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駒ヶ根市制70周年式典記念講演(2024年7月7日)

#17 パートナーシップで目標を達成しよう
SDGs

2024.08.15

最近の国際情勢と地域で育む国際協力の意義

本日は、駒ヶ根市制70周年式典において、このような講演の機会をいただき、ありがとうございます。国際協力機構、JICA理事長の田中明彦です。駒ヶ根市の皆様、市制70周年、誠におめでとうございます。

思えば、20年前の駒ヶ根市制50周年式典には、当時の理事長である緒方貞子さんが式典に招かれ、同じく講演をされております。20年後の本日、このような意義深い式典に招かれ、講演をさせていただくことを、大変ありがたく感じています。また、駒ヶ根市とJICAとのつながりの深さを改めて認識しているところです。

ここ、駒ヶ根市赤穂にあります、駒ヶ根青年海外協力隊訓練所は、今年5月24日に、1979年の開所から45周年を迎えました。ここにおられる市民の皆様をはじめ、地域の多くの方々に支えていただきながら、これまでに、22,000名近い海外協力隊員を本訓練所より送り出すことができました。改めて御礼を申し上げます。

開所から45年を経て、本訓練所も地域に根差した存在となりました。海外協力隊に関わる内外の関係者からも、「駒ヶ根と言えば訓練所のある街」と、当たり前のように語られております。今では、誰も口にすることも無くなりましたが、そもそも、本訓練所がなぜ駒ヶ根にあるのか、45周年を迎えた現在、これまでの駒ヶ根市と当訓練所の足跡を振り返ることで、今回の市制70周年にも花を添えることができればと考えております。

なぜ駒ヶ根に訓練所があるのか?一言でいえば、当時の駒ヶ根市の関係者の多大な尽力の賜物にほかなりません。50年ほどさかのぼる話になりますが、この機会に少しだけ触れたいと思います。おそらく、ここにご参加されている方の中にも、当訓練所の設立に関わっていた方々がおられることを承知で、当時の駒ヶ根市がどのように訓練所の設立に関わっていたのかを、敬意をもって振り返りたいと思います。

また、ちょうど今年は日本のODA、政府開発援助が開始されてから70周年の節目に当たります。本日は、日本におけるODAの歴史の中で、駒ヶ根市が国際協力に関してどのような歩みを経てきたのかについても触れながらお話できればと思います。

駒ヶ根市が誕生した70年前の1954年、日本政府はコロンボ・プランというアジア太平洋地域の国々の経済社会の発展を支援する協力枠組みに加盟しました。これにより、日本は開発途上国からの研修員受け入れや専門家の派遣といった技術協力、つまり人材育成を中心とした途上国における国造りの支援を開始しました。この年に、日本のODAの歴史が始まりました。まさに、駒ヶ根市の市政とODAは、軌を一にしながら共に70年の歩みを経てきたわけであります。

この当時の駒ヶ根市の動きについては、故竹村健一市長が残された著書「観生進退の記 役所生活50年」に詳細に記載されております。著書の中には、当時の北原名田造市長が、開発途上国の青年達の研修施設を駒ヶ根市に造ったらどうかと、政府の留学生受け入れ事業に関わっていた関係者と相談し、いち早く国費留学生の受け入れに動いていた亜細亜大学の分校を誘致したとの記載があります。

ODAが本格的に始まった当時、日本政府は留学生の受け入れを大幅に拡大する必要があったものの、その受入のための留学生寮などの施設整備が追い付かず苦慮しておりました。しばらくしても整備が進まない中で、駒ヶ根市が率先して留学生の受け入れのための施設建設を検討していたことは特筆すべき事実です。駒ヶ根市がすでに青年の育成を通した国際協力の意義を十分に理解して、具体的に取り組んでいたことが伝わります。

その後、残念ながら亜細亜大学の分校の話は立ち消えになってしまったものの、形を変えて駒ヶ根市の国際協力に対する動きは継続されることとなります。それは、くしくも開発途上国へ派遣される青年の人材育成という事業において現れます。

先の話の通り、1954年にODAが始まったあと、1965年に20歳から40歳未満までの青年を、アジアを中心とした開発途上国に派遣するという事業がスタートしました。これが今に至る、「JICA海外協力隊」事業です。事業の発足当時は、年間数十名の若者を、首都圏の研修施設で訓練してから派遣しておりましたが、事業を大幅に拡大する中で、新たな訓練施設の確保が急務でありました。そのような状況の中、駒ヶ根市出身の外務省職員で当時の青年海外協力隊事務局に勤務していた長沢久四郎氏が、知己であった座光寺久男市長に訓練所の話を持ち掛けられたとのことです。そこから駒ヶ根市における青年海外協力隊訓練所の建設への道のりが始まったのです。

当時、日本は高度成長期の真っただ中であり、この地域でも物流の大動脈となる「中央高速道路」の建設が急ピッチで進められていました。その際、道路建設の土取り場となったところが訓練所の候補地でした。その後、代々の市長および関係者の尽力により、1979年5月24日に晴れて青年海外協力隊訓練所が設立されたのです。北原市長時代に始まった「開発途上国の青年を受け入れる人材拠点を作る」という構想は、形を変えて「日本の青年を開発途上国に派遣する人材拠点を作る」という姿となって結実しました。

地域には、訓練所の青年と率先して交流をもちながら、自分たちも負けじと国際協力の活動を行う動きも出てきました。地域経済を支え、地域発展の原動力となり、地域の将来を担う「青年会議所」の20代から30代の青年達が海外協力隊の青年達と交流を深めました。交流を通してお互いを触発しあうことにより、それぞれの視野や知見を高めていきました。

1980年代に入り、駒ヶ根訓練所が本格的に稼働し、訓練所に至る公道には、「協力隊ロード」や「海外協力隊入口」の標識が架けられました。訓練期間中にも訓練生は地域の方々と関わるようになり、訓練所も地域の市民生活に溶け込んでいきました。

そして、国際情勢に目を転じれば、日本も急激な経済成長を遂げる中で、国際社会でも相応の貢献が求められる経済大国となっていきました。それに見合う国際貢献を行うためにODAの予算も急速に増加し、その後、1989年には日本は米国を抜き、世界のトップドナーとなりました。海外協力隊事業も例外ではなく、派遣数も1991年度には初めて1,000名を超え、駒ヶ根訓練所もフル稼働して、派遣隊員の拡大に大きな貢献をしてきました。

当然、2年間の活動を終えて帰国する隊員も増加の一途をたどるわけですが、その中には引き続き駒ヶ根との関係を持ちながら、国際協力に関わる若者も増えていきました。この駒ヶ根で3か月近い期間を訓練所で仲間と寝食を共にし、美しい自然環境や温かい地域の人々に囲まれて過ごした思い出は格別だったのでしょう。そのため、協力隊の活動を終えて帰国した後も、駒ヶ根への愛着は続いていたようです。

その帰国した隊員の一人に、半田好男さんという方がおられます。半田さんは1991年に駒ヶ根訓練所からネパールに教師として派遣された方です。ここからは、半田さんの活動がきっかけとなり発展した駒ヶ根市における国際協力の歩みについて、振り返らせて頂きたいと思います。

半田さんは理数科教員としての活動の傍ら、首都から離れた山村にて、満足に学校に通えない子供達や女性を対象に識字教室の活動も行いました。半田さんは帰国後も活動を継続し、彼の活動報告を聞いて感動した駒ヶ根青年会議所の有志が、NPO法人「トカルパのひかり」を立ち上げました。このNPO法人は、独自の寄付金事業である「小さな国際貢献運動」を通して半田さんの活動に対して全面的な支援を始めるに至りました。

そして、協力隊員を通して始まったネパールとの関係は、1995年に開始された教育委員会による中学生の派遣事業に広がりました。当時、「開発途上国であるネパールに中学生を送って大丈夫か」という声もありました。そんな中、当時の教育長であり、後の訓練所のカウンセラーでもあった髙坂保先生は、こう述べられたと伺っています。「訓練所があるからこそ、開発途上国で国造りに汗を流す隊員の姿を見せることが大事だ。また日本とは違う開発途上国を自身の目で見ることは、日本をより深く知る機会にもなり必ず将来の役に立つ」。髙坂先生は教育者としての強い信念を持ち、関係者を説得しようやく事業が始まりました。

髙坂先生の教え子であった青年会議所の青年達も、ネパールから中学生や教員を受け入れる事業を始めたり、ネパールへの訪問団の派遣を行ったりと、駒ヶ根市民との交流が幾重にも広がっていきました。その後、首都から離れた第二の都市であるポカラ市の市長が駒ヶ根を訪れ、また、駒ヶ根市からも当時の中原正純市長がポカラ市を訪れるなど、次第に関係が深まってきました。そのような動きの中で1999年には、「ネパール交流市民の会」という団体が立ち上がり、さらなる組織的な友好関係の推進力となっていきました。

そして、両市の関係の機は熟し、2001年にポカラ市との「国際協力友好都市協定」を締結するに至り、その後も両市の人材交流は一層活発になります。一方、市民レベルの交流が続けられる中で、駒ヶ根の方々はポカラ市を訪問するたびに、ポカラの駒ヶ根に似た大自然の素晴らしさと人々の心の温かさと同時に、日本とは比べようもない生活の格差も知ることとなります。

当時、特に医療サービスの質の低さにより、乳幼児死亡率が高いことが課題となっていました。こうした現状を目にするにつけ、駒ヶ根の市民の何かできないかとの思いは実際の行動に結びつきます。母子保健の改善に向けた具体的な活動として、「ネパール交流市民の会」と駒ヶ根市が中心となって、独自の「母子保健プロジェクト」が開始されました。 

駒ヶ根市が橋渡しした結果、日本政府の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」にて建設された「母子友好病院」が建設され、2017年にはJICAと駒ヶ根市とのパートナーシップにより、同病院を起点に草の根技術協力プロジェクト「安心・安全な出産のための母子保健改善事業」が開始されました。

ポカラ市と駒ヶ根市との国際協力は、一時の政変による影響や、コロナ禍における困難な時期を経ながら、今日まで連綿と引き継がれております。同プロジェクトの活動は、その後のコロナ禍で人やモノの行き来が制限される中でも、様々なパートナーとともに続いており、現地で人材が育成されています。

そして、杉本幸治市長の時代には、市長自身もネパールを訪問されました。また、JICAとの自治体連携派遣協定をもとに、駒ヶ根市役所からは、市の職員をJICAネパール事務所に出向という形で派遣いただきました。その後も、職員を協力隊員としてポカラ市に派遣するなど、最大限の支援をしていただいております。

ちなみに、今年8月にJICAのネパール事務所には、長野県上伊那地域出身の松崎という所長が着任する予定です。これも上伊那地域とネパールの何かの縁だと感じています。

さて、ここまで帰国した協力隊員に端を発し、駒ヶ根の皆様が発展された国際協力の歩みを振り返らせて頂きました。ここで視点を少し変えて、現在の世界情勢に向けてみたいと思います。

現在、世界は様々な危機に直面しています。ウクライナでは戦争が続き、ハマスのイスラエル攻撃とその後のイスラエルによる反撃で、ガザでは大変な人道危機が続いています。世界の地政学的競争の激化などにより、冷戦後の国際社会の安定と繁栄を支えてきた法の支配に基づく国際秩序は挑戦にさらされています。また、気候変動は過去と比べて、より具体的な問題として切実感を伴って認識されるようになりました。現在日本もかなりの暑さですが、最近中東や南アジア等では深刻な猛暑が問題になっていますし、世界各地で森林火災や洪水の被害が深刻化しています。さらに、世界中で感染症、食料・エネルギー価格の高騰、債務問題などの危機が複合的に発生しています。このような複合的な危機は、全人類への脅威であるだけでなく、途上国の脆弱な人々に、より深刻な影響を与えています。2030年を期限とする持続可能な開発目標(SDGs)の達成も非常に危ぶまれています。

世界が複合的危機の中にあるということは、同時に、日本人の生活も脅かされているといえます。しかし、複雑に絡み合った課題を一国だけで解決することはできません。国際社会は協調して課題に取り組むことが必要です。危機に対応する協力を世界各地で地道に行い、様々な国々を信頼でつなぐ日本の国際協力が、いまほど必要とされている時はありません。

こうした世界情勢を踏まえて、昨年6月、日本の国際協力の方向性を示す政策文書、「開発協力大綱」が改定されました。この改定された新たな大綱では、「人間の安全保障」という考え方が日本のあらゆる国際協力に通底する指導理念に位置づけられています。

「人間の安全保障」とは、今から30年前の1994年に提唱されたものです。人間一人ひとりの命と暮らし、尊厳を守り、恐怖や欠乏といった様々な脅威を予防し、脅威に備えるような国・社会を作り、一人ひとりの能力をのばすことで、世界中の人々が生まれた国や場所、経済・社会的状況に関係なく、人間らしく生きられるようにしよう、という考え方です。

実はこの考えの根幹は、駒ヶ根市で生まれ育った法学者であり、初代市長の芦部啓太郎氏を父親に持つ、芦部信喜先生が生涯大切にされていた、日本国憲法の前文に由来しています。この前文はこのように書かれています。「われらは、平和を維持し、専制と隷從、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する權利を有することを確認する」。この憲法前文にある「恐怖と欠乏から免かれ」という箇所は英語ではfree from fear and wantと表現され、「人間の安全保障」における大変重要なポイントになっています。

そして、「人間の安全保障」という考え方はここでかつて講演を行った緒方貞子さんが中心となって提唱され体系化してきたものでもあります。我々JICAは、人間一人ひとりを協力の中心に据え、「人間の安全保障」を実現することを組織のミッションとして事業に取り組んできました。世界が複合的な危機に直面する現在、この「人間の安全保障」の考えが、ますます重要になってきたことは間違いありません。

「人間の安全保障」は、市民社会、行政、教育機関、援助機関等の様々な主体が一緒に努力することにより、その実現が近づくものです。先ほど振り返らせて頂いた、ネパールでの識字教室やポカラでの母子保健の人材育成など、駒ヶ根の皆様が育んできた国際協力が目指してきたものも、人間一人ひとりを中心におく「人間の安全保障」ではないかと感じています。

また、新たな大綱では人間の安全保障の実現のために、対等なパートナーとしてさまざまな主体との連帯や繋がりを一層強化し、国境や立場を超えて人類を襲っている脅威に対応していく、「共創」(ともにつくる)と「連帯」という考え方を強調しています。駒ヶ根の皆様がこれまで取り組んでこられた、市民社会、行政、援助機関等を巻き込む形の国際協力は、この「共創」と「連帯」を実践してきた姿そのものともいえると思います。

そして、新たな開発協力大綱のもう一つの特徴として、「共創」により生み出す新たな解決策や社会的価値を日本にも環流させ、日本と開発途上国の人材育成や、日本が直面する経済・社会の課題解決に繋げるとしている点があります。現在、日本にも海外から学び、助けられる課題も多くあります。こうした視点に立てば、これからは一方的な支援でなく、日本と開発途上国がパートナーとして協力しあうことが重要です。我が地域において育んできた国際協力が、地域の課題解決において、どのような意義をもつのか、改めて見つめなおすことが大事な時期になっています。

現在、日本全国の地方都市で抱えている課題は共通するものが多くあり、少子高齢化、労働力不足、地域コミュニティの衰退、農産業などの担い手不足、人口流出などによる若者不足等、ここ数十年で大きく加速してきています。これらの課題に対して、駒ヶ根においてはこれまで培ってきた地域での国際協力の成果がどのように活かせるのでしょうか。まず、これまでの駒ヶ根での国際協力や訓練所によって生み出された財産について考えてみたいと思います。

「トカルパのひかり」の識字教育の支援や、母子保健の改善を目指した草の根技術協力プロジェクトなどを通して得られた重要な財産の一つは、人材育成や交流を通して蓄積されたネパールとの信頼関係であろうと思います。駒ヶ根市にはネパールの国家元首、在京大使、ポカラ市長が定期的に訪問しており、これほど要人が頻繁に訪れる地方都市は珍しいのではないかと思います。

また、ポカラ市への中学生派遣交流事業は、安全管理上の理由やコロナ禍での中断はあったものの、これまでに16回の派遣を行っており、延べ155名の生徒がポカラ市での交流を経験しています。ネパールでの経験は、本年2月に御年95歳となられた髙坂保先生が予測していた通り、派遣された生徒の、その後の人生に大きな影響を与えているようです。一部の事例ではありますが、留学を志し海外でキャリアを積んでいる人材、海外協力隊員になり市の国際交流の推進役になっている人材、社会人となって海外で活躍している人材も輩出しています。

このように、長年に亘る地域発の国際協力、さらに訓練所の存在によって、駒ヶ根市には、ネパールとの強い信頼関係、さらに国際協力に携わった多様な人材がいるという、この地域にしかない財産が生み出されていると言えます。

このように地域で育まれた国際協力から生み出された財産を活かす課題の一例として、まず、駒ヶ根における労働力不足への対応について述べたいと思います。

昨年末の長野県内の在住外国人の人口は4万人を超え、昨年1年間で9%の増加となっています。駒ヶ根市でも800人を超え、同様に昨年1年間で10%の増加となりました。この急激な増加人口の多くは、労働人材として新たに来日した東南アジア諸国等からの若者です。

他方、東南アジアなど途上国からの人材を求める国々は多く、日本と同様の問題を抱える韓国、台湾、中国に限らず、中東、欧米諸国等でも人材受入れ競争が激しくなっています。

このような状況においては、如何に外国人材の受入の環境を地域全体で整えるかが鍵となります。また労働人材の受入の制度改革も急務です。私は、昨年から今年にかけて日本政府の「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」の座長を務め、こうした問題を議論して参りました。先月閉会した通常国会では、技能実習制度に代わるものとして、新たに「育成就労」という制度を創設する法案が可決されました。新制度では、受入側の人材育成への関与と就労環境の整備が求められるものとなっています。

駒ヶ根市との関係の深いネパールについて考えると、駒ヶ根市はネパールからの人材受入においては他の地域に比べて圧倒的に優位な状況にあるのではないでしょうか。 

例えば、これまでのプロジェクトやNGOの活動等において関わってきた人材及び知見を活用することや、中学生派遣交流事業の経験者、帰国した協力隊員、駒ヶ根市のネパール駐在経験のある職員等が受入にかかる研修や地域との交流に関わることなどが考えられます。

すでに信頼関係にある駒ヶ根市であれば、ネパール側でも安心して人材が送り出されるものと思います。そして、同じく山岳地系である、かくも美しい二つのアルプスに囲まれた駒ヶ根の自然環境と駒ヶ根の人々の暖かい心ほど、ネパールの人々を虜にするものはありません。

労働力不足のみならず、地域活性化の課題については、海外協力隊との連携が有効ではないかと考えております。特に、海外協力隊訓練所の活用は、駒ヶ根市および福島県二本松市のみに与えられた特権です。

駒ヶ根訓練所に全国から集まる訓練生は、45年の歳月を経た今、その内実は大きく変容しつつあります。当初は、20代から30代までの男性が殆どであった隊員の構成は、いまでは20代から60代までに広がり、男女比も女性の方が多くなりました。将来のキャリア形成を目指す若い世代はもとより、一定のキャリアを積んだ経験豊かな人材の割合も増えています。

このような人材が、駒ヶ根での語学等の訓練を受けて、2年間にわたる現地での活動を経て、さらなる能力を備えた人材として日本に戻ってくるわけです。言語能力はもとより、現地での生活を通して肌身で身に着けた異文化適応能力は相当なレベルであり、得難い人材であるはずです。そして、それらの人材は、帰国してからも社会の課題解決に強い意識を持ち、何らかの形で社会への還元を念頭に置いている方々が多いと思います。

もし、そのような人材が、海外展開を考えている企業や人材不足で悩む地元企業や農業などに従事する、即ち「還流」すれば地域の産業活性化にも大いに貢献すると思います。また、今後増え続けていく外国人労働者と地域との関係において、異文化理解を兼ね備えた人材として、多様な役割を果たしていくことと思います。

このことは、帰国した協力隊員で組織され、駒ヶ根市に本部を構える青年海外協力協会(JOCA)の姿を見れば一目瞭然です。協力隊経験者の持つ熱意と行動力は、市内の活性化を進める原動力となり、地方創生の大きなうねりともなっています。特に、今年1月に発生した能登地震の時、JOCAは駒ケ根市との連携により、現地にいち早く救援物資を届けております。被災地支援の動きとしては最も迅速で的確なものであったと伺っています。

私は、先月JICAで行っている「帰国隊員社会還元表彰」の表彰式に参加しました。そこでは、途上国での協力隊の経験を活かして、地域で困窮する子供たちを支援する事業を立ち上げる方、クラフトビールの醸造と空き家ツアーなどを通じて地域おこしに取り組む方など、様々な形で特筆すべき社会還元を行った6名の方の報告を聞く機会がありました。それぞれが自身の隊員活動で得た経験を活かして、地域活性化や課題解決に取り組んだ、まさに「共創」と「連帯」をもとにした活動は、協力隊経験者ならではのものでした。

訓練所に集まり、駒ヶ根とのつながりを持つ多才な人材を、如何に駒ヶ根市に根付かせ、先ほど申し上げたような活躍の場を与えていくのかは、まさに訓練所を擁する駒ヶ根市の工夫が求められるところだと思います。例えば、JICAには協力隊員が駒ヶ根や二本松での訓練を開始する前に地域おこしや多文化共生分野の活動に参画させていただく研修制度として、すでに「グローカルプログラム」という事業を日本各地で展開しています。駒ヶ根市においても、訓練前の2名が駒ヶ根市の商店街の活性化や地域での日本語教育事業などに関わらせていただいております。

この派遣前の訓練生が、グローカルプログラムを通じて地元企業や農家等との接点、繋がりを持つことができれば、駒ヶ根への環流のきっかけづくりになります。また、隊員が2年後に帰国した際に、例えば駒ヶ根市の「地域おこし協力隊」や駒ヶ根市で起業するなど、その他活躍する機会が用意されていれば、一層の人材の環流につながるものと思います。これは、駒ヶ根市が高校生に対して卒業後もやがては駒ケ根市に戻ってもらうための動機付けに取り組まれているという「ウミガメプロジェクト」に通じるのではないでしょうか。

以上は、国際協力の成果を活用した地域の課題解決の方策の一例であり、他にも多くのアイディアが考えられるのではないかと思います。

既に皆様ご存知の「駒ヶ根フォーラム」は、伊藤裕三市長のイニシアティブにより、駒ヶ根版の「ダボス会議」を目指して、駒ヶ根市、外務省、JICAの共催により始まったものですが、これまでの国際協力の成果を存分に活かしたものです。過去3回のフォーラムでは、それぞれの分野の国内外の有識者、JICAプロジェクトの専門家、地域の人材などに参加いただき、時々の課題に関するパネル討論会を行いました。そこから発信される知見は、駒ヶ根に限らず日本社会全体に示唆を与えるものでした。今年度の開催についても、駒ヶ根市と連携して有意義なフォーラムにできればと考えております。

以上の通り、駒ケ根市が育んできた国際協力から生み出された財産は、地域の課題に資する大きなポテンシャルを有すると思います。これまで駒ヶ根市がネパールで長年取り組んできた国際協力は、どちらかというと、ネパールの発展を後押しすることに重点があったと思います。ただ、今や、日本のODAはパートナーと共創し、そこで生み出されたものを日本国内に環流して地域課題の解決に活かしていく局面に入りました。駒ヶ根においては、すでに多くの財産があります。この点において、これまで駒ケ根で長年育んできた国際協力の意義があるのではないかと思います。

来年で海外協力隊事業は60周年を迎えます。今年4月30日時点で、駒ヶ根訓練所から旅立つ隊員を含めて、累計で99か国に約56,504名の人材を輩出してきました。今日の混迷を深める世界情勢の中で、現地に溶け込み、現地の人々と信頼でつながる協力隊員の役割はますます重要なものとなります。今後、帰国する隊員一人ひとりが一層の社会還元、地域への課題解決につながる取り組みを進めていけるよう、JICAとしてもしっかりと活動していきたいと思います。

そして、ここ駒ヶ根に訓練所がある限り、駒ヶ根市との関係は永続的に続くものです。さらなる駒ヶ根市の市制80周年あるいは100周年に向けて、ますます連携を深めていきたい、そして、将来の世代に向けて、駒ヶ根市の皆さんとともに、国際協力の活動を一層推進していきたいと思います。

ちょうど30年前に制定された、駒ヶ根市の市民憲章には、このような言葉があります。

未来に生きる子供たちとともに
遥かなる歴史や文化を訪ね
生あるものすべてを愛し
平和と友情の輪が広がることを願い
つねに地球人として高い理想を掲げ
学びあい慈しみ
互いに手をたずさえて
愛と誇りと活力に満ちた
駒ヶ根市を築きます

本日、市制70周年を迎えられた今、この度の講演を締めくるのに、これ以上の言葉は思い当たりません。

駒ヶ根市の益々の発展と市民の皆様のご健勝を願って、本日の講演を終えさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

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