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JICA研究所が、戦後世界銀行が支援した日本での農地開発プロジェクトの公開セミナーを共催

2013.12.18

現在の日本は、米国に次ぐ第2位の世界銀行(世銀)への出資国ですが、1953年から世界銀行の借款受け入れを開始し、1970年代までは最大の資金借り入れ国でした。1950年代には、当時の国内食糧需要を満たすために生産量を大幅に増やす必要があり、北海道や青森県の開墾事業に、世銀の貸出計430万ドルが農地開発機械公団を通じて提供されました。

こういった世銀による農地開発プロジェクトが、日本の農業セクターに与えた影響を振り返り、被援助国としての日本の経験が、今後の日本の国際協力にどう反映できるかを考えるセミナー「世界銀行が戦後日本で実施した農地開発プロジェクト:その今日的意義」が12月11日にJICA市ヶ谷にて開催されました。

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加藤所長の冒頭の挨拶

加藤宏研究所所長(JICA理事)は、冒頭の挨拶で、来年2014年が日本の政府開発援助(ODA)の60周年にあたることから、本セミナーが日本の国際協力の歴史を振り返り、今後の国際協力の展望を考える上で良い機会になると述べました。

その後、3名の研究者による講演と事例報告が行われました。まず最初に登壇した、東京大学大学院中山幹康教授は、「世界銀行の対日援助」について発表し、世銀の融資が、戦後の日本経済の発展の基礎となった重要なインフラや基幹産業の整備に貢献したことを紹介しました。また、世銀の対日援助からの教訓として、援助は被援助国への技術移転だけなく、物事の進め方に改革をもたらす効果があることから、途上国が経済的に成長しつつある現在、日本の「被援助国体験」から貴重な助言を与えることができると述べました。

続いて、法政大学藤倉良教授からは、北海道の根釧パイロットファーム、青森県の上北パイロットファーム、北海道の篠津泥炭地区開拓事業の3サブプロジェクトの経緯や日本人の入植前後の状況の説明がありました。

北海道大学梅田安治名誉教授は、世銀の援助による篠津泥炭地原野の事例を報告し、当初世銀がこの地域に酪農を推進しましたが、日本の技術者や農業関係者の稲作への思い入れを背景に、泥炭地を水田への転換に成功したことを紹介しました。この背景には、日本の農業土木分野の高い技術力と、世銀の柔軟な対応がこの転換を可能にしたと述べました。

その後のパネルディスカッションでは、藤倉教授が議長を務め、北海道の根釧パイロットファームへの入植者である青野春樹氏、奥山秀助氏、梅田名誉教授、加藤所長の4名が討論しました。青野氏は、1957年に、また奥山氏も1958年に、根釧パイロットファームに入植し、厳しい環境の中で、それぞれ混合農業や酪農に従事した経験を紹介した後、梅田名誉教授は、日本で培った技術で開拓に携わった入植者の強い意志を指摘しました。加藤所長は、パネリストの発表を踏まえて、援助機関が援助される側の現場の状況と声に耳を傾ける大切さを指摘しました。

本セミナーは、かつて被援助国であった日本人関係者の現場の声を聞くことにより、今後の日本の援助機関のあり方についての様々な示唆が得られるよい機会となりました。,.

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パネリスト(左から)、藤倉教授、梅田名誉教授、青野氏、奥山氏、加藤所長

開催情報

開催日時:2013年12月11日(水)
開催場所:JICA 市ヶ谷ビル

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