メキシコ国立自治大学(UNAM)でのJICAチェア開講理事長ビデオメッセージ【於:オンライン】

皆さま、こんにちは。JICA理事長の北岡伸一です。

日本と大変深い関係を持つメキシコにおいて、このたび「JICAチェア」が開講されることになり、大変うれしく思います。そのコンセプトに共感いただき、準備を進めてくださった関係の皆様に心より感謝申し上げます。講義に先立ち日本とメキシコの関係についてお話させていただきます。私は、メキシコには2回訪問したことがあります。一度目はJICA理事長になる前2010年にメキシコ自治工科大学で日本外交史に関する講義を行いました。2018年11月にはJICA理事長として訪問し、外務大臣をはじめとする政府の要人や、日墨協会の幹部の方々らと意見交換しました。その際には、メキシコ外務省国際開発協力庁とともに、「メキシコと日本の近代化」をテーマに講演も行いました。

メキシコと日本の出会いは、400年以上前に遡ります。1609年、フィリピンからメキシコに向かっていた大型帆船ガレオン船サン・フランシスコ号が暴風雨のため遭難し、乗組員が千葉県御宿の住民に救助されたと伝えられています。
日本とメキシコの関係は、その後200年以上にわたる日本の鎖国で一旦途絶えましたが、1888年の修好通商航海条約締結により再開しました。この条約は、明治新政府がアジア以外の外国と結んだ初めての対等な条約であり、日本にとって大変画期的なものでした。日本が欧米5か国と締結していた不平等な通商条約改正の契機となり、日本の扉は世界に向かって開かれることとなりました。

また、榎本武揚が推進した「榎本植民団」が1897年にメキシコ・チアパス州に上陸して以来、約1万人の日本人がメキシコに移住しました。その後日系コミュニティはメキシコの発展に貢献し、両国の架け橋となっています。両国間の人材交流も積極的に実施してきました。1971年、当時のエチェベリア大統領の発意により「日墨交流計画」という研修制度が始まりました。のちに「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」と改称されて現在でも継続していますが、両国合わせて5,000名近くが研修に参加し、元研修員は様々な分野で活躍しています。

2005年、日本とメキシコの間の経済連携協定が発効しました。日本にとっては、シンガポールに次ぐ2番目の自由貿易協定で、農業分野も含む包括的な協定としては初めてのものとなりました。協定発効後、日本の対メキシコ直接投資は飛躍的に増加し、現在は1,200社を超える日系企業がメキシコに進出しています。
更に、2018年12月に発効した11か国による「環太平洋パートナーシップ協定」においてメキシコと日本は原署名国として名を連ねています。この協定では、世界GDPの13%、域内人口5億人をカバーします。世界的に保護主義的な動きが広がりを見せる中で、自由貿易の旗を高く掲げ日本とメキシコが世界に範を示すものであり、アジア・太平洋の重要な基盤となるものだと考えています。

ここで、JICAとメキシコの関わりについて触れたいと思います。JICAは、1973年の拠点開設以来、「日墨交流計画」「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」の実施を始め、産業開発、防災など様々な分野において協力を行ってきました。さらに、「日本メキシコ・パートナーシップ・プログラム」を通じて、
日本とメキシコが共に中南米・カリブ地域の課題解決に取り組む三角協力も行っています。2017年に発生したメキシコ中部地震の際には、JICAは国際緊急援助隊を派遣しました。その活躍は、メキシコの中学校の教科書にも掲載されたと聞きました。地震で被害を受けた皆さんの災害救助に貢献できたことを誇りに思っています。2021年に50周年を迎えた「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」、また、新型コロナをはじめとする感染症対策への技術協力など、常にメキシコのニーズに寄り添った協力を進めています。

翻ってみれば、この環太平洋の流れは、400年前の大型帆船ガレオン船が廻った
太平洋湾岸諸国の絆そのものに他なりません。ノーベル文学賞作家のオクタビオ・パスは、「メキシコ人はヨーロッパと東洋の狭間にいます。いまや、我々が目を向けるべきは、太平洋なのです。」と強調されました。太平洋を挟んで東西に位置する隣国であるメキシコと日本とは、長い交流の歴史と深い絆を持っており、法の支配や人権など、普遍的な価値を共有しながら強固な信頼関係を構築してきました。

次に新型コロナウイルス感染症に対するJICAの取り組みについて触れたいと思います。世界的な危機に立ち向かうため、「JICA世界保健医療イニシアティブ」を昨年7月に立ち上げ、世界で病院を核とする保健医療システムの強化に取り組んでいます。この取り組みは、日本の長年の経験に基づくものです。後藤新平は、今から100年以上前、台湾において医学校・附属病院を設立し、その後満州でも病院を設立しました。これらの病院は現地の人々に大変感謝されたのです。また、黄熱病の研究に尽力した野口英世博士もよく知られています。野口博士は、メキシコにも短期間渡航し、当時は未知のウイルスであった黄熱病の研究を進めました。

メキシコでも新型(コロナ)ウイルスの影響は大きく、JICAはメキシコで様々な取組を行っています。2020年7月、コロナ禍で生活に不安を抱える子供たちの心のケアに関し、日本の震災経験を踏まえた教訓を共有する遠隔セミナーを開催し、6,500名以上に参加いただきました。また、野口博士が黄熱病の研究を行ったユカタン州のオーラン病院、そして野口英世地域研究所を拠点とし、コロナ患者の診断・治療を行う協力を2021年7月より開始しました。

次に、これからご視聴いただく「日本の近代化を知る7章」の狙いについてご紹介します。日本は、非西洋圏で近代化を成し遂げ、法の支配の下、伝統やアイデンティティを失う事なく、自由で平和で民主的な国を作り上げた最初の国であり、また敗戦からの復興を成し遂げたという点では、発展の好事例を提示しうる国と考えています。また日本は第二次世界大戦後、ODAを通じて、東アジアおよび東南アジアの国々と重点的に協力関係を築き、実際これらの国々は目覚ましい社会・経済発展を遂げました。この経験を基に、他の地域にも開発協力を積極的に展開しています。

JICAは、自国の近代化と海外での開発協力の過程で蓄積した日本の経験と教訓を活かし、2018年から「開発大学院連携プログラム」を開始し、途上国の将来を担うリーダーに対し、日本への留学を通じて、専門分野の教育・研究に加え、日本の近代化経験を学ぶ機会を提供しています。その取り組みの一環として2019年にDVD教材「日本の近代化を知る7章」を作成しました。更に、日本の開発経験を学ぶ機会を国外に広げるため、JICAは各国の主要大学における日本の開発経験に関する教育・研究を推進する「JICA日本研究講座設立支援事業」(JICAチェア)を開始しました。その第一号がブラジル・サンパウロ大学法学部の「フジタ・ニノミヤチェア」であり、こちらを皮切りに全世界、とりわけ中南米各国で次々とJICAチェアが立ち上がっています。JICAチェアにおいて、皆さんには、欧米諸国とは異なる形で日本が歩んできた近代化の道や欧米諸国とは異なる開発協力のアプローチについて学んでいただき、メキシコの発展に役立てていただきたいと思っています。

JICAは「信頼で世界をつなぐ」というビジョンを掲げています。信頼は日本の開発協力の根幹をなす概念です。我々は、一方的な援助(aid)や支援(assistance)ではなく、信頼を通じて共に取り組む双方向の「協力」(cooperation)だという姿勢で日々の業務に取り組んでおります。「JICAチェア」が日本に対する理解を深め、さらに日本とメキシコの信頼関係を強化する一助となることを願っています。

それでは皆さん、本日、議論できる機会を楽しみにしております。