インタビュー【JICA-RIフォーカス 第5号】武藤めぐみ研究員に聞く

2009.05.12

独自のデータが国際発信力を左右する——JICA研究所 武藤めぐみ 研究員にインタビュー

MUTOOH, Megumi

2009年2月にバンコクで開催された、国際学術会議(ICSU)など主催のCities at Risk 国際会議にて、JICA研究所の武藤めぐみ研究員は2050年までの気候変動シナリオに基づく、アジア大都市の社会経済・インフラなどへの影響分析の中間報告を行いました。

気候、洪水工学と社会経済分析という異質の分野を組み合わせたこの研究は、気候変動や都市計画の専門家の注目を集めました。ほかにもインフラや教育まで多様な分野のデータを縦横に組み合わせ、アジアからアフリカまで幅広いテーマに挑む武藤研究員に、研究の方向性を聞きました。

最近の研究

気候変動に対するアジア大都市の適応方法の研究など、なぜ従来なかった分析に取り組んだのでしょうか。

JICAには開発途上国での長年のODA(政府開発援助)活動の結果として、各種のデータが存在します。しかし、せっかくのそういったデータは所在が分散していて、新しい開発課題への取り組みに効果的に使われていませんでした。今回、気候変動をテーマにそれら分散していたデータを組み合わせてJICAならではの分析を試みたことで、国際的にも独自性を打ち出せたと思います。

気候変動の分野では、気候の変化と地上の社会経済活動との接点の分析が、極めて重要になっています。気温上昇や海面上昇が人間の活動にどう影響を及ぼすのか、そして次の政策課題として、どういったインフラ計画やコミュニティーの防災対策が人々を守れるのか、という分析です。それは進行する気候変動の中で、洪水制御や都市交通などのインフラ計画のあり方を見直すことでもあります。

ところが、90年代半ばからの貧困への直接的対策を重視する国際的な流れの中で、ほかの援助機関では長いことインフラ事業に関与していませんでした。他方日本はその間もインフラに関し、円借款、無償資金協力、技術協力の3つの援助スキームを継続的に展開しており、他援助機関と比較してインフラの関連データが豊富といえます。

今回の研究では、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の気候変動の分析結果に洪水制御や都市交通のデータを組み合わせました。それに都市貧困層や企業に関するデータを新たに追加することによって、アジア大都市に及ぼす気候変動の影響についてシミュレーションを行っています。データを組み合わせるというのは簡単に聞こえますが、気候、洪水制御、都市の社会経済分析、貧困分析とそれぞれ全く違う体系を持つ専門分野を整合的につなげて分析することは極めてハードルが高いです。日本の大学やコンサルタントの方々の貴重な助言を頂きながら、共同研究を行っている世界銀行やアジア開発銀行のスタッフと共に日夜悩みながら最終分析を進めています。Cities at Risk国際会議で中間報告を行い、ハードルが高いことに挑戦してこそ、研究は価値が認められるという手応えを感じています。

気候変動に限らず、インフラや教育、と幅広い研究テーマを手掛けていますが、何か共通性はあるのでしょうか。

研究分野として分類すると別個のものでも、現場では相互関連して開発上のボトルネックを引き起こしている例はたくさんあります。たとえば教育分野の案件で開発途上国の山奥に出張に行って、道路状況を見て生徒の通学や先生の通勤の難しさに納得がいく場合があります。しかし、教育分野の研究において道路との関係が指摘され始めたのはごく最近のことです。教育の専門家の発想では「インフラ整備が教育に与える影響」という分析は出てこないようですし、逆にインフラの専門家が、生徒や先生の動きを交通分析の中で精査することもありません。

日本の援助機関の職員の特長は、まず現場を見るよう指導されることです。私もこれまで旧海外経済協力基金/国際協力銀行で、インフラ、教育、農業などの案件を中心に多くの現場での援助に携わってきました。ある分野の専門家になってから現場に行くわけではないので、専門分野のバイアスが掛かりにくく、顧客(開発途上国)志向の姿勢が育ちやすいと言えます。

しかし、国際会議の場でそれは逆に弱さになります。他の国の援助機関の職員や国際機関の職員はまずある特定分野の専門家として育てられ、開発課題を議論する際でもある分野(例えばインフラ)は駄目で他方(ととえば教育)はいいという議論が展開されがちです。しかしそれでは二元論に陥りやすく、現実離れする傾向があります。顧客志向のわれわれ日本の援助機関として、二元論を打破するためにできることは何かということを常に考えています。

さまざまな試行錯誤の結果、専門分野を超えた視点を提供しつつも、専門性が強い国際会議の参加者を説得するためには、データを駆使した実証分析の論文という形式が大事だと認識するようになりました。たとえば世界銀行が、多くの村のデータを基に電気が通るようになってから子供の学習時間が増えた、という実証論文を出し、それまで議論の隅に追いやられていたインフラの分野に新しい価値を吹き込みました。JICA研究所としても、都市から遠い場所にある村でも、地域全体で道路網が発達していれば食品加工業などの小規模企業が成り立つとインドネシアを例に実証分析し、2009年の世界開発報告書(Reshaping Economic Geography)に論文が採用されました。このように実証分析すれば、国際社会の場でも日本のODAの仕事の価値をきちんと説明することにつながります。

JICAの研究者としての抱負

こういった研究は、日本のODAでどのような役割を果たすのでしょうか。

私は、自分の研究者としての立場をバレーボールのセッターとして考えています。レシーバーはJICAの青年海外協力隊や国際協力専門家、事務所スタッフなどとして、援助の現場で多様なニーズを拾う人ですね。またアタッカーは、OECD(経済開発協力機構)や世界銀行など国際機関や他国の援助機関との議論を担当する人です。そしてセッターはレシーバーから飛んでくるさまざまな球を加工して、アタッカーが相手コートに打ちやすい球を出す役割です。

これまでの日本の開発援助研究と比べてどのように違うのでしょうか。

今までの日本のODA全体の仕組みの中で、レシーバー、すなわち問題意識が高く、現場での開発課題(ボール)を一生懸命拾っている人たちは大勢いたと思いますし、今もその数は増えています。またアタッカー、すなわち国際会議の場などで、日本のODAの立場でさまざまな開発課題について積極的に発言する人たちも多くいました。

けれども上手なセッターが少なかったために、レシーバーからのボールを加工する真ん中の重要な役割が欠けていて、アタッカーへ良いボール(相手方を説得できる、実証分析の論文など)が届いていなかった状況だと思います。ですからレシーバーが自分の目の前の個別の事例をアタッカーにつなげても、その事例限りのことで、他に応用できる普遍的要素がないので使えない、と言われたことも多かったと思います。アタッカーの側でも、個別事例のボールしか来なかったので、自分の過去の経験という狭い範囲から発言せざるを得ないこともあったと思います。

国際社会で主張するための知的生産や国際発信のためには、役割分担されたチームを組む必要があります。日本のODAの中で、レシーバーがいろいろな開発課題を拾い、セッターが論文に加工して、アタッカーが国際潮流に対して勢いのいい球を入れる、という流れをつくるのが極めて大切です。

すると日本の援助政策の中で今までなかったポジションを自分で創り出しているということでしょうか。

全く新しいポジションだと思いますね。研究所が出来たということ自体JICAにとっては新しいことですので、今までなくて当然です。ほかの研究者もそれぞれ試行錯誤しながら、自分なりのセッターの在り方を模索していると思います。

レシーバーとアタッカーの間でよく考えたセッターがいれば、アタッカーにボールの効果的な打ち方をささやくことができますし、レシーバーに見落としてはいけない開発課題を喚起することもできます。

今後の日本のODAに関し、研究者としてどのようなことを望んでいますか。

今はまだJICA新研究所の中で、まずどのようなチーム作りをしていくのか、セッターの役割も足元固めをする段階です。今皆のチームワークが良くなって車輪が動き始めているので、やりがいのある時ですね。そして究極の目標はレシーバーとアタッカーをつなげる橋渡しが出来るようになることです。それはつまり、相手方コートにいる人たちにとって、日本のODAが顔の見えるだけの援助ではなく、何を考えているのかが分かり、さすがと納得できる援助になっていくことです。

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