【世界とつながる関西:串本町×トルコ】 ~エルトゥールル号遭難事故から130年 連続インタビューPart4 串本町出身のJICAスタッフ

【写真】楠原 英莉(くすはら えり)JICA関西 市民参加協力課
楠原 英莉(くすはら えり)

これまで串本町関係者へのインタビューをお読みいただきありがとうございます。今回、JICAスタッフである私が串本町出身ということもあり、インタビューをする機会をいただきました。
私はJICA海外協力隊時代、西アフリカにあるガーナの小学校でICTの教育支援をおこないました。私にとって初めての国でしたが、現地では自分の活動が受け入れられ、作成した教材は現地の小中学校100校以上に導入されました。このような活動を成功させることができた大きな理由は、「串本町流の国際協力」を行ったからでした。

私と串本町とトルコ

串本の綺麗な海

はじめまして、JICA関西市民参加協力課の楠原英莉と申します。私はJICA海外協力隊(2016年9月より2年間、青少年活動)として、ガーナの小学校などでPC教育の支援をおこなっておりました。
私の生まれ故郷は、本州最南端の和歌山県にある町、串本町。美しい自然に恵まれた、人口1.6万人程度の小さな港町は、およそ8500キロ離れたトルコと非常に良好な関係にあります。町の役場には日本語の堪能なトルコ人が常駐し、トルコの要人が何度も訪れ、お祭りではトルコの踊りも披露されています。どうしてこの町は、トルコの色がこんなに強いのか。それは1890年9月16日に起きたエルトゥールル号遭難事件がきっかけでした。
この事件は串本町沖でトルコ(当時のオスマン帝国)の軍艦が遭難し、500人以上の犠牲者を出しました。串本の町民がその乗船者を助けたことが両国の関係を大きく変化させました。当時の串本町は非常に貧しく、食べるものにも苦労するような暮らしをしていましたが、そのような状況下でも、初めて見るトルコ人に対して、町民総出で食事の提供や怪我人の看護などを行い、献身的に支えました。そのことに恩義を感じたトルコと串本町は、100年以上経った現在も友好関係が続いています。
今では町全体でトルコの文化を受け入れています。トルコ記念館やトルコ軍艦遭難慰霊碑の設置、トルコのメルシン市への中学生派遣など、様々な取組みを行っています。更にトルコ料理屋はもちろん、トルコ製のお守りやお皿、ダマスクローズの化粧品やランプ、絵本までも町内で販売されています。私自身も町内でトルコ人と話をする機会が何度かあり、「世界的に見ても串本町のように治安のいい場所はないんだよ」など、いろいろなことを教わってきました。町を挙げてトルコとの関係を大事にしてきたおかげで、串本町は、国際色豊かで異文化を身近に感じる機会が多い、特色ある町となっています。

串本町流の国際協力

ガーナの小学校でICTの授業をしている様子

私が、幼い頃に外国や異文化に興味を持ったきっかけの一つが、「串本とトルコの友好関係」でした。見た目や食事などの文化が異なる人とでも、思いやりの心をもって接することが出来れば、家族のような関係になることができます。例えば、昔の串本町民はとても背が低かったそうですが、それに対してトルコ人は非常に背が高かったので、きっと当時の方々はお互いに驚いたと思われます。しかし、そこで怯まずに手を差し伸べたからこそ、現在の友好関係はゆるぎないものとなっています。
「自分を大事にしてくれた人」というシンプルな記憶は、実は受け手側にとっては強く心に残るものです。エルトゥールル号遭難事故から約100年後である1985年、日本はトルコから恩返しを受けています。イラン・イラク戦争の最中にイランに取り残された200人以上の日本人を救出するために、トルコ政府は飛行機を手配してくれました。相手を本気で思う気持ちは、異文化や言語、国境を超えて相手に届き、そして時にはそれ以上の形として返ってきます。私はトルコ人の義理深い恩返しに大変感動し、また自分の故郷がこの二つの出来事に関わりがあることをとても誇らしく思います。
私はJICA海外協力隊としてガーナで活動する際、「どんな時も相手を一番大切にする」をテーマに活動に取り組みました。例えば普段から相手に寄り添う事は勿論、相手が大事にしている家族や宗教、ご飯、服、色や好きな人等も一緒に大切にし、2年間生活を共にしました。結果、いつしか現地の方々は私の事を「大切な仲間」と認識してくれ、現地での活動も全力で支援してくれるようになりました。これは私が故郷で得た学びや経験から生まれた、自分なりの活動方法でした。現在、私は既に帰国してから2年が経ちますが、現地から「元気?」「次はいつ会えるの?」という内容の国際電話が未だにかかってきます。
今後の目標は、「串本町の人々のように自分よりも相手に重きを置き、あたたかい心を持った国際協力活動に取り組む事」です。今後も自分の周りの環境や人に感謝しつつ、相手を第一に考える国際協力を続けていきます。

最後にインタビューを経て

今回の取材を通し、私も知らない故郷の一面を知ることができました。町長自ら10年間も毎月トルコ軍艦遭難慰霊碑にて献花を行い、トルコ人達も串本の地で二国間の関係を支え続けてくれている。互いに努力して友好関係を保っているからこそ、中学生のトルコ派遣という貴重な機会にも繋がっているのだと再認識しました。今後も、多くの子ども達がこのようなきっかけから、異文化や国際理解に興味を持ち続けてほしいと思います。そして、いつか私のように、JICA海外協力隊として世界へ羽ばたき、世界のどこかで串本町流の国際協力に取り組んでほしいと願っています。
改めまして、取材に協力して下さった皆様には、心より感謝申し上げます。