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制度と人を育て、「平和を運営する力」を根づかせる
半世紀にわたる武力衝突の後、バンサモロ地域は対話と合意に基づく新しい歩みを始めました。しかし、和平合意が結ばれたからといって、それだけで人々の平和への希求が満たされるわけではありません。ミンダナオの平和は、毎日の行政と暮らしの積み重ねの中で強くなり定着していきます。和平合意の内容を日々の行政運営に落とし込み、公共サービスが地域に確実に届いてはじめて、人々は「平和の配当」を実感し、紛争前とは異なる未来を信じられるようになります。JICAは、フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)の和平合意が結ばれる前の2003年から技術協力や専門家派遣を通じて移行期の制度づくりと、それを実際に運用できる人材の育成を一体的に支え、計画・予算・実施が途切れずにつながる仕組みづくりを後押ししてきました。こうした能力強化を通した和平支援は、行政運営の安定性を各所に少しずつ根づかせ、バンサモロ地域に「平和を運営する力」を育んできました。
移行期を支えた基礎づくり:制度を「設計」し、「運用」へつなぐ
バンサモロ包括的能力向上プロジェクト(Comprehensive Capacity Development Project for the Bangsamoro: CCDP
)(2013年~2019年)では、バンサモロ移行委員会(Bangsamoro Transition Commission:BTC)および当時のムスリム・ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao:ARMM)政府をカウンターパートに、新自治政府の制度・組織整備、人材育成、行政サービスの提供力強化、地域開発計画の策定を包括的に進めました。政治・立法過程の遅延や体制変更の波の中でも、計画・予算・実施をつなぐ手順の明確化、会議体運営の定例化、研修と現場実務を往復する伴走によって、紙面上に描かれた「制度」を運用するための知見が積み上がりました。
例えば、ARMM政府には組織としての建付けや各組織の役割を定める行政法規(Administrative Code) がなかったために、行政手続きが滞り、行政サービスが住民に届かない原因の一つになっていました。そこで、CCDPではその課題をレビューし、ARMMの行政法規を策定する支援を実施しました。その後、ARMMからBARMMに移行した後には、現在のバンサモロ暫定自治政府(BTA)が行政法規を引き継ぎ、アップグレードしました。JICAは、ARMMの課題をレビューし、解決策を見出し、BARMMにつなぐ役割を果たしています。
また、ARMM
地方自治体歳入能力向上サブプロジェクト(Revenue Enhancement Assistance for LGUs
:REAL
)では、自治体が自ら歳入基盤を強化できるよう支援することで、地域の優先課題に応じた投資を計画・実行できる体制づくりにつなげました。REALの対象となった自治体の1つである北マギンダナオ州マタノグ町では、事業修了後も取組が継続され、出生登録・健康診断・家畜ワクチン接種・子どもへのフィーディングプログラムといった行政サービスに合わせた出張型の納税啓発など、住民に寄り添う工夫が広がりました。増加した税収を土台にAnnual Investment Program(年次投資計画)を策定・実施し、近年では納税手続のデジタル化(DX)にも踏み出す動きが見られます。こうした基盤が、BARMM移行期における行政運営の安定に寄与しました。
マタノグ町職員で元JICA研修員のBenyasser Sargianさん
住民のほとんどがMILF関係者であり、紛争の影響を大きく受けたマタノグ町では、住民が自発的に納税に来るのをただ待つしかなかった日々を、職員の方々は「どうしたらいいか分からなかった」と振り返ります。REALの研修後、町は自分たちから動き、呼びかけ、届ける行政へ変わり始めました。出張サービスと併せた啓発やFacebookでの周知など新しい工夫が次々と生まれ、少しずつ税収が増え、町としての計画づくりも動き出しています。特に東京と広島での研修に参加したBenyasser Sargianさん(現在は同町の計画開発調整を担う職員)は「行政と住民が共にまちをつくる姿に胸を打たれた」と語ります。本プロジェクトは約7年前に完了しましたが、町の職員は当時プロジェクトで作成した「納税カレンダー」を毎年更新し、今でも住民への啓発活動に活用しています。
一方、同様にCCDPのサブプロジェクトで支援した陸稲営農技術支援では、紛争影響下の地域に暮らす元戦闘員やその家族に、農業に集中する時間と場をもたらし、暮らしを立て直す実感を伴う学びを提供しました。本サブプロジェクトは、MILFの拠点であるキャンプ・ダラパナンで、比政府農業省傘下のフィリピン稲研究所(PhilRice)の協力によって陸稲営農技術支援を行うものでした。「キャンプ」と言いつつも、ダラパナンはMIILFの兵士だけではなく、女性や子供も多く暮らす半農半兵のコミュニティであり、農業の知識・能力の強化はコミュニティの暮らしを改善するために必要なアプローチでした。しかし、当時はMILFと比政府が和平合意を結んでいなかったため、MILFは比政府の支援を受け入れることに躊躇していました。しかし、「JICAが間に入るなら」と、プロジェクトの実施、そしてPhilRiceと協力することに合意したのです。プロジェクト開始の式典では、比側の農業大臣(当時)とMILF議長が抱き合う場面も見られるなど、双方の和解に向けた歴史的な瞬間になりました。これは、フィリピン政府及びMILF双方と長年の信頼関係を築いてきたJICAだったからこそ実現できた協力です。
「JICAが来たときは本当にハッピーだった」と語るプロジェクト参加者の元戦闘員の皆さん。肥料の使い方から土地づくり、メンバー管理まで一つずつ学ぶたびに「考え方が変わった」と感じ、仲間同士の協力も自然と深まっていきました。収穫量が増えて収入が安定し、子どもを学校に通わせられるようになった方もいます。「やることがないと和平を壊してしまうかもしれない」という彼らの言葉の通り、農業に打ち込める環境は地域の緊張を和らげ、平和を保つ土台にもなっています。
陸稲営農技術支援に参加した元戦闘員の皆さん
現場の「自走力」を育てる
バンサモロ暫定自治政府(BTA)発足後に開始したCCDPの後継プロジェクト「バンサモロ自治政府能力向上プロジェクト( Capacity Development Project for Bangsamoro :CDPB )」(2019年~2026年)は、行政の人材・組織能力強化に取り組みつつ、地域の暮らしと産業振興に向けた複数の支援を展開しました。そのうちのひとつが市場志向型農業振興( Smallholder Horticulture Empowerment & Promotion :SHEP )アプローチです。SHEPアプローチは農家に対し、「作ってから売り先を探す」から「売れるものを作る」への意識改革を起こし、市場調査→作付け→品質管理→出荷・販売まで、農家と行政が協力して営農スキルや栽培スキルを向上することで、農家の所得向上を目指すものです。BARMM農水産農地改革省(MAFAR)や自治体と連動した研修では、参加した女性たちがプロジェクト外でも家庭菜園を始めるなど、自ら考え、動き、資源を束ねる力が育っています。
SHEPプログラムに参加する女性たち
プログラムに参加する女性たちは、収穫や販売の知識を一つ一つ身につけるたびに自信が湧き、「収穫の朝が楽しみになりました」と笑顔で語ります。収入が増えたことで子どもの大学進学を支えられるようになり、家庭菜園や協同組合の活動にも意欲が高まり、野菜の盗難が減るなど地域の平和を感じられているそうです。さらに、将来はプロジェクトで増加した収入を持ち寄って、協同組合として収穫機や輸送トラック、小さなマーケットの建設にも挑戦したいと、夢を語ります。「JICAに見つけてもらって感謝しています」との言葉には、支援が日々の希望につながっている実感がにじんでいました。
同様にCDPBで実施した中小企業・起業家支援でも、人を起点とした変化が波及しています。紛争を経験し国内避難民として避難生活を送ってきた参加者からは、日本での研修後に飲食・ケータリング・宿泊等の事業拡大、JICAや国連開発計画(UNDP)事業での講師活動、さらには島嶼部の元戦闘員や家族への無償の技能訓練提供(プロボノ)へと活動を広げました。「関わる元戦闘員のマインドセットの変化がはっきり見える。JICA事業が和平プロセスに与える効果は大きい」との実感も共有されています。
CDPBはこうした「人が人を育てる循環」を後押しし、地域の自走力底上げに貢献しています。
幼い頃に紛争で避難を余儀なくされた イェドさんは、日本で行政・民間・学術機関の講義と現場視察を通じて官民学の取り組みや地域産業振興の実践を学ぶ研修に参加しました。イェドさんはこの経験を「避難した当時は想像もしなかった未来です」と語り、今は自ら無償で元戦闘員の家族を支援するなど、力強く歩み始めています。一方 ロニーさんは、住民本位で公正・効率的な行政運営、ケーススタディに基づく問題分析・解決、政策提言の作成、対話・討論やファシリテーションなど、現場で生きるスキルを体系的に身につけたことで「夢が叶った」と胸を張って語ります。「いつか、バンサモロから日本へ恩返しをしたい」と語る二人のストーリーは、こちらからお読みいただけます。
JICAの研修を通じての経験を語ったイェドさん(左)とロニーさん(右)
元戦闘員と家族の再出発を支える社会経済支援
ミンダナオの和平履行は「政治トラック」と「正常化トラック」から構成されますが、後者では戦闘員の除隊・社会経済支援・移行期正義などが中心となります。JICAは、「バンサモロ正常化支援(社会経済支援)( SEE Bangsamoro )」(フェーズ1:2022年~2025年、フェーズ2:2026年~実施中)を通じ、バンサモロ地域や元戦闘員とその家族・コミュニティのニーズに合致した職業訓練のカリキュラム策定を支援し、除隊後の生活が安定し、武器ではなく技能と経験を軸に新しい暮らしを築いていけるよう後押ししています。学校に通う機会が限られていた人々にとって、BARMMの実情に即した訓練は貴重な学びの場となり、修了後は収入が向上し生活が改善したとの声が多く寄せられています。「自分にもできる」という自信は、社会復帰に向けた重要な一歩です。
SEE Bangsamoroプロジェクトに参加する元戦闘員の家族の女性たち
職業訓練を通じて参加した女性たちは、家庭内にとどまっていた生活から一歩踏み出せるようになったと語ります。仲間とのつながりが支えになり、修了後も互いに励まし合いながら小さな事業を始めたり、副業で収入を増やしたりと、生活に前向きな変化が生まれています。「国際社会の支援を初めて実感できた」と話す元BIAFメンバーの言葉からは、長い紛争を生き抜いた方々の静かな感慨が伝わってきました。「将来は国内外で働きたい」など新しい夢を語り、さらに「協同組合づくりにも挑戦したい」と意欲を見せています。
行政の見える化と財政の足腰:信頼を支える確かな基盤
暮らしの回復と歩調を合わせ、行政の見える化と財政運営の安定も前へ進んでいます。前述のCitizen’s Charter整備により、住民は必要な手続や窓口を把握しやすくなり、「行政は自分たちのためにある」という感覚が少しずつ回復しています。
同時に、JICAはBARMMの公的財政管理(PFM)をめぐる能力強化も継続しています。BARMM財務予算管理省(MFBM)とJICAは予算編成・執行の改善や人材育成に取り組み、透明性・説明責任・資源配分の効率化を高めてきました。フィリピン政府の予算管理省(DBM)と連携したPFM研修の実施は、BARMM各省庁の実務能力の底上げに資するものです。こうした取り組みが、政治サイクルや人事異動があっても行政サービスを安定して提供できる体制づくりに結びついています。
自治政府の本格始動に向けて――能力強化を次のフェーズへ
JICAのBARMM支援は、和平の定着や拡大に向けて、母子保健・栄養など人間の安全保障の根幹にかかわる分野や、道路ネットワークの改善などインフラとサービス提供を繋ぐ分野でも、能力強化事業を拡大しています。また他ドナーとの連携により、直接支援を届けることが難しい島嶼部などにも、日本の知見や技術を届ける活動を展開しています。
行政の透明性、財政の健全性、コミュニティの参加、そして生活の安定――こうした要素がかみ合うほど、平和を運営する力は強くなります。自治政府設立を見据えて、これからのバンサモロの未来を担う行政官や医療従事者などのサービス提供者の能力強化を図り、人と制度を育てる協力を通じて、JICAはこれからもバンサモロのパートナーとして、地域の持続的な平和を支えていきます。