「現代を生きる在日朝鮮人の民族経験」:「移住史・多文化理解オンライン講座 ~歴史から「他者」を理解する〜」2022年度第4回開催

2023.04.13

JICA緒方研究所とJICA横浜・海外移住資料館が共催する「移住史・多文化理解オンライン講座~歴史から『他者』を理解する~」の第4回のテーマは、「現代を生きる在日朝鮮人の民族経験」。2023年2月15日、ウェビナー形式で開催され、神戸学院大学現代社会学部の李洪章准教授が講演しました。多様な個々人の語りに基づく研究の一端から、二元論を超えて「はざま」から歴史に向き合う姿勢へのヒントを示しました。

神戸学院大学現代社会学部の李洪章准教授

「在日朝鮮人」とは誰のことか

今回の講演タイトルに「在日朝鮮人」とありますが、聞き慣れないと感じる人も多いでしょう。「在日コリアン」は、渡日背景を限定せず、日本に在住するコリアンに対して広く用いられる呼称です。日本と朝鮮半島の間に、歴史的、政治的な摩擦が存在する中、あえて英語の「コリアン」を用いることで、そうしたしがらみをかいくぐろうとする用法だと李准教授は解説します。それに対し、「在日朝鮮人」は、歴史的経緯を重視し、しがらみと真正面から向き合おうとする政治的な姿勢が込められた呼称です。また、韓国籍・「朝鮮籍」者を総称し、主に公文書で用いられる呼称に「在日韓国・朝鮮人」があります。

呼称の意味合いを明確にした上で、李准教授は在日朝鮮人が形成された歴史を振り返りました。朝鮮半島から日本への人の移動が本格的に始まるのは1910年韓国併合以降ですが、その背景には3つの要因があります。まずは経済的要因です。韓国併合と同時に土地私有制が確立され、従来の慣行のもとに土地を占有していた農民が小作農に転落しました。日本での米不足を補うために朝鮮総督府による産米増殖計画が実施されると、品種改良などにかかる負担が増え、さらに多くの農民が没落・離農し、その結果、経済的要因で日本に渡る人が増えました。

次に文化的要因です。同化教育のもと、1920〜30年代にかけて日本語を習得し、近代文明に感化される若者が出てきました。最後に、社会的要因です。学校教育を受けても朝鮮半島にはそれに見合う働き口はなく、仕事を求めて渡日する人が増えていきました。ソウルに1924年、京城帝国大学が創設されましたが、渡日に対する心理的・言語的なハードルが下がり、また、日本の賃金のほうが高いといった背景もあり、人の移動が促進されました。上記3つの要因に加え、さらに1939年からの強制連行・強制労働により、日本在住の朝鮮人人口の合計は1940年には約124万人、1945年には約210万人に上りました。

徹底した管理と抑圧が生んだ分断の歴史

日本の敗戦により、朝鮮半島は35年におよぶ植民地支配から解放されます。翌1946年3月までに、主に強制連行・強制労働で渡日していた約140万人は帰国しましたが、それ以前に渡日していた約60万人は、すでに日本での生活基盤が確立されていたこともあり、残留を選びました。いわゆる在日1世と呼ばれる人々です。

もっとも、日本人と同じように暮らせたわけではありません。「そこには常に管理と抑圧があった」と李准教授は主張します。そもそも韓国併合で、朝鮮人が「帝国臣民」になったとはいえ、内地の日本人とは戸籍上、明確に区別され、法的には異なる扱いでした。戦後に至っても、1947年に「外国人登録令」が公布・施行され、日本国籍者として管轄権下に置かれる一方、外国人とみなされ、徹底した管理体制が再構築されました。さらには、1952年のサンフランシスコ講和条約発効を前に日本国籍を喪失。いったん全員が「朝鮮籍」となり、各種社会保障制度や戦後補償の対象からも外されました。

その後、1965年に締結された日韓基本条約では、韓国を朝鮮半島唯一の合法政府として認めるかたちで国交樹立。同時に締結された法的地位協定によって、韓国籍を取得した人だけに日本での永住資格が与えられることになり、安定的な法的地位を求めて多くの人が韓国籍を取得しました。一方で、韓国籍への変更を迫る力への抵抗、もしくは朝鮮半島の南北分断体制を批判するという姿勢から「朝鮮籍」に踏みとどまる人々もいます。現在、日本に住む韓国籍者は約30万人いるのに対し、「朝鮮籍」者は3万人を切っています。多くの人が誤解しがちですが、ここでの「朝鮮籍」とは、朝鮮民主主義人民共和国の国籍ではなく、韓国籍を取得していない人々を指す日本の外国人登録法によって規定された「記号」に過ぎないと李准教授は語ります。また、李准教授は、この記号が「朝鮮籍」者と韓国籍者の分断を生み、現在に至っていると分析しています。

一人ひとりの複雑な「はざま」から考える

こうした歴史的経緯を踏まえ、論点は在日朝鮮人のエスニシティ(民族性)に移ります。1990年頃までは異化か同化かという両極端の視点から捉えられていた在日朝鮮人のエスニシティですが、福岡安則先生(埼玉大学名誉教授)の研究により、その両極の間にはグラデーションがあることが実証的に明らかにされました。ごく単純にいえば、在日1世では祖国志向が強くても、世代や時代を経て、徐々に個人志向への移行という流れがあることを示した研究です。

学生時代にこの研究に触れた李准教授は、「画期的だった」と評す一方、実感としては、腑に落ちない部分もあったと明かします。日本で生まれ育った在日3世である李准教授は、「祖国」をこの目で見たいと朝鮮民主主義人民共和国を訪問したり、韓国に留学したりした経験があります。同時に、祖父母や両親が日本に生活基盤を築いたおかげで、自己実現を目指すことができたと述懐。「在日朝鮮人のなかにもさまざまな立ち位置の人がいるというだけでなく、一人ひとりのなかにも内的な複雑性があるのではないか」。こうした考えのもとで李准教授は、民族や国家を巡り、人々がどういう複雑な経験や思いを持っているか、あくまで個人に立脚して丁寧に記述するという姿勢で研究を続けてきたと言います。

「朝鮮籍」の方々への聞き取り調査では、「南でも北でもあり、南でも北でもない」「日本人でも朝鮮人でもあり、日本人でも朝鮮人でもない」など、一見矛盾した、錯綜して見える語りに出会うのだと言います。あるいは、日本と朝鮮半島のあいだに存在する歴史に対して、「加害者でも被害者でもない」と語る人もいれば、「加害者でも被害者でもある」と言う人もいるそうです。

「私たちは他者を理解しようとする際、分かりやすくするために、その語りの一部を切り取ったり、自分の理解可能な形に解釈したり改変したりしてしまいがち」と李准教授は認めます。「でも、複雑に錯綜する語りを、その個人を取り巻く非常に複雑な社会状況を踏まえながら、複雑なまま理解しようと努めることが大切です」。南と北、日本人と朝鮮人、加害者と被害者という二元論を超えて、その「はざま」から、もしくは「はざま」を問い直すことが必要だと語ります。「歴史から『他者』を理解する」という本シリーズ全体に通底する示唆を与えてくれた講演でした。

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