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【苅谷剛彦特別客員研究員インタビュー】日本の近代化から学ぶ教育と不平等

2026.08.12

なぜ日本では教育の不平等がなくならないのか?長年、教育と不平等について研究を続けるJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)の苅谷剛彦 特別客員研究員(上智大学特任教授・オックスフォード大学名誉教授)に、日本の近代化の過程で教育がもたらした功罪、「言葉」に着目して認識を変える重要性、そして日本の教訓を開発途上国の開発にどう生かせるかについて、学生時代に苅谷客員研究員のもとで学んだ木村出JICAナレッジマネジメント担当特命審議役が聞きました。

キャッチアップしてきた日本の教育の功罪とは

木村:苅谷先生は長らく社会学の視点から、教育と不平等に焦点を当てて研究され、日本の教育の課題を鋭く問い続けていらっしゃいます。私が東京大学の学部生だった1995~1996年度に苅谷先生の授業を受けてから、もう30年がたちました。卒業時にサインもいただいた苅谷先生の著書『知的複眼思考法 』はずっと持ち歩いていて、米国留学や海外駐在時にも持参した大切な1冊です。

苅谷:それはちょうど木村さんの学年を教えた経験をもとにして書いた本でしたね。

木村:その後も苅谷先生は一貫して「複眼」を貫き、今、日本で起きている事象が歴史的な文脈の中でどんな背景を持ち、他国と比べてどんな意義があるのか、鋭く言語化されてきました。書籍『追いついた近代 消えた近代 』や、2026年に発刊された新書『不平等と教育―日本の格差社会はなぜ解消しないのか 』も拝読し、苅谷先生の複眼思考が詰まっていると感じました。

今回は、「日本の近代化に学ぶ:教育と不平等」をテーマにお話をお伺いします。まず、日本は明治維新以降、教育を基盤に西洋の知識や制度を取り入れ、2回のキャッチアップ期間と迷走期があったと苅谷先生は論じていらっしゃいます。この期間の日本の教育の功罪について教えてください。

苅谷:大きく分けると、1回目のキャッチアップは明治維新から1920年代頃まで、2回目は第2次世界大戦の敗戦後から日本が経済的に西洋へ追いついたと認識する1980年代までと捉えています。日本は第一次世界大戦後の1920年、国際連盟の創設時に中心となった五大国の一つとなり、列強の一員となったことで自分たちは「追いついた」という意識を持つものの、実際には、当時の日本の経済力や外交力は西洋とはまだまだ大きな隔たりがありましたね。

これらの過程で、教育は当然「功」もありましたが、「罪」もありました。「功」の面から見ると、明治維新後、日本はお雇い外国人を招き、優秀な人たちを海外に派遣し、西洋の制度、知識、技術を貪欲に取り込み、がむしゃらにコピーし、受け入れてきました。高等教育機関でも、最初は外国語の教科書を使いましたが、次第に翻訳が進み、日本人が日本語の教科書で教えられるようになっていきます。さらに、帝国大学だけでなく法律系の私立の旧制専門学校のような高等教育も広がり、高等教育段階の教科書まで日本語で読める環境を20世紀初頭までに日本は達成してしまうのです。西洋の文学でも思想でも芸術でも、日本語で読めるようになるのがものすごく早かった。大正から昭和初期にかけては、さらに翻訳された本が廉価になり、エリート層だけではなく大衆も読めるようになったのは「功」の部分ですね。もちろんキャッチアップを成功させたという面も重要です。

戦後の2回目のキャッチアップでは、軍事的拡大ではなく、経済発展や科学技術にフィールドを変え、戦前からの知的な蓄積も基盤にしつつ、鉄鋼業や造船業などの重工業を発展させていくわけです。戦後に米国から入ってきた民主主義的な教育も加えてキャッチアップに挑み、日本は経済成長を遂げていきました。戦後の憲法の理念や価値を私たちが共通して学べたのは、中学までを義務教育化した影響も大きい。高校進学率は1970年代には90%を超え、ある程度高い教育を日本国民のほとんどが受けられるようになったわけです。

一方で「罪」の部分は、この時期の教育が受験競争や詰め込み教育を招いたという面もありますが、ここでは「キャッチアップが終わった」と認識した後の迷走に注目したい。1回目のキャッチアップのときも、自分たちのモデルを作ろうと日本的なものに回帰し、戦前には1930年代、1940年代に入ると極端な国粋主義に傾きました。戦時期に教育が思想統制や戦争への動員に使われ、国民の立場から見れば極めて「罪」なことだったと言えます。また、1980年代に「追いついた」と意識したところから、今日に至る混迷が続いていると考えています。教育の世界では、いまだに国際的なスタンダードに追いつこうとしていますが、例えば「主体的な学び」「コンピテンシー」「デジタル化」といった曖昧さを孕んだ言葉だけが独り歩きして、それが本当に教育の不平等をなくせるのか明確にならないまま進んでしまっているように見えます。

私の解釈だと、日本人の時代認識や社会認識は、教育も含めて、明確な目標がある間は力を発揮し、世界の上位を目指すことができる。しかし、その目標に「追いついた」と思ったとたんに目的を失って迷走してしまうのではないでしょうか。

教育と不平等について研究を続けるJICA緒方研究所の苅谷剛彦特別客員研究員(上智大学特任教授・オックスフォード大学名誉教授)

言葉のずれを認識することから新しい世界が見えてくる

木村:教育制度に目を向けると、これまでさまざまな改革が行われてきたものの、結果的に教育の不平等はなくなっていない、と苅谷先生は指摘され続けています。その背景には、どのような構造的な要因があるとお考えですか?

苅谷:「構造」を作り出す認識に問題があると思います。近著『不平等と教育』でも示した通り、教育政策で使用されている言葉が認識のずれを生んできました。例えば、「教育の機会を均等に」との表現があります。日本は初等教育では資源の平等、財政的な均等などが成功し、家計所得の格差が表れないような教育が実現できましたが、高等教育となると私立大学の在籍者が7、8割を占めている。私立大学には、国立大学の数分の一しか国家財政から負担されず、家計負担が非常に大きい。

英語の「opportunity」には、単に「参加できる場がある」という意味だけでなく、「実際に何かを成し遂げられる(成功のための)条件や可能性」という概念の含みがあります。しかし、日本語で「機会」と翻訳されたことで、「教育の機会」は、教育への入口として解釈されがちです。入学後についても教育の場の提供という意味に留まる。つまり、「機会」という概念が英語のもとの「opportunity」とは異なって理解されている。また、英語の「equality」は、日本語では、特に教育政策の中では、「平等」とは訳されずに、条件を一律に与えること、つまり「均等」として使用されています。そのため、「機会均等」は、教育を受ける入口や教育の環境、条件を均すといった形式的な面で理解され、英語の「inequality」が不当な差異を告発する力と比べると弱い。不平等の是正に向かう駆動力を欠いたのが日本語の「機会均等」です。

高校の授業料無償化といった改革も、家計の貧富にかかわらず学校を選択できるようにすることを支持する見方がある一方、税金を授業料の代わりに使っただけで、高校の教育の質を上げるためには一銭も使われていないわけです。「機会均等」として入口へのアクセスを等しくしても、その先の教育内容の改善や質の保障と結びついていかないのであれば、教育の不平等の解消にはなりません。

「均等」は「平等」より達成のハードルが低いため、この言葉が使われがちです。日本社会では、対立を避けるために言葉を柔らかくし、曖昧なまま「分かったつもり」の合意をつくる傾向があります。そのため、こうした構造を変えるダイナミクスがなかなか生まれないのだと思います。

木村:JICAは開発大学院連携プログラム を通して日本の近代化経験を開発途上国に伝える取り組みをしており、苅谷先生には北岡伸一理事長(当時)と対談 もしていただきました。開発途上国の国づくりに向けて、日本の教育の経験から、失敗例も含め、どんな学びを伝えられるでしょうか?

写真:学部生時代に苅谷客員研究員のもとで学んだ木村出JICA特命審議役

学部生時代に苅谷客員研究員のもとで学んだ木村出JICA特命審議役

苅谷:多くの開発途上国では、かつての植民地時代の宗主国の言語が教育や行政の仕組みづくりに使われてきました。だからこそ、自分が知らないうちに翻訳された言葉で世界を認識していないか?国家、社会、政治、経済、開発を語る言葉について、自分たちの感覚とずれていないか?とまず疑問に思うことが大事ではないでしょうか。母国語や自国文化への単なる回帰を唱えているのではなく、普段は疑わずに使っている用語をいったん突き放し、自分たちの現実との距離を測ってみる。「あれ?自分たちはこういう言葉でこの概念を使って、自分たちの社会を認識してきたんだ」と気づくことで、これまでとは違うレンズで見た違う世界が見えてくると思います。日本の経験は、「モデル」ではなく、数ある「ケース」の一つ。日本が西洋由来の知と日本文化をうまく融合させてきた経験は、開発途上国が自らを捉え直す材料になるのではないでしょうか。

木村:ありがとうございました。

【プロフィール】
苅谷 剛彦(かりや たけひこ)
東京大学大学院教育学研究科教授やオックスフォード大学教授を歴任。2022年東京大学名誉教授、現在、上智大学特任教授、オックスフォード大学名誉教授、京都大学社会と人の未来研究院特任教授。専門分野は社会学。米国ノースウェスタン大学博士(社会学)。

【プロフィール】
木村 出(きむら いづる)
JICAナレッジマネジメント担当特命審議役。1997年に海外経済協力基金(OECF、現JICA)入職。国担当(東南アジア、中東、アフリカ)、企画部、人事部、理事長担当秘書、JICA関西センター所長などを経て、2026年から現職。米国UCLA博士(教育学)。

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