【インタビュー】第15回JICA理事長表彰受賞者 米倉進氏に聞く

12月26日(木)「JICA理事長表彰」を受賞した帯広市農業振興公社 農政アドバイザー 米倉進氏に受賞した感想やこれまで実施してきた研修コースのエピソードなどを伺いました。

2020年1月24日

【画像】Q.受賞された感想は?

A.授賞式では、日本だけではなく世界中の方が受賞されていることを知って驚きました。JICAという組織の使命を考えれば、確かに受賞者が世界的にいることはおかしくないだろうと納得しましたが、そのなかに私も入っていていいのだろうかという感想でした。



Q.JICA北海道(帯広)の研修事業に携わるきっかけは?

A. 私とJICA北海道(帯広)のかかわりは、1995年に帯広市農業技術センターが設立され、翌年の1996年にJICA帯広が開所したことから始まります。研修コースとしての技術支援が始まったのは、翌年の1997年でした。

【画像】集合写真は1997年11月18日に撮影した第一回「畑作管理」コースの記念写真です。この写真は私が持っている一番古い記念写真ですが、現在の私の講義スタイルを決めた原点の研修でもあり、特に思い出の多いものです。このコースは、名前を変えながら2012年まで16年間続き、48か国159人の研修員に対応しました。



Q.研修コースについて思い出に残るエピソードは?

A.2009年青年研修「ラオス農村開発コース」のアクションプラン発表会における出来事が印象深く残っています。このコースで講師を務めた廣瀬博昭氏(旧帯広市農協組合長。当時83歳)が発表会当日に若い研修員に向けて「遠い国の孫達へ」という手紙を書いてこられました。通訳の方が現地語の翻訳文を書き加え皆に配布し読み上げられましたが、孫と呼びかけられた研修員の全員が廣瀬さんを囲んで号泣していたのは忘れられない思い出です。

また、20年以上の講師経験で約600名の研修員に対応してきましたが、ただ1名だけ特別に想い出に残る研修員がいます。2017年の青年研修「アグリビジネス/アグリツーリズム(マレーシア)」コースに参加していた女性研修員のNORLIZAさんです。私は古くからアマチュア無線が趣味でJA8IFNのコールサインを持っていますが、この女性もマレーシアのアマチュアの無線局(9W2XKV)を持っており大いに盛り上がりました。二人しか通用しない無線専用略語で話しましたが、周りの人は「何語なの?」と驚いていました。アマチュア無線家が外国の無線家と直接話ができるのは非常に珍しいことで思い出深い出来事でした。

【画像】    
    

Q.米倉さんは2019年7月、ジョージア国へJICA調査団として派遣されました。きっかけは、米倉さんが研修コースリーダーを務めた2018年度課題別研修「農業政策(B)」コースに研修員として参加したジョージア農業協同組合開発庁の職員が、十勝の農業に感銘を受け、「自国でも十勝のような農協の仕組みを確立させたい」との熱い想いを持ったことでした。
ジョージアでの調査はいかがでしたか。

A.ジョージアの要望は、「十勝の農協をモデルに、農業の集団化・効率化を図り、農業収入の増加や産業化に繋げたい」という大きなものでした。現地を視察して分かったことですが、地域や生産物別にそれぞれ個々には農業の仕組みが成立しています。しかし農協に関して言えば、いちど原点に戻って取り組まなければ難しいと思います。そもそも農協は他人に言われて作るものではなく、また儲けるために作るものでもありません。農家の皆さんが集まって弱い力を強くするためのもの。自分が農協の組合員であるということは、農協の運営者でありながら同時に農協に出荷をするということです。農家それぞれが農協の目的を理解し、みずから組織をつくりその組織をどう利用するかを考えることから始めなければなりません。



Q.今後やっていきたいことは?

A.これまで研修をお受けして、研修の目的に沿った講義をして、研修員を帰国させてきました。しかし研修員たちの国の農業がどのような様子であるのか、またどのように変わったのかを実際に見に行ったことはありません。今後は単純な講師役にとどまらず、さらに「特化して、深堀りする」ということをしてゆきたいと考えています。

また、2013年と本年度(2019年)の2回にわたり青年研修アフガニスタン農村振興のコースに対応しましたが、アフガニスタンで長年活躍していた中村哲医師がお亡くなりになったことは非常に残念だと思っています。農業用水路の建設など復興にも携わっていたこととともに「農業が仕事として成り立てば誰も戦闘員にならない」との言葉は、研修をお受けする立場の者として心に残りました。心からご冥福をお祈りします。


<米倉進氏の略歴>
1971年 帯広市職員採用
      水道部総務課、総務部契約管財課を経て1983年4月農務部農林課へ異動
1995年 帯広市農業技術センター開設により同センター常勤となる
2001年 農務部営農課長 発令
      農業技術センター場長、八千代公共育成牧場長、畜産研修センター館長を兼務
2007年 教育委員会学校給食共同調理担当調整監 発令
2008年 農政部長 発令
2013年3月 帯広市職員定年退職
2013年4月 ㈱帯広市農業振興公社 参事(企画調整担当)
2018年4月 ㈱帯広市農業振興公社 農政アドバイザーとして 
      現在に至る