国際開発学会で「日本の開発協力の歴史」研究の成果を発表ー佐藤客員研究員ら

2018.06.14

2018年6月2日に東京都内で開催された国際開発学会第19回春季大会で、JICA研究所の研究プロジェクト「日本の開発協力の歴史」に関し、JICA研究所の佐藤仁客員研究員(東京大学教授)、法政大学の下村恭民名誉教授、アリゾナ州立大学のアーロン・ムーア准教授が「日本の東南アジア援助史のパズル」をテーマに研究成果の報告と参加者とのディスカッションを行いました。

まずムーア准教授は、1950~60年代に東南アジアで日本が行った開発協力が、ダム建設などに代表される大型インフラ開発を主軸に、工業化、農業振興、地域計画、河川改良などの「総合開発」パッケージとして展開されたことを紹介。ビルマ(当時)のバルーチャン水力開発事業などを対象に、植民地期・戦時期の日本の経験の何がこの「総合開発」様式を可能としたのか、戦前期に東南アジアの重工業化開発に寄与した日本のエンジニア、汎アジア主義の系譜、人的ネットワークの継続性に注目して論じました。

日本の東南アジア援助史のパズルをテーマに会場との活発な議論が行われた

次に下村名誉教授は、1970~80年代の東南アジアに広がっていた「反日」感情が、1990年前後になぜ突如後退したのか、内外で高く評価された「福田ドクトリン」の理念がなぜ「反日」の緩和につながらなかったのか、という二つのパズルを取り上げました。東南アジアからの外圧が日本の外交姿勢や開発協力の在り方をどのように変えたのか、その結果、東南アジア側のニーズに合致した日本型開発協力アプローチ、つまり援助・直接投資・輸入(市場開放)が三位一体となった「総合的経済協力パッケージ」がどのように生み出されたのかについて報告がありました。

最後に、佐藤客員研究員は、「開発協力は歴史から学べるのか」という問いかけをしつつ、住民の強制移住や環境汚染などの問題が起こったことから、1980~90年代にODA批判が集中したダムやかんがい、発電所、港湾といった日本の開発協力の「問題案件」への訪問を踏まえた研究成果を紹介。20~30年が経過した案件の「その後」を再検討することで、開発を変化の過程・変化の連鎖として長期的に分析する重要性を指摘しました。

これらの発表を受け、討論者である京都大学の三重野文晴教授からは、その後の日本の脱インフラ援助あるいは非インフラアプローチの組み合わせへの模索をどう評価するのかといったコメントがあったほか、今回対象とならなかった1960年代は日本の工業化との関係で重要な時期であるため、引き続き歴史研究で扱うことへの期待が寄せられました。

「開発協力は歴史から学べるのか」と問いかけた佐藤仁客員研究員

セッションには44人の参加があり、プロジェクトの成功・失敗の定義づけのほか、ODA批判に対する援助実施機関側のガイドライン作成・ナレッジの蓄積などによる対応、ODA批判を見る際の軍事・防衛を含めた対外政策との関係、1945年を境とした連続性・非連続性を議論する場合の世代交代の視点などについて、研究者やコンサルタントらから多くのコメントや指摘が寄せられました。

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