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なぜ日本人技術者はブラジルへ移住したのか?田中研究員がブラジル・サンパウロ州で現地調査

2025.12.08

2025年9月、JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)の田中秀一 研究員が研究プロジェクト「ブラジルへの工業移住に関する研究」の一環で、ブラジル・サンパウロ州にて現地調査を行いました。

写真:日系人が多く住むブラジル・サンパウロ市

日系人が多く住むブラジル・サンパウロ市

ブラジルには日系人が約270万人暮らしており、世界最大の日系人コミュニティー を形成しています。戦後においては、海外移住事業団(JICAの前身)などの組織が移住のあっせんを行っていました。それによるブラジルへの移住者数は約7万1,000人でしたが、そのほとんどが農業移住 でした。しかし、1961年(昭和36年)以降、新たな移住形態として工業移住制度(技術移住)が導入されました。この制度により、1978年(昭和53年)までに約2,700人の技術者が移住者としてブラジルへと渡りました。彼らは電気、機械、設計、化学など幅広い産業において活躍したほか、書道、陶芸、短歌、民謡などの文化活動においても積極的に活動を行い、現地における日本文化の普及に貢献しています。

田中研究員は今回の現地調査にあたり、「戦後のブラジルへの日本人の移住は農業移住のイメージが一般的であり、農業移住に比べて規模の小さい工業移住の存在はあまり知られておらず、これまで研究や調査の対象とならなかった。しかし実は、多くの工業移住者がブラジルで活躍しており、そうした活動に敬意を払い、工業移住者の記憶を後世に継承していく必要がある。そのためには、生の声を聞いて、ライフストーリーを文章として残すことが重要だ。加えて、なぜそもそも工業移住制度が存在したかについて、現地の文献を参照しながら調べる必要がある」と語りました。

田中研究員は、サンパウロ州にて22人の工業移住者のほか、その配偶者などの家族を対象にインタビュー調査を行いました。具体的には、①移住の動機、②ブラジル経済の発展や技術向上への貢献、③現地での苦労など、ライフストーリーについて聞き取りを行いました。田中研究員は、「工業移住者の方々が目を輝かせて話していたことが印象的だった。移住の動機はさまざまだったが、日本で大企業に就職したものの学歴社会により出世が難しかったことや、純粋に世界を見たいという好奇心などが動機として挙げられていた」と振り返りました。

写真:インタビュー調査に協力いただいた工業移住者の方々(金谷さんご夫妻と大矢さんご夫妻)と田中研究員(後列中央)

インタビュー調査に協力いただいた工業移住者の方々(金谷さんご夫妻と大矢さんご夫妻)と田中研究員(後列中央)

インタビュー調査に加えて、なぜブラジル政府や企業が工業移住の受け入れに積極的だったかを調べるため、田中研究員はサンパウロ大学の図書館でブラジル経済史などの文献調査も行いました。また、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ人文学研究所、ブラジル日報社などの日系団体を訪問し、意見交換を行いました。さらに、サンパウロ大学法科大学院の二宮正人客員教授からの招きで、同大学院にて、本研究プロジェクトの趣旨や研究手法について発表しました。

写真:サンパウロ大学法科大学院で研究プロジェクトについて発表

サンパウロ大学法科大学院で研究プロジェクトについて発表

今回の調査結果を踏まえ、田中研究員は2本の学術論文の執筆を目指します。1本目の論文では、工業移住者たちのライフストーリーに焦点を当てて、なぜブラジルへの移住を決意したのか、そしてどのように活躍したのかについて論じる予定です。2本目の論文では、高度経済成長期で日本国内でも技術者の需要が高かったにもかかわらず、なぜ日本の移住行政は技術者をブラジルへ送ろうとしたのかを明らかにする予定です。

JICA緒方研究所では、この他にも中南米への日本人移民に関連する研究プロジェクトを実施しています。以下からぜひ併せてご覧ください。

また、JICAによる海外移住事業について知りたい方は以下からご覧ください。

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