【リセット・ロビレス研究員インタビュー】コロナ禍でこそ人間の安全保障を研究する道を探す

2022.07.13

新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)のパンデミックにより、フィールドで調査研究を行うことは困難になりました。その一方で、パンデミックや異常気象などの脅威が重なる中、人々がどのように自らのエンパワメントを実践しているのか、理解する機会も生まれています。

今回は、災害避難に関する研究実績があるJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)のリセット・ロビレス研究員にインタビューを実施しました。ロビレス研究員はフィリピン出身で、現在は研究プロジェクト「東アジアにおける人間の安全保障とエンパワメントの実践」に参加しています。

災害により移住せざるを得ない人々に焦点を当てる

—ご自身の経歴を教えてください。

私は日本に来て11年になります。それ以前は、フィリピンの大学で図書館司書を務めていました。2011年に日本政府の奨学金を得て、日本の大学院で研究をする機会を得ました。同年に起きた東日本大震災は、私の研究と専門性の方向性を見定める上での分岐点になりました。具体的には、災害リスクの軽減と復旧に関する移民のソーシャル・キャピタルを研究の中心に据え、日本の大学で修士号と博士号を取得しました。修士論文や博士論文で扱ったのは、フィリピン人学生の東日本大震災の被災体験や、災害時の移民ネットワークの重要性、2013年にフィリピンを襲った台風30号(アジア名:ハイエン)の影響で避難した住民の調査研究でした。

2017年に大学院を修了した後、JICA緒方研究所の研究プロジェクト「二国間援助機関による人道危機対応に関する比較研究」にリサーチ・アシスタントとして加わりました。私の研究上の関心と重なる非常に興味深いテーマでした。2019年からは研究員として、研究プロジェクト「東アジアにおける人間の安全保障とエンパワメントの実践」に携わることになりました。求められている研究実績を携えて、しかるべき時にしかるべき場所にいたのだと思います。

—参加している研究プロジェクト名にある「エンパワメント」という言葉の定義を教えてください。

まず、人間の安全保障との関わりをしっかり認識することが重要です。人間の安全保障に単一の定義はありませんが、より広義には 「人々が恐怖と欠乏から逃れ、尊厳を持って生きること」という意味を含みます。それを実行するための枠組みは、上からの保護と下からのエンパワメントの組み合わせで成り立っています。

上からの保護とは、政府や国際機関、NGOなどのステークホルダーによる戦略やメカニズムからなり、深刻かつ広範な脅威から人々を守ることを目的にしています。一方、下からのエンパワメントとは、脅威に直面した時にレジリエントな(弾力性があり、強靭な)コミュニティーを保つ能力を指します。

国家などのステークホルダーは、人々の全てのニーズにいつも対応できるわけではありません。そのため、持続可能で安定的な復興には、コミュニティーレベルで参加し行動する人々がニーズを補完することが必要なのです。時には、脅威に立ち向かい、レジリエントでいるための独創的な方法を彼ら自身が見いだすこともあり、それは良いことだと思います。

しかし、コミュニティーが存続し、脅威から立ち直るには、非国家のアクターや他の支援者による後押しを受け、「主体性(agency)」やストレスに対処する自らのスキルや能力を認識することも必要です。例えば、移民グループはネットワークを活用して、自然災害に直面した際に情報を共有・交換することができます。また、長期の避難生活を強いられた人々が暮らす難民キャンプでは、経済開発活動に女性を参画させる共同の取り組みも見られます。一口にエンパワメントといっても、個々の文脈においてそれぞれ非常に異なるということがポイントです。私たちの研究では、そうしたそれぞれのエンパワメントのあり方を解明しようとしています。

人間の安全保障という概念が広範であることには、長所と短所があります。人間の安全保障は包括的で、幅広い脅威や脆弱性を捉え、それに対処するために複数のアクターやコミュニティーが関わり合います。しかし、その包括性の故に、「エンパワメント」や「尊厳」といった言葉を分かりやすく定義することが困難です。紛争、災害、感染症、気候変動等、文脈(context)が異なると、コミュニティーごとに人間の安全保障の実践の様相が異なるからです。それでもなお、包括的な概念であるからこそ、文脈が異なる中でさまざまな実践の在り方を探ることができると考えています。

コロナ禍で災害に見舞われた日本でエンパワメントの実践を見いだす

—現在取り組んでいる研究プロジェクト「人間の安全保障とエンパワメントの実践」について教えてください。

すでにJICA緒方研究所には東アジアでの人間の安全保障の概念と実践に着目した研究プロジェクトの実績があり、同地域には脅威への対処として保護が明らかに存在していることを証明しました。エンパワメントの研究プロジェクトはこれを補完するもので、それぞれの脆弱なコミュニティーにおいて、エンパワメントがどのように展開するのかを理解することを目指しています。

熊本県球磨村の仮設住宅

当初の計画では、研究者がさまざまな国のフィールドに赴き、草の根のインタビュー調査など現場に根差した活動を行う予定でした。人々がどのように団結し、さまざまな危機的状況から立ち直るために何を行っているかを調べるためです。しかし2020年からのコロナのパンデミックによって、研究の見直しと、代替的なデータ収集方法の検討を迫られました。こうしてコロナによってプロジェクトの計画は変わりましたが、それでも、脅威や災害が重なり合い、連鎖する中でのレジリエンスというテーマにたどり着くことができました。ただ、脆弱で取り残されたコミュニティーでの下からのエンパワメントを探るという方向から外れることなく、かつパンデミック下でも効率的に、しかも安全に調査データを収集する方法を考えなければなりませんでした。調査対象となった国や地域ごとに固有の条件があり、それに対応することは、研究者にとってもプロジェクト管理者にとっても学びとなりました。

この研究の中間成果として、コロナの状況と人間の安全保障の不全について調査対象国ごとの概観を盛り込んだワーキングレポート集を発刊しました。具体的には、ベトナムの都市における貧困、インドネシアの国内避難民の食糧安全保障、インドネシアでの環境汚染、タイにおける高齢者へのパンデミックの影響などについてのケーススタディーをまとめています。フィリピンでは、ジェンダー、性と生殖に関する健康、並びにミンダナオ地方における平和と正義をテーマとしたケーススタディーを実施しています。全てのケーススタディーは、パンデミックという文脈の中で調査・分析されています。私は、コロナ流行下の2020年に発生した洪水と土砂崩れによる熊本県球磨村での災害避難をテーマに調査しました。このレポート集は人間の安全保障に関する分析の第1段階であり、エンパワメントの詳細な分析へと続きます。

—ご自身の調査研究を進めるにあたり、どのような困難がありましたか?

当初、私は洪水により恒常的に避難を余儀なくされているミャンマーのコミュニティーが、さまざまな脅威をどのように克服するのかを調べようと考えていました。現地の調査助手を採用するなど、リモートで調査を行うための調達計画まで立てていたところでした。しかし、2021年に発生したクーデターにより、調査自体だけでなく、調査を支援してくれる予定の人々の安全についても考え直すことを余儀なくされました。そして、コロナとクーデターという複雑な事情を考慮し、残念ながら、少なくとも今回のプロジェクトではこのコミュニティーでの調査を中止することを決めました。

とはいえ、当然ながら災害は待ってはくれません。ここ日本でも、パンデミックのさなかの2020年に熊本県球磨村など、九州の複数の地域を豪雨による洪水が襲いました。川の水位が異常に上昇して家屋が損壊し、住民は避難を強いられました。洪水から時間がたっても、まだ仮設住宅で暮らしている人々がいます。当時、コロナの感染拡大を受けて緊急事態宣言が発出されていたため、私自身が熊本に行くことは困難でした。そのため、他のケーススタディーと同様、熊本でフィールド調査を実施できる現地の研究助手を採用し、最初はリモートで連絡を取り合って調査を進めました。コロナの状況が改善し、制約が緩和された時期には、私も球磨村を訪れて調査できる機会が2回ありました。しかし、オミクロン株によって感染が再拡大したため、3回目の現地入りは中止せざるを得ませんでした。現地調査では、脅威の影響を最も大きく受けている人々のニーズに着目することが大切です。そのため、外部から私たちが訪問することで住民を不安にさせないよう、現地入りを断念したのです。

—球磨村の避難住民がどのようにエンパワメントを発揮していたか、具体例を教えてください。

私の調査では、仮設住宅で暮らす避難住民に焦点を当てています。仮設住宅は、被災者が定住先に引っ越すまでの移行期間に生活の立て直しをするための場所です。例えば、球磨村の仮設住宅内には、「みんなの家」というコミュニティー・センターもあります。これは過去の災害の経験から取り入れられたもので、人々が集い、前に進む計画を立てるために使われます。

コロナの感染拡大によって「みんなの家」に人々が集まることは難しくなり、新たな課題が生まれました。しかし、集まれなくなったからこそ、人々がエンパワメントを発揮していた実例も目にしました。被災者らが高齢者をはじめとする他の被災者の家を自主的に訪ね、支援が必要ないか確かめていたのです。私が最後に現地入りしたときは、「みんなの家」に集えないために失われた心のつながりを育むため、人々がソーシャルディスタンスを保ってコロナ対策をとりながら、仮設住宅内の広場に集まって一緒にスポーツを楽しんでいました。私たちがコロナのパンデミック下での移住について理解を深めるには、更なる研究が必要です。

—この研究は今後、脆弱層へのエンパワメントの実践にどのような形で貢献できると考えますか?

人間の安全保障は、より困難な状況にある国々、つまり主に開発途上国のみに関係しているという印象を持っている人が多いのではないでしょうか。しかし、人間の安全保障は普遍的なものです。国の発展レベルや地理的特徴にかかわらず、誰でも命や暮らし、尊厳を脅かし得る脅威を経験する可能性はあるのです。日本のような発展した国でさえ、取り残された脆弱層は存在しますし、異常気象や自然災害による避難者も脆弱です。この点は一考に値することです。

災害に直面したとき、日本が共有できるベストプラクティスを多く持っていることは間違いありません。しかし、パンデミック下で発生した災害の場合は、被災者が直面する複合的な脅威(洪水被害とコロナなど)や災害発生前からあった脅威(急速な高齢化や地方の過疎化など)の両方への日本の対応が試されました。こうした課題への日本の対処方法は、同様の脅威が発生した際に、コミュニティーをどうエンパワーさせるかを検討する上でのモデルケースとなり得ます。ただし、脅威に対応するための主体性と状況は、コミュニティーごとや集団ごとに固有ですから、それぞれのエンパワメントは特有であると想定することも忘れてはなりません。とはいえ、日本のケースは、同様の困難に見舞われた他のコミュニティーにとって、有益なベストプラクティスの一例となるでしょう。

—この研究プロジェクトの成果は、どう発信していきますか?

前述したように、中間成果としてはワーキングレポート集をJICA緒方研究所のウェブサイトで公開しています。ケーススタディーを実施した地域ごとに人間の安全保障の状況を俯瞰し、コロナをめぐる状況や、パンデミックがもたらした付随的な脅威、保護が実行されている場合は、その施策を取り上げています。今後は、最終的な成果物として、一連のケーススタディーで観察されたエンパワメントの事例全てを書籍にまとめ、刊行する予定です。今まさに執筆中ですが、現在の脅威に対して時宜を得た書籍にするため、なるべく早く完成させたいところです。

これからも重要であり続ける人間の安全保障

—人間の安全保障の概念は、今後も関心を集め続けると考えますか?

人々やコミュニティーは今後もさまざまな形で脅威に直面するでしょう。そのため、人間の安全保障は重要であり続けます。脅威には、目に見えるものと見えないものがあります。人間の安全保障は、上からの保護と下からのエンパワメントの中核に脆弱な人々を据えるアプローチであり、こうした脅威への対応に欠かせません。

仮設住宅内に設けられたコミュニティー・センター「みんなの家」

今回のコロナの流行は、いかに特定の脅威が人々に大規模に影響し得るかを証明しています。影響の程度はさまざまですが、健康や仕事、家族、地域社会のつながり、さらには政治といったさまざまな側面で、私たちの生活に連鎖的な打撃を生じさせています。その影響は不均等かつ無差別に人々に及び、多くの場合、連鎖的に他の脅威に積み重なります。貧困にある人々にコロナが追い打ちをかけることもあれば、パンデミックに対処している人々を台風などの別の脅威が襲うこともあります。そのため、人間の安全保障は常に重要なのです。

人間の安全保障は、開発協力機関であるJICAの本質的な活動であり、ミッションにも掲げられています。開発途上国への協力や支援を行う際、質の高い成長と人間の安全保障を提供することは、JICAの使命なのです。そして、エンパワメントといった人間の安全保障の要素をこうして探究することは、この概念への私たちの理解を深め、人間の安全保障というアプローチの最善の活用法を見いだすことにつながると考えます。人間の安全保障の概念は、人々が直面する脅威を分析・解明するアプローチとして関心を集め続けるでしょう。そして、そこで得られたエビデンスに基づき、より効果的かつ包摂的な政策立案に向けたコミュケーションを促進できるようになるはずです。

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