『これで子や孫までスレブレニツァでまた暮らせる。ありがとう。—ボスニア紛争悲劇の街、復興支援の記録』
JICA研究所では、これまで行ってきたJICAの事業を振り返り、その軌跡と成果を分析してまとめた書籍「プロジェクト・ヒストリー」シリーズを刊行しています。本シリーズの第24弾として、『これで子や孫までスレブレニツァでまた暮らせる。ありがとう。—ボスニア紛争悲劇の街、復興支援の記録』を刊行しました。
1995年、ボスニア紛争下で約8,000人ものボシュニャク(ムスリム)住民が虐殺されたスレブレニツァ。紛争後、数多くのドナーから支援がもたらされた中、JICAは2005年、農業支援を通じて民族融和と紛争復興を進めるという未曾有の平和構築支援をスタートさせました。専門家として赴任した著者の大泉泰雅氏は、「ボシュニャク住民が被害者、セルビア住民が加害者という国際社会が決めつけた構図で支援をしてしまってよいのか」と疑問を抱きます。他のドナーとは異なり、スレブレニツァ市第二の街スケラニに根を下ろして日々住民たちと議論を重ねた著者は、ボシュニャク住民のみを対象とした支援では決して民族融和につながらず、民族間の溝をさらに深くするだけだと痛感。そこで、地域住民が立ち上げたNGOや市役所の職員らと民族融和への新たな道を探し始めます。
それから約8年にわたり、プルーンの苗木の植え付け、イチゴなどの温室野菜の生産、ハーブの生産加工、牧草地の再興、養蜂、水道施設の改修など、多岐にわたる事業を展開したことで、住民の収入は向上し、次第に両民族間の交流が生まれるように。そして、両民族の子どもたちが一緒に通う幼稚園の開園にまでこぎつけました。著者は「事業を通じてJICAが磁石のようになり、両民族をくっつけた」とつづっています。「現地の人々が自ら考え、行動を起こし、自分の人生を切り開いていけるようにきっかけを与えるのが支援ではないか」と語る著者が、日々状況が変わる中でどう住民に向き合ったか、そしてスレブレニツァ市の人々の生活や街の景色がどのように変わっていったかが描かれています。
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