少なくともそこまで至っていません。バイデン大統領は、アメリカが直接軍事介入をしてしまえば、第三次世界大戦になってしまうといっています。アメリカは、なんとしても第三次世界大戦は防ぎたいようです。とすると、今回の危機の前例としては、また別のケースが浮かんできます。たとえば、1950年6月に始まった朝鮮戦争です。これは、北朝鮮が韓国に侵攻した戦争で、ソ連が欠席したために、国連安保理決議で国連軍が結成され北朝鮮への懲罰が決まった戦争です。つまり、今回と同様の国際法違反の侵略戦争と認定されたわけです。北朝鮮を中国とソ連が支え、韓国をアメリカが支えるという戦争でした。アメリカ軍が北朝鮮軍を38度線の北に押し返すと、中国が参戦して、米中戦争となりました。しかし、スターリンのソ連は表だって参戦しませんでした。(実際は、ソ連のパイロットが戦闘機を操縦していたことが何十年も経ってわかりましたが、当時は、ソ連は参戦していないことになっていました。)つまり、朝鮮戦争は、国際法違反の戦争でしたが第三次世界大戦にはなりませんでした。その後、国連安保理決議は通っていませんが、ソ連は、ハンガリー動乱、チェコ鎮圧、そして1979年にアフガニスタン侵攻を行いましたが、アメリカは直接軍事介入をしませんでした。また、アメリカはベトナム戦争に介入しましたが、ソ連も中国も介入しませんでした。つまり、冷戦時代においては、米ソは直接軍事対決をしなかったわけです。

つまり、歴史を振り返ると、現在のウクライナ戦争は、ヒトラーの第二次世界大戦型のパターンになるか、朝鮮戦争型の冷戦型のパターンになるかの岐路に立っているのかもしれません。あるいはまた、これがロシアで政権交代をともなう「革命型」の事態が発生すれば、スペイン・インフルのもとでのロシア内戦のようなことになるのかもしれません。歴史は繰り返しませんが、韻を踏むことがある。というのは、現在の事態をとらえるのにもある指針を与えているようです。

しかし、それでは、皆さんがJICAに入って、直面していく世界は、真っ暗闇の世界なのでしょうか。100年前のパンデミックと内戦の時代、第二次世界大戦直前の世界、あるいは冷戦時代と同じような時代でしょうか。似たような側面があることは、今、詳しく申し上げたとおりです。ただ、大きく異なっている面を忘れてはいけないと思います。

冷戦が終わってからの30年という時代、皆さんの多くはその時代に生まれて育ってきたわけですが、この時代は、人類史上、画期的な時代でもありました。それまで、冷戦のもと東西陣営に分断されていた世界は、一つになり、グローバル化が著しく進展しました。それまで、深刻化する南北問題で、世界の経済格差は大きくなり、貧しい国はますます貧しくなるという傾向がありました。しかし、21世紀に入るころから、極度の貧困層は絶対数で減少を始めました。1990年に20億人以上の人が極度の貧困状態にあるといわれていましたが、2015年には8億人を下回るようになったからです。

20世紀の半ばまでは、世界で豊かな国といえば欧米のみ、それに日本という状態が続いてきました。それが、「東アジアの奇跡」ということが、皆さんが生まれるころに言われるようになり、アジアには日本程度の生活水準の国は数多くみられるようになりました。経済成長は東アジアから東南アジアに広がり、現在、インドやバングラデシュ、そしてアフリカまで広がりつつあると思います。皆さんは、日本政府が「自由で開かれたインド太平洋」という構想を促進しようとしていることを知っていると思います。世界経済の中心は、19世紀から20世紀前半までは、北大西洋地域でした。それが20世紀後半にアジア太平洋地域に重心が移り、現在、インド太平洋地域に世界経済のダイナミズムの中心が移動しつつあるのです。

このような変化にはさまざまな要因が組み合わさっていますが、世界全体を結びつける情報化を忘れるわけにはいきません。現在、われわれが当たり前に使っているウェブ・ブラウザーは1990年代に発明されました。今回のウクライナ戦争でも、サイバー攻撃が行われていることに注目が集まっていますが、連日のようにウクライナのゼレンスキー大統領が各国の議会で演説をオンラインで行っていることは、100年前、1940年代、そして冷戦時には考えもできなかったことです。ゼレンスキー大統領は、Tシャツのチャーチルと言われることがありますが、チャーチルは、ラジオを通してしかメッセージを伝えられませんでした。

しかも、この30年間は、世界全体で、世界全体の問題を共有しようとの認識も広まった時代でした。地球環境問題の深刻化が意識されるようになりました。このままの産業化を進めていけば、人の活動によって物理的・生態的なシステムとしての地球システムに取り返しの付かない影響が出るのではないかとの認識が生まれてきました。地質年代で今は、通常の教科書では「完新世」(Holocene)といわれますが、いまや人が地球に影響をあたえるAnthropocene、「人新世」という年代に入ったのではないかとの説が生まれています。その結果、2015年には国連気候変動枠組条約第21回締結国会議(COP21)で、21世紀末までの地表平均気温の上昇を産業化以前とくらべて2度以内に抑えようとの合意がなされました。さらに昨年の第26回締約国会議(COP26)では、2度でも事態は抑えられないので、1.5度以内に抑えようとの目標がおおむね合意されました。

一方、同じ2015年には、持続可能な開発目標(SDGs)が国連総会において全会一致で採択されました。これは、21世紀に入って国連が推進してきたミレニアム開発目標(MDGs)の後継目標です。極度の貧困撲滅などのMDGsから継承した目標も数多くありますが、それ以外にも人間の暮らしや環境、平和や人権などさまざまな領域における人類共通の目標を17の目標と169のターゲットにまとめたものです。この策定には、JICAも相当一生懸命貢献しました。同じ年に、日本の開発協力の方針を規定する開発協力大綱も制定されました。これもJICAが日本政府に全面的に協力してとりまとめたものです。SDGsと開発協力大綱の精神はほとんど同じと言ってよいと思います。

つまり、皆さんの多くが生きてきた過去20数年の時代は、人類史上まれにみるグローバル化の時代であり、世界が一つになり、世界的な問題への認識が進んだ時代であり、共通の困難に世界中で取り組もうとの認識が進んだ時代だったといえます。

それが、今、新型コロナウイルス感染症とウクライナ戦争というとてつもない挑戦を受けているのだと思います。新型コロナウイルス感染症は、恐ろしい事態でしたが、これに対処する人間の努力が画期的だったことは忘れてはいけないと思います。通常、少なくとも数年以上はかかるとされるワクチン開発が1年で実現しました。まだまだ、予断は許しませんが、世界は新型コロナウイルス感染症の危機を越えて進んでいけると思います。

直近でより危険なのはウクライナ戦争の帰趨です。間違っても大量破壊兵器が使われるようなことがあってはなりません。なんとか早期に停戦にもっていき、平和を回復しなければなりません。

この新型コロナウイルス感染症の危機と、ウクライナ戦争、そして米中対立は、冷戦後に期待されたように一直線で世界がよい方向に向かうのではないことを教えてくれました。世界が一つになり、経済が豊かになり、相互依存が深まれば、人々の価値観も収斂し、人権がよりよく守られるのではないかとの期待は、なかなか実現しないことを教えてくれました。

最近、世界中で民主主義が後退しているとの説をよく聞くようになりました。冷戦後民主化したと思われていた国で、権威主義化が進んでいる場合があるといわれます。プーチン大統領のようなストロングマンの統治が望ましいと思う政治指導者が各地に誕生しました。中国では、新型コロナウイルス感染症への対応は、中国共産党体制が最もうまく対応できたのだとの言説がしばしば行われています。

しかし、私は、新型コロナウイルス感染症とウクライナ戦争は、民主主義体制の強靱化を進めるための困難ではあるが、重要な機会を提供したのだと思っています。Varieties of Democracy(V-Dem)というスウェーデンのヨーテボリ大学の研究所が毎年発表している各国の民主主義度のデータによれば、たしかに民主主義国の数は21世紀に入ってあまり上昇しなくなりました。しかし、それでも権威主義体制の国と民主主義体制の国の数は、だいたい同じくらいです。権威主義体制の国が大幅に増えているわけではありません。新型コロナウイルス感染症への対応は、各国さまざまですが、新型コロナウイルス感染症からの脱却過程も含めてみていけば、決して民主主義体制が劣っているわけではありません。また、今回のプーチン大統領のギャンブルが、どれだけウクライナ国民のみならずロシア国民を不幸にしているかを考えると、権威主義体制の欠陥が白日のもとに晒されたといえると思います。権威主義体制では、有能だと思われていた指導者が愚かな決断をすることを止める制度がないことがはっきりしたと思います。

パンデミックと戦争を越えた世界を私たちは構想していかなければならないと思います。JICAの海外拠点は、現在も現地の職員(ナショナルスタッフ)と日本人職員との協力で機能していますが、やはり、国境を越える人の移動が制約されており、パンデミック以前の状況には戻っていません。これからどんどん専門家やボランティアも派遣して、各国からの研修の人々も受け入れていかなければなりません。皆さんにも、できるだけ早い機会に、現地にいって現場のJICA活動を促進していただきたいと思います。

すでにウクライナに対しては、岸田首相も支援を表明していますが、リアルタイムでのウクライナ政府をJICAは支援していくことになります。国外へ逃れたウクライナの避難民を支援するため、JICAは周辺国への支援を進めていくことになります。そして平和が訪れ復興ということになったら、国際社会のなかでもJICAは先陣を切ってウクライナの復興のために汗を流すことになります。皆さんの活躍で、民主主義のウクライナを復興させて行かなければなりません。

パンデミックとウクライナ危機によって、人間の安全保障に脅威をあたえる現象が増加し、極度の貧困人口は、21世紀に入って初めて増加してしまいました。この困難な時期に、ウクライナ以外でも平和や人権は危機にさらされています。JICAが力を入れてきた国々、ミャンマー、アフガニスタン、エチオピア、南スーダンなど、人権侵害や不安定化がなかなか解消しません。それにもかかわらず、私たちは、これらの国々で必要な活動を行うべきだと思います。それが長期的に人々の暮らし、ひいては人権状況を改善していくと思うからです。

JICAの仕事は、ただちに物事を解決するようなマジックではありません。地道な現場の作業によって、徐々に事態の改善の基礎をつくっていく作業です。このような作業こそが、SDGsの目標の実現をもたらし、気候変動問題の解決にもつながり、人間の安全保障を向上させ、長期的には世界中に安定した民主主義を広めることにつながると思います。

入構してしばらくは、それぞれの部署で、細かい仕事に慣れるのに時間を費やすことになると思います。しかし、そのすべてが、パンデミックと戦争を越えた世界を良くすることにつながる仕事だと思ってください。皆さんが、研鑽を積むことが、世界でSDGsを達成することにつながると思ってください。皆さんが討論することが、人間の安全保障を全ての人に享受してもらうことにつながると思ってください。

皆さんの活躍に期待します。