35年にわたる日本とタイの環境協力で築かれた「信頼」を次世代へ─プロジェクト・ヒストリー出版記念セミナー開催

2022.07.14

2022年5月31日、JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)は、プロジェクト・ヒストリー『日・タイ環境協力—人と人の絆で紡いだ35年—』の出版記念セミナーを開催しました。

JICA緒方研究所の高原明生研究所長が開会のあいさつに立ち、「同書の著者のみなさんが『プロジェクトの成否を決するのは信頼関係』と強調しているように、本日のセミナーは『信頼』が大きなテーマ。同書の事例から多くのヒントを得てほしい」と期待を寄せました。

「昔ながらの専門家」たちが熱い想いでつないだ信頼

長年タイの環境問題に取り組んできた同書の著者の一人、福田宗弘氏が書籍の内容を最初に紹介。手探りで始まったタイ環境研究研修センター(Environmental Research & Training Center: ERTC)の創立を皮切りに、環境分析の基盤技術の移転や環境汚染物質排出移動登録制度(Pollutant Release and Transfer Register: PRTR)の構築など、JICAが同国で環境分野のさまざまな協力を続けてきたことを説明しました。その上で福田氏は本書の特徴として、「日本にとってもタイでの一連の協力は環境協力の先駆け。前例のないところから日本人専門家がタイのカウンターパートと奮闘し、どのように信頼関係を醸成したかを描いている。タイの産業構造の高度化に伴う環境協力の変化も踏まえ、普遍性のあるケーススタディーになっているのではないか」と述べました。

続いて、JICA緒方研究所の安達一郎研究員(当時)がモデレーターを務めたパネルディスカッション「信頼関係の共有と継承~さまざまなステークホルダーの視点から~」が行われ、専門家としてタイに赴任したパネリストが当時を振り返りながらコメントしました。

著者の一人である福田宗弘氏が書籍の内容を紹介

各パネリストが専門家としてタイに赴任した経験を共有

同書の著者の一人で公益財団法人日本産業廃棄物処理振興センターの関荘一郎理事長は、自身が赴任した1985年当時は支援が始まったばかりでタイ語のデータしかなく翻訳に忙殺されたことや、まだベーシックヒューマンニーズが優先されていた時代に環境問題の重要性を理解してもらうのに苦労したエピソードを語り、「ERTCにはこれまで官民から100人以上の日本人専門家が赴任し、その多くが今もライフワークとして関わり続けている。それがこの35年間の環境協力の発展につながった」と述べました。

1993年に短期専門家として赴任した北九州市立大学環境技術研究所の門上希和夫客員研究員・名誉教授は、廃棄物処分場浸出水の化学分析や処理場周辺の環境調査の技術移転を担当。日本ではスムーズに終わる分析もタイでは時間がかかった例を挙げ、「分析は愛がないと良い結果は得られない。亀のように着実に一歩一歩進めばいい」という姿勢で現地の人々に接したと振り返りました。2007年以降は自身が所属する一般社団法人日本環境化学会の年会にERTCの研究者を招聘するなどして交流を継続。その結果、日本とタイの環境学会の間に協力体制が生まれていることを報告しました。

一般財団法人大阪府みどり公社の環境チームに所属し、大阪府地球温暖化防止活動推進センターでサブマネージャーを務める田中秀穂氏は、1995年から約2年間長期専門家としてタイに赴任した後、2003年からは約2年間環境省に出向し、JICAとの窓口を担当。「プロジェクトがうまくいかないときもあったが、福田さんが人間関係も含め、困難な課題を成功させるためのチームを現地で育成していたのを目の当たりにした」と述べ、プロジェクトの成功における人材育成の重要性を強調しました。さらに、執筆者の一人で1990年から約4年間、ERTCに長期専門家として赴任した渡辺靖二氏もコメント。有害化学物質の環境調査の技術移転では、調査対象の有害化学物質の数も技術も多岐にわたるため、分析分野の担当者に集中的に技術を移転し、組織内で技術を共有してもらう人材育成の手法を選んだことを紹介しました。

福田氏は「技術協力は日本が開発途上国に一方的に提供するものというイメージがあるかもしれないが、実は日本側の私たちも大きな刺激を受けた。人と人のつながりが強くなり、みなで熱い想いを共有していたからこそ、業務外でも尽力してきた。近年、徐々に国際協力の形が変わってきている。これからの新しい技術協力の形をどうつくっていくか、若い世代に期待したい」とまとめました。

新しい時代の国際協力モデルを現地と共に考える

続いて、JICA地球環境部の大塚高弘主任調査役がモデレーターを務め、「日タイ環境協力における信頼関係の構築~若き専門家の視点から~」と題した座談会が行われました。

まずタイ側から、ERTCの初代所長で「日・タイ環境協力の母」とも呼ばれるモンチップ・タブカノン氏が登壇。同氏は、タイの環境問題が深刻化していた中でJICAの研修生として来日しました。同氏が日本の先進的な取り組みを目の当たりにしたことから、日本とタイの環境協力が始まりました。「日本人専門家とタイの関係者が良好な関係を築けたので、一つのプロジェクトが終わっても日本による環境協力がもたらす恩恵と協働する価値について両政府から理解が得られ、活動が長年にわたって引き継がれた。若い世代にも『信頼』の重要性を伝えたい」と述べました。PRTRプロジェクトに携わったデチャ・ピムピス氏も当時を振り返り、「タイの工業省工場局や天然資源環境省公害規制局の職員はまだ若く、経験も浅かったが、福田氏が公私にわたって辛抱強く接してくれたことによって良好な関係を築くことができ、困難な状況にも立ち向かえた」と述べ、チームワークの良さがプロジェクト成功のカギだったと指摘しました。

「日・タイ環境協力の母」とも呼ばれるモンチップ・タブカノン氏

タイからの参加者ともオンラインで活発な意見交換が行われた座談会

日本側からは、2005年からタイで揮発性有機化合物の環境・排出基準設定のプロジェクトに参加した株式会社エックス都市研究所の高橋亮氏が、「当時、タイのカウンターパートの多くが博士号を取得し、実務経験も知識も豊富だった。技術面だけでなく、働き方や研究姿勢など多くのことを学んだ」と経験を共有。日本工営株式会社の菱田のぞみ氏も、4年のタイ赴任経験を振り返りつつ、「かつて日本は環境問題の先駆者で、日本とタイは教える側と学ぶ側という関係だったが、現在は共通の課題に直面し、それらを共に解決する対等なパートナーに変わってきている」と関係性の変化を指摘しました。

最後に、日本側からタイ側に質問が投げかけられました。例えば菱田氏は、「環境問題が複雑化し、分野横断的になる中、他分野の人や組織から協力を得るにはどうしたらいいか」と質問。これに対してモンチップ氏は、「多くの組織に参画してもらうため、ERTCは調査機関のネットワークを構築し、その人脈を通じてイベントを開催するなどして交流を深めている」と回答しました。また、高橋氏からの「タイの経験をASEAN諸国に共有する上で大事なことは何か」という質問に対して、デチャ氏は「各国の発展度合いや抱える環境問題などの状況が違うため、それぞれの国に合わせながらプロジェクトを慎重に進めることが必要」と答えるなど、活発な意見交換が行われました。

関連動画

プロジェクト・ヒストリー『日・タイ環境協力—人と人の絆で紡いだ35年—』出版記念セミナー(2022年5月31日)

関連する研究者

\SNSでシェア!/

  • X (Twitter)
  • linkedIn
トピックス一覧

RECOMMENDこの記事と同じタグのコンテンツ