インタビュー【JICA-RIフォーカス 第38号】亀山友理子研究員に聞く

2017.01.04

教育の質の向上に貢献する学びの在り方とは

2015年に採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」では、2030年までに達成すべき17の目標の一つに「すべての人々への包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」(目標4)を掲げています。国際協力において、子どもの教育は大きな課題の一つです。

亀山友理子研究員は、途上国の教育開発・教育成果、学習成果、教育へのアクセスなど、教育分野の研究にかかわってきました。2014年からは「障害と研究」、2015年からは「低学年児童における保護者による学習支援の実態把握と低学力の改善に関する研究:カンボジアを事例に」と、教育をテーマにした2つの研究に取り組んでいます。2つの研究プロジェクトの目的や成果、学びの意味などについて聞きました。

■プロフィール
国際開発センター(IDCJ)、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを経て、2011年より現職。

障害を持つ子どもも平等に教育を受けるために

— 「障害と教育」の背景や目的は?

すべての子どもたちが初等教育にアクセスできるようになるために、障害児の就学機会の確保は大きな課題です。しかし、障害と教育に関するこれまでの研究は、政策比較や理念、教育実践の事例研究がほとんどで、実証研究は限られています。とりわけ開発途上国においては、障害児の教育状況が把握できるデータがほとんどありません。この研究では、特殊教育、インクルーシブ教育など、異なる教育形態が、障害を持つ児童と持たない児童の教育にどのような影響を与えるのか、教員や保護者が教育形態をどのように評価しているのか、人権、費用対効果、教育学的観点などから分析します。

対象国は、モンゴル、カンボジア、ネパール、タイの4ヵ国。モンゴルとカンボジアでは、教員、障害を持つ児童の保護者、障害を持たない児童の保護者に対して質問票を基に調査を行いました。小学校に通う年齢でありながら、非就学の障害を持つ児童の保護者への調査も行いました。ネパールではインタビュー形式で、タイでは教育とスポーツに焦点を当てて調査しました。

研究の目的の一つは、障害児教育の実態を明らかにすることです。多くの途上国では、障害を持つ児童も持たない児童も同じ教室で勉強しています。しかし、これは先進国でいわれているすべての児童が共に学ぶというインクルーシブ教育とは少し違います。特別支援学級という選択肢がないがゆえにそうならざるを得ないという側面があるからです。同じ教室にいても、障害児は適切な指導を受けることも難しく、ただそこにいるだけという状況が頻繁に見られます。こういった現実を、現場の教員や保護者はどのように評価しているのか、調査を基に分析する予定です。

もう一つの目的は、調査で集めたデータを教育政策に反映していくことです。非就学障害児についての情報は、途上国にはほとんどありません。今回の調査では、家庭の社会経済背景、学校に行かない理由や、学校に行かずに何をしているかなども聞いています。その結果、たとえばモンゴルでは、交通手段がないことや周囲の理解不足などが非就学の理由として浮かび上がってきています。万人のための教育(EFA)やSDGsの大きな目標の下、障害児が教育の機会を確保するには具体的にどうしたらよいのか、研究の成果を政策議論のための基本的な情報にしたいと考えています。

調査の結果、モンゴルでは、障害ではなく、貧困が原因で学習が遅れていると思われる子どもが特別支援学校に通っているケースもありました。障害児に対するコミュニティや学校の理解不足も見えてきました。身体に障害がある子どもは、ちょっとした手助けや器具があれば、教室を移動したり体育で体を動かしたりできるのですが、教員にそのための知識がないのでどうしたらいいのかわからないのです。

モンゴルの障害児の保護者へのインタビューで、「親がずっと付き添っているなら学校に通ってもいいと言われた」という話を聞きました。普通学級で障害を持つ子と持たない子を一緒に指導する教員の負担もかなりのものです。そもそも、障害児に何をどう教えていいか、教員自身も指導を受けていませんし、こうしたら成功したという事例を共有できる教員も身近にいません。別のクラスで障害児を教えている教員との交流もありません。普通学校で障害児を受け入れてインクルーシブ教育を進めていくのであれば、教員の待遇だけでなく、学校やコミュニティが一体となった仕組みづくりが必要だと思います。

保護者による学習支援が子どもの学力を左右する

— 「低学年児童における保護者による学習支援の実態把握と低学力の改善に関する研究:カンボジアを事例に」の背景と目的は?

近年、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)や学習到達度調査(PISA)に途上国が参加するようになりました。それに伴い途上国の低学力の問題が顕著になっています。Early Grade Reading Assessment (EGRA)調査によって、初等教育の低学年時から基礎学力が身についていない児童が多くいることが明らかとなり、それが中途退学につながっていることが懸念されています。こうした子どもの学力改善に有効と考えられている大きな支援の一つが保護者による学習支援です。この研究では、保護者、教員、児童への質問票調査と児童のテストを通じ、割ける時間やお金、保護者が受けられるサポート、保護者による学習支援の現状、子どもの認知力・非認知力を調査・分析することで、具体的な支援行動を提示していく予定です。

モンゴルの子どもたち

モンゴルの子どもたち
(写真:今村健志朗/JICA)

教育や学力の格差は、本人の責任ではなく、生まれた場所や環境によって生じてしまいます。保護者の認識不足などに起因していることもありますが、保護者を取り巻く環境にも大きな問題があります。保護者の収入はもちろん、保護者がどれだけ子どもと接し、親子の時間を割けるかも関係しています。収入が低ければ働かなくてはならず、働く時間も長時間となり、子どものために割ける時間は少なくなります。保護者を身近にサポートできる親族の存在や相互扶助が根付いたコミュニティの有無にも左右されます。途上国の地方では、両親が都市や外国に出稼ぎに出てしまい、子どもだけが残される留守児童も問題になっています。

調査では、学力はもちろんのこと、幸福度、満足度、自尊心といった非認知力、それだけでは測りにくいものについてもインタビューで聞いていく予定です。子どもの教育の不平等の責任が保護者だけにあるのではないということを明らかにし、公的な支援やコミュニティーによる不平等是正の在り方を示唆できるよう、研究を進めていきたいと考えています。

コミュニティのサポートが理想的な公教育を実現

— 教育におけるコミュニティの役割とは?

保護者による学習支援調査の一環として、秋田県の東成瀬村を訪れました。秋田県は文部科学省が行う全国学力・学習状況調査(学力テスト)で、2007年の開始以来、常に最上位に名前を連ねています。その秋田県でトップクラスの学力を誇っているのが東成瀬村の小中学校です。東成瀬村を訪れたのは、コミュニティが教育においてどのような役割を果たしているのか知りたいと思ったからです。

教育長や保護者たちへのインタビューを通じて感じたのはコミュニティ全体で学校をサポートしているということです。たとえば、アシスタント・ティーチャーも、時間外の図書の貸し出しも、地域の人たちが積極的に力を貸しているのです。多くの村民が学校支援のためのボランティアに登録しています。

地方ならではの何世代にもわたるコミュニティが信頼の上に成り立ち、学校に問題を持ち込むことが少ないから実現できた部分は確かにありますが、コミュニティが機能していれば教育のレベルが上がるのかというと、けっしてそうではありません。印象的だったのは、東成瀬村の学校に赴任して負担が減ったと話していた教員の言葉です。ほかの学校に勤務していたときは、深夜に帰宅するのが当たり前だったのが、東成瀬村の学校では午後7時くらいに帰ることができるようになったということでした。それは、勉強を教えることに集中してもらうため、教員にそれ以外の業務をやらせないという校長、教頭、教育委員会の方針が徹底しているからです。東成瀬村の教育は、コミュニティが機能し、学校を信頼し、子どもたちが公教育の利益を受けている理想の形だと感じました。

生きるための学びは人それぞれ

— 学びの本来の意味とは?

近年の国際教育協力では、TIMSSやPISAの点数が、その国の教育レベルであるとされがちです。しかし、学力テストの点数に現れる学力は、学びの一部にすぎないと思っています。教育の質を考えるときに、点数は一つの指標にはなりますが、それがすべてではありません。TIMSSやPISAによる国際比較で象徴的に表わされるあまり、点数の変動に右往左往しているのではないかと危惧しています。

教育には、数字で測ることができない部分がたくさんあります。たとえば、モンゴルを例にとれば、遊牧民の子どもと首都のウランバートルに暮らす子どもたちが必要とする知識はまったく違いますから、役に立つであろう学びも遊牧民とウランバートルの子どもでは違うはずです。TIMSSやPISAの到達度は、遊牧民の子どもたちにとってはそれほど重要ではないでしょうし、教科書に載せる内容も違っていいのかもしれません。向上することは大切ですが、子どもたちを生かす学びは、人それぞれ違っています。だからこそ、一つの物差しで比べることに疑問を感じます。

カンボジアの子どもたち

カンボジアの子どもたち
(写真:久野真一/JICA)

私が今、危機感を抱いているのは日本の教育です。TIMSSやPISAの達成度、大学進学率で比較すれば国際的に見て教育のレベルは高いにもかかわらず、諸外国と比べて子どもの自己肯定感は低く、その差は年齢が上がるほど大きくなっています。また、子どもの相対的貧困率はOECD加盟国の平均を上回り、これに伴って教育の格差は拡大しています。日本の教育は子どもたちが生きるための学びにつながっていないのではないか。途上国の教育を研究することで、日本の教育の共通課題も多く見えてきました。

ミレニアム開発目標(MDGs)では、「世界中のすべての子どもが男女の区別なく初等教育の全過程を修了できるようにする」を目標に掲げました。教育へのアクセスの向上という目標は、入学率や就学率などの数字で達成度を測ることができ、ある意味、わかりやすかったと思います。しかし、「すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」というSDGsの目標は、数字だけでは達成度は測れません。そのことを、私たち研究者は理解した上で研究を進めるべきだと考えています。私自身、子どもを持つ母親でもありますが、数字で測ることのできる学力は子どもの力のほんの一部であるという前提に立って、子どもたちの可能性を見つけて伸ばしていくため環境づくりに貢献できたらいいと思っています。

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