【JICA海外協力隊】「人生なんて きっかけひとつ。」ボランティア体験談~宮下紀江さん(パナマ)編~
2024.03.04
2024.03.04
道東地域にゆかりのあるJICA海外協力隊経験者の皆さんにボランティア体験談をお伺いしました。(全3回)
第2弾は、1992年にパナマへ派遣後、現在オホーツクの北見市の児童館で働きながら、今年2度目のJICA海外協力隊でペルーへ派遣予定の宮下紀江さんです。
【宮下紀江さんプロフィール】
出身地 :神奈川県
派遣先 :パナマ共和国
職 種 :食品加工
活動内容:村落の主婦や子供などを対象にセミナーなどを実施
派遣期間:1992年~1994年
子どもの頃から、日本ではみんなが同じなことが窮屈に感じ、日本の風土が自分に合わないと感じていました。
大学生になり、少し自由になったと感じたこともありましたが、社会人になってからはまた同じように窮屈に感じることが多く、このままでいいのかと思うようになりました。
旅行が好きでしたが、旅行では経験できないことがしたくなり、JICA海外協力隊への応募を決意しました。
井戸の水くみを手伝う子供たち
パナマの地方部の人は普段は大人しい印象でしたが、根が明るく生活力があると感じました。皆さん視力がよく、遠くまで見通せることに驚きました。
当時、電気や水道などのインフラ整備が整っておらず、困ることが多かったです。
また、パナマの人たちにとって時間はあってないようなもの。時間を気にしないことにも驚きました。
パナマでは、食事は米が主食で、スープや豆、トウモロコシをすりつぶして焼いたものを食べていました。フルーツも豊富でしたし、食事は美味しかったです。
楽しそうに料理づくりする村人たち
活動の中で困ったことは、2週間ごとに村を転々とする活動内容だったため、住居が安定しないことでした。次はどこに行くのかわからなかったり、行ってみたらトイレや窓がないところもあったりと不安を感じることもありました。
パナマでの活動では、村落の主婦や子供などを対象にセミナーなどを実施していました。現地の人たちは、私の活動に協力的で、たいへん熱心に話を聞いてくれました。
当時、パナマではマヨネーズを手に入れることが難しく、家庭でできるマヨネーズ調理法を教えたところ、皆さんに大変喜ばれました。
現地の人たちと
パナマのラテン地域の雰囲気が自分に合ったと感じました。パナマでは日本車が多く、技術なども褒められることがあり、誇らしく感じました。日本にいるときよりも日本のことをもっとよく知りたいと思いました。
帰国後、同じパナマの青年海外協力隊員と結婚し、北海道に移住しました。子育てにおいても、日本の環境が閉鎖的だと感じ、パナマに戻りたくなるときもありましたが、子育てが忙しく気が付くとずっと日本で過ごしていました。
養護学校の給食の仕事をしていた時に、教育や福祉に関心を持ち社会福祉士の資格を取りました。
現在は、児童館で働いていますが、今年休職し、ペルーにJICA海外協力隊員として派遣されることになりました。子育てが一段落したのでまたチャレンジしたくなりました。
子育て、親の高齢化など色々な環境で応募をためらっていらっしゃる方もいるかもしれませんが、JICA海外協力隊はチャレンジする価値があると思います。
近年は、戦争や感染症などの問題があり、自由に行き来できることが当たり前ではなくなるかもしれません。興味があったら、是非応募してみてほしいです。
ちなみに、私の息子も短期派遣でカンボジアに行きましたよ!
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