TICAD7サイドイベント「『顧みられない熱帯病』がないアフリカへ-日本とアフリカのパートナーシップ」におけるスピーチ【於:パシフィコ横浜】

開催日:2019年8月28日
場所:パシフィコ横浜展示場ホールB、B03室

本日のテーマの重要性に鑑み、是非参加させて頂きたいと思いまして、この時間を取らせて頂きました。本会合をリード頂いている塩崎先生が来てくださっていることに、心より御礼申し上げます。

皆さんご承知のとおり日本は17世紀から19世紀、江戸時代の半ばまで、250年にわたり鎖国をしておりました。完全な鎖国ではありませんでしたが、限られた対外関係でありました。その間も若干の交易は続けられ、徐々に開国に向かい、それに伴いコレラやペストなどの新たな感染症が入ってきて、これに対応することが大きな課題となりました。新しい感染症は、非常に目立つ被害が出ましたのですぐに脅威とみなされ、感染者の特定や感染源となるネズミの駆除といった対策で克服されてきました。

顧みられない熱帯病は、決して新しい脅威ではありません。開発途上国を中心とした熱帯地域、生活が貧しく住環境が悪い人に特に大きな被害をもたらしてきました。聞きなれない感染症の名前のみならず、社会的に声を上げにくい立場にある人々、感染リスクの高い貧困層の人々がNeglectされてきたといえます。こういうことはあってはならないわけです。国際社会や国の中で焦点が当てられていなかった感染症に取り組むことは、人々の生命、暮らしや尊厳を守ることであります。

そうした重要性に鑑み、JICAは、住民、行政、研究者など様々な関係者の参画による対策を実現してきました。その経験を活用すると共に、新たな診断法や治療薬開発などの研究協力なども含めて、今後も取り組んでいきたいと考えています。

JICAは1970年代から、住血吸虫やハンセン病などの対策強化のための国際協力を行って参りました。当時は感染や発症の仕組みの解明や対策の研究協力などを行っていました。アフリカでは、ケニア中央医学研究所、ガーナ野口記念医学研究所などの拠点にて研究協力が行われてきています。

JICAの文脈から離れますが、今年も野口賞が授与されます。私が初めてガーナに行った折、20世紀の初期の何もなかったとき、野口博士が研究に献身したことを思い、頭が下がる思いでした。日本は相対的に医学の分野では様々なことをしてきており、是非世界にも還元していきたいと考えております。日本は数年後に新しいお札を発行する予定で、肖像が描かれる一人が北里柴三郎先生という有名な医学者であります。日本人が医学の分野で文明を超えて貢献してきたことはとても重要な経験であり、その実績に恥じない貢献を日本及びJICAはしていきたいと思います。

日本国内にも、日本住血吸虫やリンパ系フィラリアなど流行地が存在し、脅威となっていました。流行への対策のために、研究者によって感染経路の解明が行われました。また、行政によって住民に対する感染を防ぐための啓発活動や検査が行われました。さらには、知識を得た住民が予防行動を実践し、集団駆虫へ参加するといった、関係者が一体となった活動が行われてきました。行政による住血吸虫対策では、水田に広がる水路を土からコンクリートに変える、これにより寄生虫を媒介する貝の駆除などの対策まで進められました。

こうした対策は、人々の生活を考えながら保健医療の観点のみならず、環境整備も含めて顧みられない熱帯病の流行を終焉に導いた成功例であると言えます。

顧みられない熱帯病は汚染された水や食物を通じて又は農作業中に蚊に刺されるなどして感染するものが多く、日常の生活で気にしないうちに、知らず知らずに感染する身近な「脅威」であり、人間の安全保障の観点からも重要な課題であります。

国際社会や行政などによるトップダウンでの保護においてもneglectされ、ボトムアップのエンパワメントからもこれまではneglectされてきていました。顧みならない熱帯病をneglectせずに直視して、NTDsのepidemicsに終止符をうつことを達成するために、ここにお集まりの関係者全員で取り組もうと、改めてお願いさせて頂く次第です。

ご清聴ありがとうございました。