【アデム・セイフデイン研究員インタビュー】まだ見ぬ世界を求めてエチオピアから日本へ
2025.07.09
2024年5月にJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)に着任したアデム・セイフデイン 研究員に、日本の開発経験からの学び、日本とアフリカの開発パートナーシップの可能性に対する見解、新しく立ち上げた研究プロジェクトへの抱負などについて聞きました。
―エチオピアのご出身で、日本で修士号と博士号を取得しています。日本で学ぼうと考えたきっかけは何ですか?
エチオピアから日本に来ることになったきっかけは、1991年のこと。それはまったくの偶然でした。当時、エチオピアのアディスアベバ大学の講師だった私は、中東での会議に出席した帰りの飛行機で、イギリスの週刊誌『エコノミスト』の最新号を見ていました。そこに、日本の国際大学の大学院生を募集する記事が載っていたのです。私はすぐに興味をそそられ、帰国して真っ先に応募書類を提出しました。嬉しいことに合格し、1992年に国際大学国際関係学研究科の修士課程の学生となりました。その後は、筑波大学大学院の国際政治経済学研究科の博士課程で学びました。
海外への留学を決める理由は、その国についてすでによく知っているから、もしくは、その国についてほとんど知らないから、のどちらかだと思います。私の場合は後者でした。日本とエチオピアは国としての長い歴史があり、両国とも植民地化されたことがないなど、高校や大学で学んだ基本的なことを除けば、私は日本についてほとんど知りませんでした。「近代化には西洋化が必要」という当時の通説であった西洋的な考えに反して、日本は近代化に成功した最初の非西洋国だったというのも、私の好奇心を刺激し、日本で学ぶことに興味を持ったのです。
国際大学がある雪の多い新潟県の地方都市に初めて降り立ったとき、日本はエチオピアとは何もかもまるで違っていて、最初は別の惑星にたどり着いたような気持ちになりました。それでも、私は日本が持つ魅力について探求し続け、1999年に博士課程を修了するまでに、研究課題を日本の経済開発に絞るようになっていました。初めて日本に足を踏み入れてから30年以上が経ちましたが、日本への探求心は増すばかりです。今も、日本について日々研究し、学んでいます。
―これまで取り組んできた研究について教えてください。
私の研究は、主に5つの分野にわたっています。日本とアフリカの関係、日本の開発経験に照らしたアフリカに対する分析、中国とアフリカの関係、ケニアの学者アリ・マズルイの研究、国際関係です。
日本とアフリカの関係については2005年に執筆活動を始め、同年、私が編者を務めた書籍『Japan: A Model and a Partner』がオランダのBrill社から出版されました。今思えば、博士号取得から6年、筑波大学の教員となってから4年という早い段階で独立した書籍プロジェクトを立ち上げ、寄稿者を集め、欧州の権威ある出版社から書籍を刊行できたのは、とても意義深いことでした。中国とアフリカの関係の研究は、さらに広範囲にわたります。2013年に編者を務めた書籍『China’s Diplomacy in Eastern Africa』(Routledge社)では東アフリカに焦点を当て、ケニア、ザンビア、エチオピア、ウガンダ、マダガスカルなどの東アフリカを拠点とする研究者が寄稿しているのが特徴です。上記2本の書籍では、日本および中国のアフリカに対する外交政策とアプローチを扱いました。一方、2023年に出版された書籍『Africa’s Quest for Modernity: Lessons from Japan and China』(Springer社)では、特に日本と中国からの教訓を参考に、東アジアの開発経験がアフリカにどのような意義もたらすかを探ろうと試みています。
―アメリカのニューヨーク州立大学ビンガムトン校や日本の同志社大学で教鞭をとった後、JICA緒方研究所に着任し、研究プロジェクト「アフリカにおける人の移動と人間の安全保障 」を立ち上げました。このプロジェクトの意義について教えてください。
まず、国連難民高等弁務官を務めた故緒方貞子氏の名前を冠した研究所で働きたいと考えた理由からお話します。その人生の多くを難民の生活改善に捧げた緒方氏の名前は、私にとって、人間愛を象徴する最たるものでした。さらに、私がビンガムトン大学に勤務していた10年間、同じく同校で教鞭をとっていたケニアの学者アリ・マズルイ氏も緒方氏を知っており、深く尊敬していました。
ビンガムトン校でのアデム・セイフデイン研究員とアリ・マズルイ氏(2002年6月)
ヨーロッパや北米に移住するアフリカ人移民に関する研究のほうが、アフリカ内部での移住に関する研究よりも多く行われています。しかし実際には、アフリカの人々は他の大陸よりも同じアフリカ内の他の国に移住することの方が多く、現実に起きている問題に対して相応の研究がなされているかというとギャップがあると考えました。したがって、この研究プロジェクトの目的の一つは、アフリカ内部のアフリカ人移民の実体験について理解を深めることです。
この研究プロジェクトは、アフリカ人移民自身の視点と体験を重視していることが特徴です。出国前から帰国までの移住のあらゆる段階で、移民が人間の安全保障に関するどのような課題に直面しているかを調査します。このアプローチにより、アフリカ内部の移住という現象について、より深い知見が得られると考えています。そして、日本とアフリカの研究者や専門家が半構造化インタビューの手法を使って、移住過程のさまざまな段階にあるアフリカ人移民から、個々の体験談を聞き取ります。移住の複雑な要素を明らかにし、政策への知見をもたらすことで、アフリカ人移民の支援と保護の強化に結びつくことを目指していきます。
―他に関心のある研究テーマはありますか?
いくつかありますが、特に、日本の思想家の福沢諭吉とケニアの学者アリ・マズルイの思想の比較研究を行うことを模索しています。福沢諭吉(1835~1901)は近代日本における最初の啓蒙思想家の一人ですが、知識人として西洋の教育、制度、社会思想を日本に紹介した人物でもあります。アリ・マズルイ(1933~2014)は学者、大学教授、政治著作家として活躍し、アフリカ、イスラム世界、南北関係を専門としていました。彼は、アフリカ社会の形成における西洋、イスラム圏、先住民の影響を探った「The Africans: A Triple Heritage」というテレビドキュメンタリーでよく知られています。
2018年、私はドイツのフランクフルトにあるゲーテ大学で、Africa’s Asian Optionsの研究員として、「Reason and Number: African Reflections on Japan」と題した論文に取り組んでいました。私はアフリカの視点から、日本の明治時代(1868〜1912年)の経験を、植民地時代後のアフリカに当てはめようと試みました。19世紀に日本が直面した課題は、植民地支配後のアフリカの課題と、いくつかの点で似ていると思ったからです。この論文は2020年に出版された書籍『Reconfiguring Transregionalization in the Global South』(Springer社)に収録されましたが、この執筆中、私は日本の近代化に対して理解を深めていくうちに、福沢の思想を知りました。また、アフリカの状況を考察する際には、マズルイの思想も広く活用してきました。しかしそれまで、福沢とマズルイを結び付けて分析する発想はありませんでした。
福沢とマズルイを比較するというアイデアを得たのは、JICA緒方研究所の若い同僚の一人から、「アフリカで最も福沢諭吉に匹敵する人物は誰だと思いますか?」という質問をされたときです。予期せぬ質問だったため、その場では答えられなかったのですが、考えてみると、生まれた場所も時代も遠く離れているにもかかわらず、マズルイの思想の一部は福沢の思想と驚くほど似ていることに気づきました。アリ・マズルイ氏が福沢の著作に親しんでいたわけではないにもかかわらずです。
福沢が19世紀後半に近代日本の誕生を目の当たりにした一方で、マズルイも20世紀半ば以降の植民地から独立したアフリカの出現に立ち会いました。二人とも、日本とアフリカというそれぞれの社会が大きく変革を遂げていく時代に生き、社会に起こる制度的変化を見つめ、さらに、程度の差こそあれ、その変化に影響を与えました。1868年の明治維新のとき、福沢は33歳。明治維新とは、日本の封建制度を解体した一種のクーデターのようなもので、言わば上からの革命でした。マズルイも、アフリカの脱植民地化が進んだ1960年代に30代を過ごしました。両者は、日本とアフリカというそれぞれの社会が、変革を通じて、よりよい方向に変わるにはどうすればよいかという問題に懸命に取り組みました。最も印象深かったのは、福沢とマズルイによる近代化の課題の概念化と、それらの課題を克服する方法についての考え方でした。二人の考え方を比較し、より体系的に検討したいと思っています。
アフリカと日本の比較分析からは、近代化の課題に関する3つの重要な見識が得られます。第一に、社会が向き合う課題は、突き詰めれば人間の状況をどう改善するか、あるいは人間の安全保障をどう確保するかということに尽きるということです。第二に、その社会独特の価値観や世界観からの影響はあるものの、解決策の範囲は限られるということ。第三に、あらゆる文化には独自の解決策が備わっているということです。言い換えれば、近代化を実現するための解決策はどの社会にもありますが、その方法はそれぞれ異なるということです。マズルイが提唱したようにイスラム教、土着の価値観、西洋文化から成る「三重の遺産」を持つアフリカも、その例外ではありません。
―日本の近代化モデルをアフリカに適用できると思いますか?
日本の経験をそのままアフリカに適用できるとは思いません。インドネシア、マレーシア、ベトナムなどの東南アジア諸国の開発経験の方が、アフリカの貧困削減や経済全体の成長といった分野で、より直接的に適用できる可能性があります。ただし、何をどのように学ぶか、またどのようにして早く学ぶかといった日本の開発経験と知識は、成長への舵を切るという点で、アフリカにも生かせると思います。そのため、アフリカに対する日本の支援は、資本移転を中心とする必要はなく、むしろアイデアや知識、経験という形が有効だと思います。日本の産業化モデルやカイゼン・アプローチはその一例です。
スキンケア製品を製造するエチオピアの企業Zenith Gebes-Eshet Ethiopiaは、カイゼン・アプローチの推進に取り組んでいる(写真:JICA)
最後に、アフリカが現代日本から学ぶべき分野はもう一つあると考えます。それは、アフリカで切に求められている平和という価値です。現在、アフリカでは紛争が多発していますが、多くの場合、原因はいわゆる「正統性の危機」です。特定の民族グループは、別のグループに統治される正統性はないと考えています。それには、植民地政策によって文化的な結びつきがなかった集団同士が一つの国家(国民国家)にまとめられたという背景があり、これが民族紛争の原因となりました。アフリカの多くの地域では、政治は依然として勝つか負けるかのゼロサムゲームであり、双方が利益を得られる状況は往々にして存在しません。アフリカが現代の日本の政治から学ぶべきは、政治的権力をいかに平和的に移行させるかではないでしょうか。日本からの学びをどうアフリカに生かすか、これからも研究していきたいと思います。
事業事前評価表(地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS)).国際協力機構 地球環境部 . 防災第一チーム. 1.案件名.国 名: フィリピン共和国.
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