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【萱島信子シニア・リサーチ・アドバイザー インタビュー】高等教育の今をひもとき留学の意義を実証する

2024.09.13

開発途上国にとって、留学の経験はどんなインパクトをもたらすのか?それを明らかにする研究プロジェクトに取り組むJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)の萱島信子シニア・リサーチ・アドバイザーに、開発途上国の教育を取り巻く状況の変遷を踏まえ、アセアンの大学教員への大規模な調査研究から得られた発見について聞きました。

大きな時代の転換点から変化し続ける教育開発

―長年、JICAで開発途上国の教育開発に携わってこられましたが、教育という分野に関心を持ったきっかけを教えてください。

開発途上国の教育開発においてパラダイムシフトを起こしたとされるのが、1990年にタイで開催された「万人のための教育世界会議」です。この会議によって、基礎教育開発の重要性が世界で共有されるようになりました。さらに、それまで、教育はその国の根幹に関わるものであり、他国の援助が介入するべきではないという考え方が日本にはありましたが、この会議を契機として、日本においても教育は開発の基礎であり、開発援助において教育は重要だという考え方に変わっていきました。

私は、この会議に向けた議論が活発化する最中、1987年から2年間、パリ第5大学教育学部、そしてUNESCO 国際教育計画研究所で研修を受ける機会がありました。そこで出会った開発途上国の教育分野の行政官と、「教育こそ、人が生きていくためのベースになる」「開発において教育を外すことはできない」といった意見を交わしたことが、とても新鮮で興味深く、教育開発の道へと進むターニングポイントになりました。

―それから現在まで、開発途上国の教育開発の潮流は変化し続けています。現在、直面している課題とは?

大きく2点の課題があると考えます。まず1点目は、多様化です。全ての人に基礎教育を提供することを世界共通の目標とするという国際的コンセンサスが形成された「万人のための教育世界会議」の開催から30年以上がたちました。開発途上国の中でも、経済発展とともに初等教育や中等教育が広く普及し、高等教育の就学率も高くなった国もあれば、基礎教育開発がまだ必要とされている国や地域もあります。かつて開発途上国の教育開発が抱える課題は比較的類似していましたが、現在では、開発途上国の姿も一つでは語ることができず、課題の幅が広がって複雑化しているのです。

2点目は、教育のグローバル化です。大学といった高等教育の分野では、国際的な学術交流をしていかなければ、各国のトップ大学としての役割を果たせなくなってきています。また、日本の小中学校でも海外にルーツを持つ子どもが増えたり、大学院の学生の多くを留学生が占めるケースもあったりと、教育が国内で閉じた分野ではなくなっています。グローバル化にどのように対応していくかという課題は、日本も開発途上国も同じように直面しています。

開発途上国の大学教員の留学経験が与えた組織的なインパクトとは

―2018年から取り組んでいるJICA緒方研究所の研究プロジェクト「途上国における海外留学のインパクトに関する実証研究-アセアンの主要大学の教員の海外留学経験をもとに-」をなぜ立ち上げたのか、その経緯を教えてください。

グローバル化という大きな変化にあって、世界では留学生の数が拡大しています。2000年に200万人だった留学生数は、2020年には600万人と、20年間で3倍になりました。開発途上国の発展により高等教育に進む人口が増え、高等教育の国際化で留学を促進する仕組みが整備されたことなどが背景にあります。

日本も留学生の受け入れに長い歴史を持ちますが、留学のインパクトについては、留学生の個人レベルで自身の価値観や収入がどのように変化したかといった観点での研究はあったものの、留学生の出身国や所属する組織にとってどのようなインパクトがあったかという実証的な研究はほぼありませんでした。そのため、留学の組織的なインパクトを明らかにしようというのが、このプロジェクトの出発点です。

日本の大学で地域資源工学を学ぶ世界各国からの留学生たち(写真:JICA/久野真一)

―具体的にどのように研究を進めたのですか?

留学によって何を得て、自身の仕事にどういったインパクトを与えたのかなど、組織における留学のインパクトをきちんと実証するには、さまざまな経験を取り集めても比較分析が難しいため、同じ職業の人の中で比較することが必要です。そこで、留学者の多い大学教員に軸を定めることにしました。大学教員の仕事は、教育、研究、社会貢献、大学運営という4分野に分けられ、国や大学が違っても同じ枠組みを使って分析することができるからです。留学を経験した大学教員が、どこに留学し、どういう経験を持ち帰り、教員としての仕事にどう生かし、大学にとってどのようなインパクトがあったのか調査しました。

対象としたのは、高等教育の発展の度合いが異なるアセアン4ヵ国のマレーシア、インドネシア、ベトナム、カンボジアです。その国を代表するトップの大学1校と理工系大学のトップ1校の2校(カンボジアのみ大学の規模が小さいため4校)を選び、計10大学の全ての大学教員を調査対象にしました。大学でのカリキュラム作成、国際共同研究、コミュニティー開発プロジェクトへの参加、大学運営など30あまりの教員の活動を具体的に取り上げて、留学で得た知識や経験がそれらの活動にプラスの効果をもたらしたか、また、過去5年間に実際にそれらの活動を実施したかどうかを尋ねる質問紙を配布し、その回答を各国の研究者に協力してもらって収集しました。なお、比較グループとして、留学せずに国内の大学院で教育を受けた教員についても、国内の大学院教育のインパクトについて類似の質問を行いました。

開発途上国での留学が果たす新たな役割を見据えて

―調査結果の分析から得られたことを教えてください。

質問紙調査が本格化した頃に新型コロナウイルス感染症が拡大し、調査には時間を要しましたが、最終的には全教員の約25%に相当する3,300人からの回答を得ることができました。そのうち140人には各国の調査チームが対面でのインタビュー調査も実施しました。私自身はインドネシアでのインタビュー調査を2022年に行い、具体的な事例を実際に聞くことができました。これだけ大規模なデータですから、多くの発見がありました。

インドネシアの大学教員にインタビューする萱島シニア・リサーチ・アドバイザー(右)

質問紙調査の回答者のうち、3分の2は修士・博士課程での留学経験があり、残り3分の1は自国で修士・博士課程を修了していました。留学経験者と、留学せず国内で学んだ人を比較したところ、大学教員の教育研究活動の全般で、留学経験は大きなインパクトをもたらしていることが分かりました。中でも顕著だったのは、留学で培われた国際的なネットワークが大学自体の国際的な活動の基礎となっていたことです。留学先で指導してもらった教授とのつながりが共同研究につながったり、大学同士の交換留学制度に発展したりする例もありました。

また、インドネシアやベトナムは日本への留学が多い一方、マレーシアはイギリスへの留学が多い、日本の大学院教育は比較的研究中心であるため、帰国後も指導教員とのコミュニケーションがより密で、日本との共同研究につながる割合が高いなど、出身国や留学先国による違いも明らかになりました。アセアン域内での留学が増えていることや、マレーシアやインドネシアでは自国の高等教育が発展してきていることから、留学ではなく国内での学位取得者が増えていることなど、急速に変化しつつあるアセアンの留学の今の姿も浮かび上がってきたのです。

―このプロジェクトの研究成果として、2024年8月に書籍『Impacts of Study Abroad on Higher Education Development』が発刊されました。この書籍の活用を含め、今後の抱負を教えてください。

この研究プロジェクトを通して、大学教員の留学が、教員のレベルアップや大学の国際的な教育研究活動といった点で大きなインパクトを与えていることが明らかになりました。その一方で、国内の大学院教育の発展ももちろん重要です。留学が大学の教育研究活動にどのようなインパクトを与え、また、高等教育の発展とどのような関係があるかといった研究結果を、ぜひ各国における今後の留学政策や高等教育開発に活用してもらいたいと考えています。

そして現在は、この研究プロジェクトを補完する形で、インドネシアと日本を例にとり、教員の留学と学術協力の関係について研究を続けています。日本に留学した教員が、日本留学を起点として、その後の日本との研究協力、共同教育、学術交流などにどのように取り組んでいるのか、どういった促進要因や阻害要因があるのかなどについて、インドネシアと日本双方の大学教員にインタビューをしているところです。教員の留学経験は、その後の教員の国際的な活動の出発点になることがこれまでの研究から明らかになったので、新たな研究ではその具体的なプロセスや条件を明らかにしたいと考えています。インドネシアだけでなく、日本の大学教育や学術研究の発展に向けても、さまざまな示唆が得られるのではと思います。

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