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【田中智章JICA職員インタビュー】開発の現場と研究を行き来して研究成果を政策に生かす

2025.05.30

JICA職員として開発途上国の現場で持った問題意識は、貴重な研究の材料になる―。学生時代に経済学を学んだバックグラウンドを生かし、モンゴルでの年金加入への障壁についてなど、さまざまな研究を進める田中智章職員に、開発の実務に携わりながら研究を続けることの意義、そしてその情熱について聞きました。

現場で知る課題が研究につながっていく

―JICA入構後、評価部をはじめ、モンゴル事務所、審査部などで実務を行いながら、なぜ研究にも携わるようになったのですか?

私は大学・大学院で経済学を学び、特に財政や社会保障といった公共政策や経済政策に関心がありました。専門性を高めたいと研究者の道に進む選択肢もあったのですが、学問を追求するよりも、もっと現場の近くで、人々の生活に直接影響を与える仕事がしたいという想いから、JICAに入構しました。

ただ、自分の専門性を高めながら何かアウトプットをしたいという気持ちはずっと持ち続けていました。2014年にJICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)による研究プロポーザル事業*が始まったことを知り、実務に携わりながら研究にも挑戦しようと決めました。私は2015年にJICAモンゴル事務所に赴任したのですが、在外事務所への赴任は研究をするにも良いタイミングだったかもしれません。実際に現場を見て課題を知ることで、より知的好奇心が刺激され、現場と研究を両立する大きな原動力となったからです。

*研究プロポーザル事業
さまざまな開発課題に関する知見の創出やJICAスタッフの研究能力の向上を目的とした事業。採択されたプロポーザルの研究実施者はJICA緒方研究所に所属する研究員や外部研究者などから助言を得つつ、業務の一環として研究と論文の執筆を行う。

―どのように研究のテーマを決めたのですか?

JICAモンゴル事務所では、社会保障分野の担当として、年金行政の改善に向けた「社会保険実施能力強化プロジェクト 」に携わっていました。同国の年金制度では、遊牧民や農家など、インフォーマルセクターで働いている人は任意での加入ですが、モンゴル政府としては加入の促進を目指しています。モンゴルの行政官や専門家と共に聞き取り調査をしてみると、遊牧民の人でも年金制度に入りたいという想いはあるものの、「収入が季節によって違うから、毎月安定して保険料を支払うのは難しい」「町から離れたところに住んでいるから、保険料を支払いに行くのが大変」といった生の声を多く聞きました。

地方を訪れるときは未舗装のガタガタ道を車で行くわけですが、何時間も揺られながら、ふと、こうした課題にプロジェクトでどう解決していくかはもちろん、それと同時に、研究でも何かできないだろうか?と思ったのです。人々が年金制度への参加をためらうのは、金銭的な理由だけではなく、ほかにも理由があるのではないか?政府への信頼の欠如も、年金加入の障壁になっているのではないか?といったさまざまな仮説が浮かびました。モンゴルは1990年代に社会主義から資本主義への大転換を図ったため、人々は混乱を経験していますし、年金は長期の投資になるので、政府への信頼がネックになっているのではないかと考えたのです。

写真:現地調査の様子

モンゴルの遊牧民の人々に聞き取り調査

写真:モンゴルの遊牧生活

移動しながらゲルで暮らすモンゴルの遊牧民

モンゴルでの研究から見えてきたものとは

―研究をどのように進めたのか、そしてどんな研究成果があったのか教えてください。

モンゴルでの遊牧民への聞き取りから研究のアイデアを得た後、論文を調べてみると、先進国はまだしも、開発途上国での年金加入に関する実証研究はあまりないことが分かりました。これはよい研究テーマになると思い、実験経済学の手法を用いて、モンゴルの遊牧民にとって年金加入には何が障壁になっているのか分析するという研究テーマを設定しました。JICA緒方研究所の研究プロポーザル事業に応募し、本研究の実施が決まりました。

研究の開始にあたっては、大学院時代の恩師でもあるJICA緒方研究所の澤田康幸 客員研究員(東京大学)、大学院時代の同級生でもある京都大学准教授の山﨑潤一氏(論文執筆時は神戸大学)、当時東京大学経済学部澤田ゼミ生で、後に大学院へ進学されたモンゴル出身のドブチンスレン・ハリオン氏(CRD協会、モンゴル国立大学)に協力を依頼し、研究チームを立ち上げました。研究チームのメンバーとは、研究仮説の深掘りや研究の進め方、データの分析手法などを議論し、準備を進めました。

そして、いよいよモンゴルでの調査を行いました。モンゴル側の省庁やプロジェクト専門家、JICAモンゴル事務所のナショナルスタッフの協力も得て、モンゴル全土の約3分の1にあたる村で、年金に関する説明資料を住民に配布し、質問紙による調査を実施しました。年金に関する資料にどのような説明があると保険料支払いの促進に効果があるのかを調べるため、4種類の異なる年金資料をランダムに配布することにしました。一つは、「年金制度の概要のみ」の資料、残りの3つは、概要に加え、それぞれ「障害・遺族年金の説明」、「JICAの年金行政改善に向けたプロジェクトの紹介」、「携帯電話による保険料の支払い方法の説明」を加えました。

ただし、日本の約4倍の面積を誇るモンゴルですから、自分で対象の村全てに調査に行くのは不可能です。そこで、行政サービスを担う村長の方々の協力を得て、彼らに代わりに調査を行ってもらうことにしました。対象は690村。はたして無事、質問紙を回収できるのか、村人たちがきちんと回答を書いてくれるのか…。調査の手順書や解説動画をつくったり、できる限りの工夫はしたものの、実はとても不安でした。回答率が低いかもしれないと思っていたところ、なんと最終的には616村から回答を得ることができ、とても驚きました。回答用紙が詰まった段ボールがどんどん届いた時は、ほっとしたのを覚えています。中には、泥にまみれた回答用紙もあって、一生懸命書いてくれたことが伝わりうれしくなりました。

写真:発送前の調査資料

690村に発送した調査資料

写真:タウンミーティングの様子

調査について説明が行われたタウンミーティング

この回答を分析した結果、「JICAの年金行政改善に向けたプロジェクトの紹介」や「携帯電話による保険料の支払い方法の説明」の資料を提供すると、人々の保険料支払いが促進されることが分かりました。つまり、年金加入の障壁となっているのが、一つは年金への信頼であり、もう一つは保険料の支払い方法だということが分かったのです。JICAの年金行政改善に向けた「社会保険実施能力強化プロジェクト」では、年金への信頼を高めることを目標に掲げていたので、この研究によるエビデンスによってプロジェクトの意義が実証できた形になりました。

実務と研究を行き来するからこそ得られるものがある

―このモンゴルでの研究成果をまとめた論文「Barriers to Saving for Retirement: Evidence from a Public Pension Program in Mongolia 」が、経済学分野で最も歴史と権威があるものの一つとして知られている学術誌「Journal of Political Economy」の名を冠した新たな学術誌「Journal of Political Economy Microeconomics」に掲載されました。この成果をどのように生かし、実務と研究を両立させていきたいですか?

多くの時間を費やして進めてきた研究が国際的に知られているジャーナルに掲載されて、身が引き締まる思いです。研究チームのメンバーとは、分析データについて細かい点まで協議したり、論文の執筆やデータの分析にもアドバイスをもらったりと、自分にとっても多くの学びがありました。またモンゴル側カウンターパートや、プロジェクト専門家、JICAモンゴル事務所スタッフをはじめ、多くの方々に協力していただき、心から感謝しています。この論文を読んだ経済学の研究者が、開発途上国の年金問題に関心を持ち、新たに研究を始める人が現れることを期待しています。

モンゴルでの調査を行ったのは2017年、分析をしたのが2018年、そして論文が学術誌に掲載されたのは2025年と、どうしても研究の世界では時間がかかってしまいます。そのため、刻々と状況が変化する現場のスピード感についていけるよう、データを分析した結果は暫定的としながらも、モンゴル政府に共有してきました。現在では、モンゴル政府は社会保険の記録を見られるアプリをすでに開発し、保険料を支払いやすくするサービスを開始しています。こうした動きに、私たちの研究も貢献できたのではないかと考えています。

また、遊牧民の年金加入が進まないのは信頼がネックになっているということは直感的に分かってはいましたが、研究を通してエビデンスを提示することによって、年金制度への参加を促進する具体的な政策につなげていくことができると思います。実際、先日も年金分野を専門とする世界銀行のエコノミストから、本論文に関する照会がありました。現場で実務を行いながら研究を行う意義は、このように政策に研究成果を反映できるところだと感じています。

―これから取り組んでいく研究など、今後の展望を教えてください。

引き続き、モンゴルにおける年金に関する制度変更の効果を分析する研究を行っていきます。また、年金に加入することで人々の行動がどう変わるのかも分析できたらと思っています。そして、研究はモンゴルからスタートしましたが、世界全体で高齢化が進む中、2050年には65歳以上の高齢者の人数が2019年からおよそ倍になると予測されており、年金制度が持続的かどうかは大きな課題になっています。そこで、開発途上国全体を対象にした年金に関する研究も世界銀行のエコノミストと一緒に進めているところです。

実務と研究活動を行き来できるのは、開発の現場を持っているJICAの大きな強みであり、そして自分にとっては、何より楽しく、面白さにあふれています。現場を知っているからこそ、研究の材料を見つけることができるからです。これからも、現場からの視点を大事にしながら、政策につなげ、そしてそれを現場に還元できる研究を続けていきたいと考えています。

■プロフィール
田中智章(たなか ともあき)
2011年にJICA入構。評価部、産業開発・公共政策部、モンゴル事務所、財務部、JICA緒方研究所、英国留学を経て、現在は審査部で世界各国のマクロ経済分析に携わる。ロンドン大学クイーンメアリー校博士課程(経済学)在籍。開発経済学会第4回速水賞受賞。

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