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援助受入国が援助供与を行うことの意義を求めて—日本の経験から新興ドナーを逆照射する試み

2010.07.15

近年注目を集めている中国や韓国、タイ、インドなどのいわゆる新興ドナーは、いずれも援助国であると同時に被援助国であり、なぜ援助を受けながら援助を供与するのかは新興ドナーを巡る「謎」の一つとされています。JICA研究所では、こうした「謎」に答えるべく新興ドナー諸国の比較研究を行っているところです。

一方、東京大学東洋文化研究所では、東南アジア諸国に対して経済援助を行いながら、一方で世界銀行などから援助を受けて開発を遂げていった1950年代から60年代の日本の経験に焦点を当てた研究、「戦後日本の被援助・開発経験の相互作用的研究:1950年代を中心に」を実施しています。当研究所の新興ドナー研究にとって、類似の道を歩んできた日本の経験を理解することは、この「謎」に対する答えを導き出すとともに、今後の日本の援助の方向性に示唆を得ることが期待できます。こうしたことから、同研究の中間発表の機会を捉え、7月9日、本研究所で合同シンポジウムを開催しました。

「戦後日本における対外経済協力の原点」(主催=科学研究費「戦後日本の被援助・開発経験の相互作用的研究:1950年代を中心に」、共催=JICA研究所)と題されたシンポジウムでは、冒頭、研究チームを代表して佐藤仁東京大学東洋文化研究所准教授(JICA研究所客員研究員)が、本シンポジウムの趣旨について説明。これに続き、3名の専門家がそれぞれの見地から発表を行いました。

下村恭民法政大学名誉教授は、1953年に池田隼人自由党政調会長(当時)とウォルター・ロバートソン米国務次官補(当時)との間で4週間にわたって行われた、いわゆる池田・ロバートソン会談に焦点を当てながら、政治的観点から「日本の援助の源流」について考察。そして、当時の政治家や関係各省がさまざまな形で構想した日本の再生ビジョンの多くに、対外経済協力が主要な要素として組み込まれていた事実を紹介し、「当時の政治的指導者や政策責任者たちが、なぜ考え方や立場を超えて東南アジアへの経済協力に力を注いだかについて掘り下げていきたい」と述べました。

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発表を行う佐藤仁JICA研究所客員研究員

藤倉良法政大学教授(JICA研究所客員研究員)は、戦後、世界銀行が行った対日融資の援助効果について、北海道別海町で実施された「根釧パイロットファーム」事業を例に報告(共同研究者=中山幹康東京大学大学院教授)しました。北海道で初の酪農専業経営の創設を目指した同プロジェクトについてはさまざまな評価がありますが、同氏は、「新しい技術がもたらされたほか、機械開墾が定着する契機ともなり、結果的にその後の北海道の酪農の発展に大きく貢献した」と述べ、この経験を現在の日本の援助に生かすために、今後も調査を続けると話しました。

佐藤仁JICA研究所客員研究員は、1950年代から60年代の日本の対外援助と国内の資源問題との関係をテーマに発表を行いました。この中で、「戦後の日本にとって、対外援助が国際社会に平和的に復帰する上での突破口だった。そして、対外援助と国内資源の有効利用は、援助を通じて有機的に結合していた」と語り、現在では失われた対外援助と国内事情の一体性の獲得について、今後考察していくことを表明しました。また、アジアの新興ドナー研究を進める同氏は、「まだ貧しかった日本がなぜ援助という手段を構想したかを考えることで、今日の新興ドナーを理解する材料ともなる」と述べました。

各発表に対し、コメンテーターとして参加したアジア経済研究所の佐藤寛上席主任調査研究員、JICA公共政策部の小林誉明職員(前JICA研究所職員)の両氏が見解を述べるとともに、会場の参加者たちとの活発な意見交換が行われ、議論が深まりました。同研究チームは、本シンポジウムでの議論を踏まえ、さらに研究を進めたいとしており、当研究所新興ドナー研究チームもその動向に注目しています。

関連研究領域:援助戦略

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左から下村法政大名誉教授、藤倉JICA研究所客員研究員、佐藤仁JICA研究所客員研究員、佐藤寛アジア経済研究所上席主任調査研究員、小林JICA職員

開催情報

開催日時:2010年7月 8日(木)
開催場所:JICA研究所

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