「<ウチナーンチュ>としての在日南米人 — 生活史から読み解く沖縄というルーツ」:「移住史・多文化理解オンライン講座 ~歴史から「他者」を理解する〜」2022年度第1回開催

2023.02.27

JICA緒方研究所は2022年度も、JICA横浜・海外移住資料館との共催で「移住史・多文化理解オンライン講座~歴史から『他者』を理解する~」をウェビナー形式で全7回開催します。2023年1月20日に開催されたシリーズ第1回目のテーマは、関東学院大学社会学部の藤浪海専任講師による、「<ウチナーンチュ>としての在日南米人 — 生活史から読み解く沖縄というルーツ」です。

関東学院大学社会学部の藤浪海専任講師

鶴見区の南米出身者の多くが沖縄にルーツを持つ

神奈川県横浜市鶴見区で外国人支援を行うNPO法人ABCジャパンを運営する沖縄系2世のブラジル人、安富祖美智江さんの生活史を主軸に話は進みます。京浜工業地帯の中核として、鶴見区は戦前から朝鮮半島や沖縄の出身者が集住してきた地域で、1980年代のバブル景気からは南米出身者が集住するようになりました。こうした南米出身者は「外国人」とみなされがちですが、実はその多くが沖縄にルーツを持ち、「ウチナーンチュ」としてのアイデンティティを背負って生きてきました。

安富祖さんもその一人です。沖縄県恩納村出身の両親は1950年代末にブラジルに移住。1968年に生まれ、家業である移動朝市(フェイラ)でのパステウ(ブラジル風揚餃子)販売を手伝いながら、サンパウロ市近郊のマウアー市で育ちました。パステウ販売は「毎日違う人に会えるから楽しかった」という安富祖さんですが、両親との間には葛藤もありました。安富祖さんにとっての母語はポルトガル語。一方、両親はウチナーグチ(沖縄方言)しか話しません。意思疎通に困難を抱えていたのです。さらに、沖縄戦を経験した両親は沖縄系同士の交際にこだわり、沖縄出身以外の日系人や他のブラジル人と友達になることにも否定的。そうした価値観にも違和感を抱いていたといいます。

そうはいっても、沖縄というルーツが安富祖さんの居場所だったことも事実です。戦前戦後を通じ、多くの移民を送り出してきた歴史を持つ沖縄には、世界各地に県人会などのネットワークがあります。その拠点である「沖縄会館」に、安富祖さんをはじめ、現地の沖縄系の子どもたちは、週末ごとに通い詰め、おしゃべりやダンスに興じていました。

在日ブラジル人の暮らしをサポートしたい

大学までをブラジルで過ごした後、安富祖さんは1990年、兄や友人とともに日本に移住しました。当初は群馬県伊勢崎市の食品加工工場で機械のオペレーターとして働き、そこでの仕事を通じて多くの日本語を学びました。その3年後、兄を頼って鶴見区に引っ越し、今度は大手電機会社で顕微鏡検査に従事。1995年に長女を出産してフルタイム勤務が難しくなると、ブラジル料理店でアルバイトを始めました。日本語力や子ども時代の朝市での接客経験が買われ、半年後には店長を任されるようになります。

沖縄伝統の楽器、三線を披露する南米ルーツの子どもたち

そのころから安富祖さんは、来店する在日ブラジル人客からさまざまな相談を受けるようになりました。その後、国際電話代理店に転職しますが、そこでも似たような経験をしました。祖国に国際電話をかけようとした在日ブラジル人が、オペレーターとして電話口に出た安富祖さんがポルトガル語を話せるのを知るや、日常生活の困りごとを相談するのです。そこで本腰を入れて相談対応に取り組もうと、2000年にABCジャパンを設立しました。

ABCジャパンの主な事業は、日本語教室や生活に関する各種生活ガイダンスといった「大人の自立支援」、ポルトガル語に通じた公認心理師によるカウンセリングなどの「こころのサポート」、移民だけでなく、日本人も巻き込んだ「コミュニティ作り」など多岐にわたりますが、最も注力しているのが「子どもの教育保障」です。2008年のリーマンショック以降、移民の子どもの不就学が社会問題化しているため、フリースクールや母語母文化教室、中高生向けの進路ガイダンスを行っています。

さらに、安富祖さん自身、子育て時に親としての知識不足を実感した経験から、保護者への支援にも力を入れています。例えば、子どもの入学式に参列するときにはスーツを着るのが一般的といったことを外国人は知りません。日本人と良好な関係を築くには、そうした「マナー」が分かっていることも思いのほか大切です。安富祖さんもブラジルでの子ども時代、両親が学校に来てウチナーグチを話したら恥ずかしいと思った記憶があります。かつての子どもの視点と現在の親としての視点の両方から、保護者への支援に力を入れているのだといいます。

「日本人」「外国人」ではなく、「鶴見人」

ABCジャパンの運営で安富祖さんがイメージしているのは、自身が居場所としていたブラジルの沖縄会館。ここで藤浪専任講師は、「否定的な意味でも沖縄会館がイメージの源泉になっている点が重要」と語ります。「両親が沖縄系以外の人との交流に否定的だったことへの違和感をもとに、安富祖さんは国籍や出自を越えたコミュニティを形成しようとしている。それは彼女なりの沖縄戦の批判的継承だといえます」。

その姿勢を端的に表しているのが、安富祖さんが自らを「鶴見人」と見なすアイデンティティです。ブラジルで過ごした子ども時代、外見と名前の響きから「日本人」と言われ、日本に来てからは「外国人」と言われ、常に移民として暮らしてきた安富祖さんにとって、「日本人/外国人」という二項対立的な関係性は、あまり意味を持ちません。「何人でもいい。一番言いやすい(のは)鶴見人」なのだそうです。

「その越境的な生活史からは、『外国人』『ブラジル人』『ウチナーンチュ』という単一のカテゴリーに回収されない姿が浮かび上がってきます」。藤浪専任講師はそう語り、とかく「外国人」と一括りにしがちな発想に警鐘を鳴らします。「日本に暮らす移民がそれぞれ、どのような背景を持ち、どのような思いを抱きながら、現在の生活を送っているのか、今一度、向き合ってみることが必要。そうすることで共に暮らす人たちの思いがみえてくるのでは」と締めくくりました。

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