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JICA関西センター物語(最終回) -さらなるパートナーシップ発展のために- 「兵 庫を拠点とする関西センター(下)」
(付注:前号に引き続き、今回も兵庫センター存続のために活動下さった方々のお話を中心に記載しています。大阪センター存続のためにご尽力下さった方々にとっては今号の内容に納得し難い部分もあると存じますが、ご海容をお願い申し上げます。)
兵庫県内にJICA拠点を存続させるためにご尽力下さった方々について、過去2号(第16号~第17号)にわたって報告いたしました。最終回となる今号では、どのような経緯で方針が決まったのか、さらに、存続のために活動下さった方々がどのようなお気持ちを持たれたのか、報告いたします。
【“寝耳に水”だった副大臣の発言】
「大阪を廃止、兵庫に統合」との方針が実質的に決まったのは、2010年4月23日に実施された事業仕分け第2弾での外務副大臣の発言と言われています(注1)。第2弾は第1弾(2009年11月24日)の結果のフォローアップという形で実施されました。
第1弾の事業仕分けでは、「札幌・帯広、横浜・東京、兵庫・大阪の統合」が評価者のコメントとして取りまとめられました。第2弾では、その後の検討状況として外務副大臣から次のとおり説明されました(注2)。
「大阪国際センターについては、(中略)売却してもいいという判断を、結論を出しました。(中略)JICAとはかなりやり合いました。かなりやり合いましてJICAも理解をいただいた上で今日の結論を出させていただいております(後略)」。
JICA本部では他のセンターを含め、大阪センターの必要性を副大臣などに説明している真っ最中でした。しかし当時の大阪センター職員によれば、当日の大臣判断で大阪の閉鎖・売却が表明されるに至ったとのことです。
JICAはその後、説明に追われました。ゴールデンウィークが明けた5月7日には、本部から幹部が大阪府、関西経済連合会(注3)、大阪大学、茨木市を訪問しています。5月10日には、大阪センターが自治体や関係団体に対する説明を開始、並行して契約関係や売却による影響の洗い出しが始まりました。
(注1) ただ当時の新聞報道を確認する限り、JICAの他の施設の統合を検討するという記載はあるものの、大阪センター廃止にまで言及したものは筆者が捜索した限り見つけることはできなかった。
(注2)「行政刷新会議ワーキンググループ「事業仕分け」WG-A」(内閣府 行政刷新会議事務局発行)より。
(注3) 関西経済連合会と共に大阪商工会議所、関西経済同友会が「関西における海外人材の育成機能の維持・強化に向けた要望 ―JICA大阪の存続を求める―」とする要望書を2010年8月2日付でとりまとめ、公益財団法人 太平洋人材交流センター(PREX)の井上義國会長が大阪経済記者クラブで大阪センターの存続要望を表明している。
【「その時」を迎えて】
兵庫センターを残すとの政府方針を、存続のために活動下さった方たちはどのタイミングでどなたからお聞きになられたのか。関係者の皆さんにお伺いしたのですが、かなり前のことでもあり、はっきりと記憶されている方はおられませんでした。ただ、兵庫センター存続のために活動下さった方たちは、「その時」の気持ちは今でもよく覚えていらっしゃいました。
「正直なところ、『草の根レベルでの動きだけで兵庫が残るのか?ほぼ大阪が残ると言われている状況をひっくり返すことができるだろうか?』と思いながら活動していました。でも、やれることだけはやろうと思っていました。結構必死でした。兵庫が残ったことについて村井さん(注4)から、『今回の活動が効果があり、功を奏した』と伺いました。驚くと共に行動して本当によかったと思いました」。(吉富志津代氏(注5))
「『兵庫が残ることになった』と協力してくれたみんなに伝えたら、すごく喜んでくれました。拍手喝采を浴びました」。(日比野純一氏(注6))
「こっち(兵庫センター)が当然残ると思っていたので驚きはありませんでした。それくらいの信念を持ってやっていました」。(芹田健太郎氏(注7))
「兵庫を残すと決まって、兵庫県の人たちはみんな驚きました。そしてとても喜ばれました。神戸を離任する際に齋藤(富雄)理事長(注8)が調整してくださって井戸知事(当時)に挨拶に伺いました。センターが残ったことに対する感謝と労いの言葉をいただいた時は素直にうれしかったです」。(伊禮英全元JICA兵庫センター所長)
(注4)村井雅清氏(被災地NGO恊動センター代表(当時))。要望書世話人代表のお一人。第17号参照。
(注5) 要望書世話人代表のお一人。第17号参照。
(注6)要望書賛同者団体の一つ、FMわぃわぃの代表理事(当時)。
(注7)要望書世話人代表のお一人。第17号参照。
(注8)元兵庫県副知事、兵庫県国際交流協会理事長(当時)。第16号参照。
【現在の大阪センター】
前述のとおり、事業仕分けの中で大阪センターは売却の方向で議論されていたのですが、結局は国庫返納となりました。その後、土地と建屋を購入されたのは友紘会総合病院でした。2014年のことです。現在の病院の竣工は2018年8月でした。大阪センターが建設されたのは1994年です。すでに20年間にわたって使用されていましたが、施設としてはまだ十分に使える状況でした。しかし建て替えることになりました。その理由を友紘会総合病院の上田健一総務課長に教えていただきました。
「病院として使用するには廊下の幅や天井の高さが不十分だったためです。我々としてはできるだけ大阪センターの施設や建物を活用したいと考えていました。特にロビーの大理石は見事でした。泣く泣く廃棄せざるを得ないものもたくさんありました」。
(写真:友紘会総合病院東側鳥瞰。2018年竣工時。(友紘会総合病院ご提供))
友紘会総合病院は、元は大阪モノレール彩都線豊川駅のすぐ近くにありました。一方、大阪センターは同じ駅、もしくは隣の阪大病院前駅から15分ほど歩かなければなりません。移転したことを病院関係者はどうお考えなのでしょうか。同じく上田課長のお話です。
「いいことばかりです。確かに交通の便は悪くはなりましたが、主要駅を結ぶシャトルバスのルートを工夫するなどで対応することができました。またここは高台にあり、災害想定区域からも離れています。移転後すぐに大きな台風に襲われ、旧病院は大きな被害に見舞われたのですが、新病院はほとんど被害がありませんでした。地下水も利用していますが水質がとてもよく、消毒などすることなくほぼそのまま利用できます。車で約2分のところには大阪大学医学部もあり、お互いに協力し合って運営・研究などを行っております。建物は建て替える必要がありましたが、敷地内の植樹や外構部分はメンテナンスがよく、ほぼそのまま使うことができました」。
4月初め、友紘会総合病院を訪ねてみました。正面玄関向かって左手には、大阪センターがあった時には海外からの研修員や訪問者の目を楽しませていたという桜が満開を迎えていました(写真参照)。さらにその奥には駐車場があります。大阪センターを引き継いだ時に施設としては唯一残ったもので、ここだけを見ていれば、まるで当時にタイムスリップしたかのようです。
(写真:大阪センターの頃から咲いていた桜。奥は駐車場(2025年4月筆者撮影))
【結びに代えて】
「JICA関西センター物語」を書き始めたのは、今から3年前の2022年でした。ちょうど兵庫インターナショナルセンター(JICA関西の前身)がここHAT神戸に移転して20年を迎えた年でした。翌2023年には神戸市須磨区一ノ谷に兵庫インターナショナルセンターが開設されて50年を迎えました。そして今年は阪神・淡路大震災から30年という節目の年です。
「国際社会に恩返しをしたい」という兵庫県の熱意を受け、2007年4月にJICAは兵庫県と共同で国際防災研修センター(DRLC)(注9)を設立し、共に防災に対する事業を実施してきました。その取り組みは評価され、今年開幕した大阪・関西万博の「共創チャレンジ」の中で「ベストプラクティス」(注10)に選定され、全会期中、万博会場内で取組概要が常設展示されています。兵庫県の方々と共に進めてきた防災の取り組みがこのような栄誉に与ることを大変嬉しく思うと共に、一緒に喜びを分かち合えたことにこの上ない幸せを感じます。
防災分野だけではありません。兵庫インターナショナルセンターの立ち上げから今日に至るまで、このセンターはずっと兵庫県の方々や多くの人たちに支えられてきました。また施設運営や移転、大阪との統合など、節目節目で言葉では言い表すことができない大きなご支援、ご協力をいただいてきました。さらにJICAは研修事業に加え、時代の要請に応え、外国人材の受入促進支援や多文化共生などに向き合う中で、大阪センターを支えて下さった方々や多様化した関西圏のパートナーと協働する機会が益々増えています。我々JICAのスタッフは、これまで関係を築いてきた方々への感謝の気持ちを常に胸に抱きながら、パートナーシップをさらに発展させていきたいと考えております。
約2年半に亘って執筆してきました「JICA関西センター物語」は、今回をもちまして、ひとまず終了いたします。ここまで様々なエピソードを記載することができたのは、取材に快く応じて下さった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。また、HPへの掲載を始めてから、多くの方々からご感想や興味深い当時のお話などをお寄せいただきました。それらもまた機会があれば、ご本人のご了解を得た上で、読者の皆さんにもご披露させていただきたいと思っております。
ご愛読いただき、誠にありがとうございました。
JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦
(写真:海岸沿いのなぎさ公園からの景観。左から人と防災未来センター(西館)、同(東館)、JICA関西、国際健康開発センタービル、兵庫県立美術館(右側の茶色いマンション群手前の3階建て建築)。国際健康開発センタービルには兵庫県国際交流協会(HIA)が入居しており、JICAの国際協力推進員(兵庫デスク)が配置されています。また、人と防災未来センターと兵庫県立美術館とは、大阪・関西万博に関連する取組みを共に実施しています。これからもJICAは、地域と共にあるセンターであり続けたいと思っています。(2025年5月筆者撮影))
(注9)国際防災研修センター(Disaster Reduction Learning Center)。第11号参照。
(注10)2024年11月、大阪・関西万博の「共創チャレンジ」(万博のテーマ、「いのち輝く未来世界のデザイン」を実現するため、自らが主体となって共創しながら未来に向けて行う具体的な活動)として登録されている2,000件以上の取り組みの中から国内外25件がベストプラクティスとして選出された。
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