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第六回JICA海外移住「論文」および「エッセイ・評論」受賞者インタビュー第2弾

2026.02.24

2025年12月に、第六回JICA海外移住「論文」および「エッセイ・評論」「エッセイ・評論」部門の授賞式を行いました。授賞式に参加された小迫孝乃さんと熊谷雄さん(共に優秀賞受賞)に大野館長がインタビューをしました。インタビュー内容を全3回に分けて、ご紹介します。

皆さんもインタビューを読んで、ぜひ第七回にご応募ください!

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「豊かになるために、そこには夢と希望がありました。」

大野裕枝館長(以下、大野):小迫さんは2回目の受賞になりますが、ひいおじい様の一生のうちで曖昧なところを埋めていくために、本当にいろいろ調べられていますね。

小迫孝乃 さん(以下、小迫):はい。今アメリカにいる親族は、すでに四世、五世になっているので記憶も曖昧です。世代が変わると記憶がなくなってしまうので、調査が途切れてしまうこともありました。曽祖父の場合はたまたま移民に出たから記録が残っていたのです。生涯を日本だけで暮らしていたなら、記録は戸籍ぐらいでしょう。その戸籍も戦争で役所が焼けてしまって無くなっていることもあります。移民に出た人は出入国の記録や旅券などの記録が残されているのでそこからルーツをたどれるのだとお世話になった先生が仰っていました。
今回、情報を整理してみたら親族の中で4,5人が移民に出ていることが分かりました。例えば、ハワイに行ったのはいいけど賭け事でスッカラカンになって帰国したり、夫婦でクリーニング屋をしていたけど夫が亡くなって帰国した人や、ブラジルに定住した人もいました。みな親戚に当たりますが忘れられていた移民たちでした。

(曽祖父である)和助の時代の契約移民は移民会社に費用を支払って渡航しているので、ある程度の資金がないと移民に行けません。困窮してお金がないから移民に出たというより、移民に行くとお金を稼げるから、稼いで豊かになろう!という勢い(ノリ)があったかもしれません。曽祖父母が住んでいた地域は農業も盛んでしたし、後には鉄道、工場など作られました。比較的豊かな地域だったようです。だから若者の勢いで、みんなで移民に行って儲けてこようとなったのかなって・・・。当時、曽祖父は26歳、曽祖母は20歳ですから若さと勢いがあったはずです。このように調べて行くうちに徐々に移民に対するイメージが変わっていきました。若い2人が豊かになるためにハワイに行くってことは、そこにはきっと夢と希望があったはずです。

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「エッセイ・評論」部門 優秀賞受賞 小迫孝乃さん

大野:貧しいから海外へ渡ったと思ってたのが、調べて行く中で変わったということですね。

小迫:はい、そうです。2人が移民に行った動機を探る中で、当時の経済状況、農村部や都市部、沿岸部など地域の状況を調べました。県内でも場所によって状況が違いました。これはもう謎解きです。ミステリーみたいでだんだん楽しくなってきました(笑)。ただどうしても私たちの現在の感覚や価値観で物事を見てしまいがちになります。すると、当時の彼らの行動が理解できなくなります。知らない時代に生きていた人たちのことを理解するには、当時の状況を知る必要があると思いました。当時の様子を映像で見てみたらイメージできるのではとアドバイスをもらい、できるだけ古い年度に制作され、かつ明治時代を描いている映画や農村風景、当時の日本の風俗などの記録映像を探して視聴し、視覚的に当時の生活を理解しました。

熊谷雄さん 今の時代の目線だと、2か月かけて船に乗って地球の裏側まで行き、言葉もできないのに、どう決断をしたのかと思いますよね。例えば、ペルーに渡り、マチュピチュ村の村長になった野内与吉の渡航のきっかけは夏祭りでの会話だったそうです。同じ世代の友人たちと、盛り上がって「じゃあ行くか」と。今考えるよりもハードルを高く感じていなかったかもしれませんね。西山音松が長男を一人日本に残したことも、自分たちは出稼ぎ先のペルーから日本へ戻れると思っているから、そして、西山家を継ぐ長男だからこそ、ちゃんと小学1年から日本の教育を受けさせようっていう、今とは違う、当時の考え方かなと。

(第3弾につづく)

受賞作品はこちらから

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