【宮原千絵副所長インタビュー】中東への想いを胸に現場の目を持ち続ける

2023.08.10

2023年4月にJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)に着任した宮原千絵副所長に、長く関心を寄せてきた中東との関わりや平和構築への想い、そしてJICA緒方研究所で取り組みたいことについて話を聞きました。

―中東への憧れから開発協力の道へ

―開発協力に関心を持ったきっかけとは?

子どもの頃からとにかく中東に惹かれたのが私の出発点。世界史が大好きで、将来は遺跡発掘をしたいと思っていたぐらいでした。テレビや本を通して、次第に中東の歴史や地政学など、その奥深さに触れ、大学ではアラビア語を学び、エジプトに留学もしました。帰国後、一般企業に就職したのですが、中東や世界を舞台に働ける国際公務員になりたいと一念発起。アメリカの大学院に留学し、公共行政学を学びました。中東や開発途上国を開発の現場として見るようになったのは、その時が初めてでした。私の場合は、中東でどうすれば仕事ができるか、というのが入口だったのです。

その大学院が、開発途上国での支援や紛争地域での人道援助などに貢献するボランティアを全世界から派遣する国連ボランティア計画(UNV)とインターンシップ提携をしていて、その縁で、卒業後、私もUNVのキプロス事務所で働くことになりました。そちらで勤務している間に外務省のJPOプログラムに合格、JPOとして今度はスイス・ジュネーブにあるUNVの人道援助部で勤務しました。

―国連機関を経てJICAで働くことを選んだ理由は何ですか?

一つは、UNVはボランティアをさまざまな国連機関に派遣することが主たる業務なので、プロジェクト全体を立案し、マネジメントする、という点で物足りなく感じました。また、国連で働く「日本人」職員として期待される部分もあり、ジレンマを感じたのです。日本人として、日本を拠点にし、日本の組織で働くほうがシンプルではないか?と思ったのです。当時、日本は大きなドナー国だったので、国連でなくてもできることがあるな、と。JICAは資金協力もすれば、専門家も派遣するし、機材も供与するし、調査を行った上でマスタープランも作成するなど、大きな絵を描いた中で日本の知見を世界に共有していました。そのように開発援助に一体的に取り組むJICAの活動にかかわってみたいと思ったのがきっかけです。

“人間力”が発揮されたJICAならではの支援

―これまでJICAでさまざまな部署を経験されていますが、特に印象に残っている仕事を教えてください。

3年目に着任した企画・評価部(当時)で、人口、HIV/エイズ、ジェンダー、障害者支援、平和構築といった、当時のJICAにとっての新しい課題に取り組んだことです。私がJICAに入構した1999年の時点では、JICAは開発援助機関のため、平和構築に直接的に関係する分野ではほとんど活動していませんでした。しかし、2003年に政府開発援助(ODA)大綱が改定され、平和構築にも貢献していく方針が明記されました。このとき、JICAが平和構築にどのように貢献できるのか、そのために安全管理をどうすべきか、企画・評価部で活動の基礎となる指針を作ることで、視野が広がったことが印象に残っています。

―幼い頃からの憧れであった中東のヨルダン事務所にも2回赴任されていますね。

1回目に赴任した2005年頃は、ヨルダンの経済成長がピークに達した頃でした。海外投資が増え、株式マーケットも活況で、ヨルダン経済に活気があり、国民の多くも幸せな印象が強かったです。しかし、2回目にヨルダン事務所長として赴任した2019年は、隣国シリアの内戦の影響や世界的な経済悪化の影響もあり、特に若年層の失業率の高さ、気候変動などによる渇水、電力料金の高さなどから海外からの投資が減速するという状況でした。もちろんコロナも大きな影響を与えており、私は全く異なるヨルダンを経験したことになります。

それでも、変わらなかったことがあります。それは、日本人専門家たちがヨルダンの人々の中に飛び込み、丁々発止のやりとりを繰り広げながら熱心に活動していた姿でした。一例として、母子保健分野では、佐藤都喜子専門家(現・名古屋外国語大学教授)が10年以上かけて、ヨルダン南部のリプロダクティブヘルスの改善に奔走したことが挙げられます。南部は部族の慣習が強い地域ですが、佐藤専門家は部族長といった有力者の男性をも巻き込みながら女性のエンパワメントへの理解を高め、リプロダクティブヘルスを浸透させていったのです。もうそのプロジェクト自体は終わりましたが、今でもヨルダンの保健省の人に「ドクターサトウ」と言うと分かってくれるほど、その業績は広く知られています。

シリア内戦によりヨルダン北部に難民が流入した際には、南部で成功したこの母子保健の取り組みを基に北部でもリプロダクティブヘルスを含む村落保健プロジェクトを実施しました。また、ヨルダンでは水資源が少ないため、長年、無償資金協力で送水管・配水管の整備を行ってきました。そのノウハウが根付いていたため、ヨルダン北部にシリア難民が流入して水不足が懸念されたときには、すぐに配水管の整備事業に動き出しました。このように、ヨルダンでの長年の活動を通じて築き上げてきた信頼関係があったからこそ、緊急時のサポートにつながったこともあります。これこそ、JICAの“人間力”が発揮された瞬間だと言えるのではないでしょうか。

ヨルダン南部でのリプロダクティブヘルス改善に向け、長年活動した佐藤都喜子専門家(写真:JICA/久野真一)

研究成果を現場にどうフィードバックさせるかを重視

―JICA緒方研究所の強みや役割をどう考えますか?

やはりプロジェクトの現場を持っていることだと思います。いろいろなプロジェクトの取り組みを核にデータを取得、分析し、それを事業にフィードバックできるのが大きな強みだと思っています。一方で、ポストSDGs(Sustainable Development Goals)やカーボンニュートラルなど、国際的に議論すべき大きな課題やテーマはたくさんありますが、目の前の現場を動かすことに集中していると、そうした大きなテーマを意識できない面もあるのではないでしょうか。JICA緒方研究所ではそれらの議論を十分に咀嚼する能力がありますし、その結果をいろいろなJICAの部署や関係者に還元できます。研究の成果を生かす先がJICAの中にあるのが、JICA緒方研究所の大きな強みだと思います。

―今後、どのようなことに力を入れていきたいか、抱負をお聞かせください。

人間の安全保障やポストSDGsなどにJICAはどう取り組んでいくのか、JICAのイニシアティブを統合して課題を整理し、レベルの高い分析や研究を言葉や数字だけで終わらせるのではなく、現場にどうフィードバックできるかを重視していきたい。私も長年現場を見てきましたので、その“目”を忘れずに活動していきたいと考えています。

個人的には、中東における人間の安全保障というテーマを研究したら面白いのではないかと思っています。専制君主的な国が多い中東では、「セキュリティー」という言葉は国の安全保障と関連付けて捉えられがちで、政治的な話になってしまいます。その上で、人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーという概念が、どのように中東で受け入れられるのか、人間の安全保障というレンズを通して見ると中東の世界はどう見えるのか、地域特性に関心を持っています。

―宮原副所長の変わらない中東への強い想いが伝わってきます。

中東は私の核となるものだと思います。1989年に、留学先のエジプトからバックパッカーとしてヨルダンのアンマンを経由してイスラエルを訪れました。当時、イスラエルへはヨルダン川に架かる古い橋を渡って行ったのですが、その頃の牧歌的な雰囲気が今も心に残っています。そんな時代を経て、JICA職員としてヨルダンに赴任すると、今はヨルダン川に日本の無償資金協力で建設した新しい橋が架かっています。私は何度も何度も仕事でその橋を渡りましたが、いまだに、昔の古い橋が見えるんです。1990年代から今まで、紆余曲折を経ながらなかなか進展しない中東和平の現実を目の当たりにする気持ちです。これからも、できる範囲でこの地域の状況が少しでも良くなるように貢献していきたいと思っています。

2001年に発行されたキングフセイン橋の友好切手(写真:JICA)

ヨルダン川をまたぐキングフセイン橋(写真:JICA)

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