研究所長あいさつ

気候変動、人口転換、自然災害、パンデミック、債務危機、地域紛争など、世界は大規模かつ複合的な危機に直面しています。ウクライナ戦争はポスト冷戦時代の世界の政治秩序を激しく揺るがすとともに、グローバルなエネルギー危機、食糧危機をもたらしました。いわゆるグローバル・サウスが台頭し、世界が多極化傾向を強める一方で、国家間の格差、国家内の格差が拡大し、ポピュリズム的な現象が各地で起きています。SDGs(持続可能な開発目標)の実現に向けた努力が行われているにもかかわらず、世界中で数十億の人びとが貧困と暴力に生活を脅かされ、未来への不安に苛まれています。

このような時代に、誰も取り残されず、一人一人が尊厳をもって生きられる社会を目指そうとする理念が、人間の安全保障です。この理念のもとで、援助機関には、開発協力に軸足を置きながら、平和と開発が互いに強め合っていくような実践を推し進めていくことが求められています。人間の安全保障の灯りを掲げ続けた緒方貞子さんは、人類社会の高邁な理想を求める一方で、あくまで現場の課題から出発すべきだと呼びかけました。難民をはじめとする困窮する人びとに寄り添い、かれらの主体性を尊重することを前提として、人びとに届く支援を展開するよう求めたのです。

緒方さんの遺志を引き継ぎ、持続可能な平和と開発を目指し、人間の安全保障を追求する研究機関として、私たちは、現場の経験に根ざした実践的な知の創出に取り組んでいきます。開発研究の分野において世界第一級の学術水準を維持しつつ、国際協力の実務に役立つ堅実な研究を組織し、政策的なインパクトのある研究成果の発信を試みていきます。活発な研究活動を通じて、ジェンダー主流化、そして危機に対して脆弱な人びとに注目するインクルーシブな発展を求めます。

ここで、私たちにはどのような種類の研究が求められているのか、確認しておきましょう。「実務に役立つ」といっても、さまざまなレベルがあります。一番目には、開発の実務家たちがこれまで経験のなかで培ってきた手法の正当性を確認する研究が必要だと思います。なんとなく正しいと思っていた手法が本当に有効であることを確かめ、日本の開発協力の強みとして意識的に整理していくのです。二番目に、開発協力においては、同じ目的を実現するためにいくつかの手段が考えられるけれども、どちらを選ぶべきか判断に悩むことがよくあります。さまざまな事例の教訓を蓄積し、手法の相対的な有効性を整理することが求められます。賢明な選択に貢献する研究が必要です。

三番目に、危機の時代だからこそ、これまでの考え方を乗りこえる新しいパラダイムを提案する研究も求められていると思います。政策形成、開発実務、そして学術の世界において常識だと思われていることに挑戦するような意欲的な研究です。事実に基づいている限り、賛否論争を巻き起こす未来志向の問題提起も時に必要でしょう。これらの問題意識に沿って研究を進めるにあたり、私たちはデータの価値を認識し、情報を集め、デジタル技術を活用します。

複合危機の時代の開発協力は、民間セクター、市民社会、地方自治体など、幅広いアクターを巻き込む必要があります。私たちの研究所では、すでに開発大学院連携が進展していますが、社会科学に加えて、自然科学、人文学の研究者との協力も強化し、包括的な知の創出を目指していきたいと思います。さらに、OECD-DAC諸国と協調し、世界の主流の援助潮流を十分に踏まえつつも、グローバル・サウスに属する国々で活動を展開してきたJICAの特性を生かして、アジア、アフリカ、中南米の研究者、研究機関との知の共創を進めていきたいと思います。6つの重点研究領域のそれぞれにおいて連携の裾野を広げると同時に、日本の開発経験を普遍化し、セミナーや広報メディアを通じて、内外に広く発信する作業を進めていきます。

歴代所長の方々のもとで築き上げられてきた研究所の豊かな知的資産を生かし、今後も実証的な研究成果を着実に蓄積しながら、2023年の新たな開発協力大綱の基本哲学を踏まえ、時代を先取りする冒険的、探索的な研究にも翼を広げていきたいと思います。そうすることで、すべての人びとが互いに信頼し、安心して生きられる世界を築くことに貢献します。

これからもJICA緒方研究所をどうぞよろしくお願いします。

2023年4月1日

JICA緒方貞子平和開発研究所

研究所長  峯 陽一

関連リンク