忘れられ“他者”化されていく中国帰国者二世、三世たちの今を追って—「移住史・多文化理解オンライン講座~歴史から『他者』を理解する~」第3回開催

2022.04.18

2022年2月16日、JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)はJICA横浜 海外移住資料館と「移住史・多文化理解オンライン講座~歴史から「他者」を理解する~」をオンラインで共催しました。同講座は、JICA緒方研究所の研究プロジェクト「日本と中南米間の日系人の移動とネットワークに関する研究」の一環として開催されたものです。全6回シリーズの3回目となった今回は、JICA緒方研究所の長村裕佳子研究員の司会のもと、一橋大学大学院社会学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC)の山崎哲氏が「中国帰国者二世、三世の声を聴く—『中国残留孤児・婦人は今…』の時代を生きる—」をテーマに講演を行いました。

司会を務めたJICA緒方研究所の長村裕佳子研究員

第二次世界大戦以前に中国に渡っており、日本の敗戦後、日本に帰国できず、中国に留まった日本人は、「中国残留孤児・婦人」と呼ばれます。彼らを含めた「中国帰国者」の問題は、現在の日本社会では忘れられつつあります。山崎氏の講演は、その忘却が中国残留孤児・婦人を祖父母に持つ三世でも進んでいるエピソードから始まりました。2021年末、23歳の中国残留孤児三世に聞き取り調査をしていた山崎氏は、「『大地の子』って何ですか?」と聞かれ、驚いたといいます。『大地の子』とは、中国残留孤児の波乱万丈の半生を描いた山崎豊子氏の小説を原作に、1996年にNHKで放映され、大きな話題となったドラマ作品。山崎氏は、「その『大地の子』を知らないとは、時代が大きく流れていると感じた。メディアや文献では、『中国残留孤児は今…』というフレーズがよく使われてきた。しかし、その『今』とは、どの時点から見た今なのか?それは、1980年代のメディア報道を起点に測った距離ではないか」と山崎氏は提起し、第二次世界大戦や中国帰国者に関する記憶が薄れていく中で、その二世、三世らが社会で直面してきたさまざまな状況について論じました。

まず山崎氏は中国帰国者史を振り返り、1946年に中国から最初の引揚げが開始され、1958年には引揚げ終了と見なされたことで日中の往来ができなくなったこと、翌1959年には未帰還者特別措置法によって未帰還者は戦時死亡宣告がなされたこと、そして満洲に開拓団を送り出した地域では満洲にまつわる過去はタブー視され、徐々に日本社会から忘れられていったことを説明しました。しかし、1972年の日中国交正常化の翌年、旧満洲に残った人々の捜索が民間レベルで始まり、1975年からは厚生省(当時)も公開調査を実施。1981年には、残留孤児自身が訪日して肉親調査が始まりました。その際にも残留孤児がNHKの番組に出演して肉親に呼びかけるなど、山崎氏は、中国帰国者史ではメディアが世論を動かし、国を動かす大きな役割を果たしてきたと指摘。しかし、潮目が変わったのは2002~2007年の中国残留孤児国家賠償訴訟裁判。中国残留孤児の早期帰国や帰国後の自立支援義務を国が怠ったため、「日本人として人間らしく生きる権利」が侵害されたとして、帰国した孤児の9割が原告となって国を訴えたのです。その結果、老齢基礎年金の満額支給などを定めた改正中国残留邦人支援法が2008年に施行され、一応の政治的決着を見ました。山崎氏は、それにより2010年代以降は中国残留孤児・婦人に関するメディアの報道が大きく減少していったと、データとあわせて示しました。

変化しつつある中国帰国者の置かれた状況について講演した山崎哲氏

現在、厚生労働省の統計によると公費による中国帰国者の数は約2万人ですが、私費での呼び寄せや日本で出生した世代なども含めると8〜15万人に上るといいます。彼らは、残留孤児・婦人のルーツをどう意味づけているのか?山崎氏は、数多くの中国帰国者二世、三世への聞き取り調査から得たことを紹介しました。例えば二世の多くは中国で生まれ、親世代の一世とともに中国から日本に越境したケースが多く、日本名を名乗っても「中国人」としていじめにあったり、安定的な職に就けなかったりという困難に直面していました。一方、日本生まれの三世は、“普通”の日本人として日本社会に溶け込み、“見えなくなっていく”人が多いといいます。日本生まれの三世が成人したころは、一世の高齢化が進み、残留孤児・婦人に関する報道が激減した時期と重なり、中国帰国者の記憶の継承が難しかったからです。山崎氏は、「ある三世は、自分の祖母が残留孤児であることを知ってはいたが、自身が残留孤児三世であるという意識はなかった。また、大学生になって初めて正確に祖母が残留孤児だと知った人もいた。こうした三世の語りからは、祖父母が中国残留孤児・婦人であることを漠然と知りながらも、自分や家族をカテゴリー化する用語を知らず、中国帰国者の家族として認識する必要性がなかったことが分かる」と実態を伝えました。

質疑応答では、高齢化した中国帰国者の介護の問題、二世、三世向けの日本政府のサポート、二世、三世の横のつながり、世代によるアイデンティティーの違いについてなど、時間が足りないほど数多くの質問が寄せられました。

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