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【スティグリッツ教授・峯研究所長 対談】人間の安全保障の実現と信頼醸成に向けて

2024.07.25

ノーベル経済学賞受賞者でコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授と、JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)の峯陽一研究所長が対談を行いました。人間の安全保障を測る指標や、分断化された社会における信頼醸成の重要性など、幅広い議論が行われました。
(記事は2024年3月実施の対談をもとに、再構成しています)

GDPでは測れない人間の幸福度を測る指標を求めて

峯: 「スティグリッツ・セン・フィトゥシ委員会」 [1] による、経済協力開発機構(Organisation for Economic Co-operation and Development: OECD)の「経済成果と社会進歩の計測に関する委員会」の報告書(2009年) では、脱GDPの新しい道が示唆されました。私はこれをすぐに読んで、とても感銘を受けたのを覚えています。この報告書で最も強調したかった点は何でしょうか?

スティグリッツ: GDPという指標では、重要な問題の多くを測ることができない、ということです。今まで取りこぼしてきたものを測る、もっと広い指標が必要です。貧困を測らなければ貧困対策はできませんし、不平等を測らなければ、そこに関心を向けることもできません。つまり、何を測るかによって私たちの行動が変わるということです。そのため、指標は非常に重要です。

この委員会では、大きく二つの点を中心に議論しました。一つは不平等です。例えば、米国の経済は好調と言われていますが、一部の人間が巨万の富を築いているだけで、多くの人々の暮らし向きは悪化しています。GDPは伸びていても、不平等は拡大しているのです。もう一つは、持続可能性の問題です。私がクリントン政権の経済諮問委員会の委員長をしていた時、脱GDPを試みて、環境の劣化や天然資源の枯渇分のコストを差し引いた「グリーンGDP」という指標の導入を図ったところ、石炭産業関連の議員から資金援助を打ち切ろうとする強い反発がありました。地球環境に影響を与えている産業が脅威を感じているということは、私たちの議論には意味があると実感したのです。この経験は、私が委員会の共同委員長を引き受けた一つのきっかけになりました。

峯: 1999年の人間開発報告書でアマルティア・セン教授が人間開発指数を振り返り、健康・教育・収入の単純平均である人間開発指数は、GDP同様、非常に大雑把な単一指標であって、これだけで人間の複雑な生活を描き出すことはできないと指摘しました。同時に、人間開発指数は単一の数値であるがゆえに、GDPの代替として強力な政治的力を持ち得たとも言っています。複数の情報を盛り込んだダッシュボードのような指標と単一指標について、どのように考えますか?

スティグリッツ: この問題については委員会でも何度も討議して、我々は人間社会のように複雑なものを単一指標で測ることはできない、という確固たる結論に至りました。単一ではなく、複数の数値を並べるダッシュボードならば、より網羅的に示すことができます。車の運転に例えて説明すると、運転時に重要な二つの数値は速度とガソリン残量で、それぞれ速度メーターと残量メーターが示していますよね。しかし、もしこの2つの数値を混ぜて一つのメーターで表示したとしたらどうでしょうか?速度もガソリン残量も、何の情報も伝わらなくなってしまいます。また、たとえGDPが上がっても、健康寿命が下がったらどうでしょう?GDPが上がっても、地球という惑星の限界を顧みず、持続可能性が失われたらどうでしょう?それは社会のどこかがうまく機能していないということになります。ゆえに、私はダッシュボード思考が必要だと考えます。我々は常に複数の数字を目の前に並べて、何が重要で何が重要でないかの議論をしなければならないと思います。

多面性がある「人間の安全保障」の理解を

峯: 人間の安全保障については、「セキュリティー(安全保障)」という言葉のために大きな論議が起こりました。政治学や国際関係論の研究者は、危機下における市民保護の観点から人間の安全保障を語りました。それは間違いではないのですが、少し誤解されています。人間の安全保障は、1994年に開発経済学者のマブーブル・ハク氏により新しく提唱された言葉であり、経済的な側面は人間の安全保障の一部だと私は考えています。日本政府はこの概念の主流化に向けて、恐怖からの自由、欠乏からの自由、尊厳をもって生きる自由という概念と結びつけて提唱しました。非常に網羅的な概念であり、セン教授は、いわゆる「緒方・セン報告書 [2] で人間の安全保障の概念を「経済成長時の公平・景気後退時の安全」と説明しています。核心を突いた説明だと思います。

スティグリッツ: 安全保障は多面的なものです。経済学者としては、まず経済面での安全の保障を考えます。私は世界銀行のチーフエコノミストだった時に「Voices of the Poor(貧しい人々の声)」という大規模な研究を行いました。その結果、当然ながら、最下層の人々は経済的保障、つまり収入が最も重要と考えていることが分かりました。また、自分たちの声を聞いてもらえることも重要だと感じていることが分かりました。自分たちの生活に関わる重要な問題について声を聞いてもらえないと感じているなら、彼らの尊厳は奪われていると言えるでしょう。

先ほど話にあがった「成長時の公平」ですが、私は「成長時の安全」もあると考えています。これについては、十分な配慮がなされてきたとはいえません。農業中心の経済から製造業、サービス業、知識産業へと産業構造が変遷していく中で、配置転換や解雇が生じます。社会は失業者を引き受けることができるのか、あるいは使い捨てのようにゴミ箱へ投げ入れてしまうのか。我々の社会、特に米国はこの問題の対処に失敗し、これが政治的な機能障害の一因になっていると思っています。ですから成長時の公平とともに成長時の生活の安全の保障も必要なのです。

峯: 生活の安全が保障されている、あるいは保障がなく不安定であるという状態は、客観的な事実でありながら、同時に非常に主観的なものでもあります。人は統計データに基づいて行動を起こすのではなく、主観的な認識、例えば幸福、恐れ、不安、怒りなどによって行動を起こします。近年、多くの学者がこのことに注目し始めたように思います。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は仕事の尊厳について語っています。ノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のアビジット・ヴィナヤック・バナジー、エステル・デュフロ両教授は、政府や開発援助者は裨益者を見下すような態度で接することがあり、人間の尊厳を傷つけている、と問題視しています。

スティグリッツ: 主観的認識については、OECDでもプリンストン大学の故アラン・クルーガー教授を中心に興味深い研究を行いました。国の発展という点で、主観的認識と客観的事実には、データが示す現実と主観的な認識にずれがある場合もありましたが、強い相関性がありました。認識の問題と実際の経験、その両者を見ることが重要です。

複合的な危機を乗り超え、信頼を醸成するために

峯: 人間の安全保障を実現する上で重要なキーワードは「信頼」かもしれません。「信頼」はJICAが掲げるビジョン「信頼で世界をつなぐ」にも含まれています。信頼とは、政府機関だけではなく、開発の現場で人と人の間で時間をかけて醸成されるものです。特に現在のように分断された世界・社会では国境や分野を超えた協力が必要であり、信頼を培っていかなければならないと思います。

スティグリッツ: 私は、科学への信頼を含めて、人々の信頼が揺らいでいることを非常に懸念しています。人々が社会への信頼を失くしたら社会が機能しません。ではどうやって信頼を醸成するか。あまりにも分断や不平等が進み、安全の保障を欠く社会では、信頼は築けません。そして、人は自分の声を聞いてもらえている、尊厳を持って扱われていると実感して初めて信頼が築かれるのです。社会の中で、あるいは異なる社会の間で、どうやってより良い信頼を醸成していけるかという問題は、私の今後の研究の中心的な分野の一つです。

峯: 今日は非常に刺激的な、励みになるお話をありがとうございました。


この対談の動画(英語)は、以下からご覧になれます。

Dialogue "Development and Human Security" between Prof. Stiglitz and Prof. Mine 【JICA】

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