阿部 善江さん「ブラジルの活動報告」

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職種
日系日本語学校教師
派遣国
ブラジル
派遣期間
2016年6月〜2018年6月(28年度0次隊派遣)
出身
愛媛県

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生徒達と一緒に

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初級授業で色の表現を勉強中

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派遣先であるモジ・ダス・クルーゼス市の一大イベント「秋祭り」での一枚(七夕と習字のコーナーで働きました)

みなさん、こんにちは。日系社会青年ボランティアとしてブラジルに派遣されている阿部善江と申します。私は現在、ブラジルのサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼスという人口が40万程度の市に住んでいます。通称「モジ」と呼ばれるこの市は、日系人が多い所として知られています。町を歩けば必ずと言っていいほど日系人に出会い、日本人の私でも日系ブラジル人だと思われて、ポルトガル語で話しかけられることもしばしばです。また、大抵どのスーパーにも日本食が置いてあったり、町の通りには日本人の名前がついていたりと日系人の功績と日本を身近に感じることができる場所でもあります。

さて、私の配属先は、市内中心部からバスでさらに50分程度の市内外れのイタペチ植民地という農村地域になります。以前は柿の栽培で有名な場所でしたが、現在は蘭などの花卉栽培が盛んで、1948年の入植から来年で70年を迎えます。イタペチ日本語学校はその植民地の中にあり、今も日系家族が数多く住む中、一世の高齢化や若者の減少から日本語学校においても生徒数は減少傾向にあります。現在の生徒数は16名で、6歳〜17歳までの日系三世〜四世の生徒が週に1〜3回日本語を学んでいます。教師は、日系二世でカウンターパートである現地教師一名とJICAボランティアとして派遣されている私の二名体制で通常授業を行っています。カウンターパート(国際協力の場において現地で受け入れを担当する人)が読み書き、私が会話をメインに指導しています。そして、週に一回は日系一世の習字担当教師が習字と硬筆を子どもたちに指導しています。ちなみにブラジル学校は日本の学校のように朝から夕方まで全員が同じ時間に勉強をするといったスタイルではなく、午前と午後の二部構成になっています。そのため、午前にブラジル学校へ行く生徒は、午後に日本語学校へ、午後にブラジル学校へ行く生徒は午前中に日本語学校へ来ます。そして、肝心な日系子弟である子どもたちの日本語レベルは、初級〜初中級程度になります。「モジ」は日系人が多いこともあり、日本語が比較的上手な子どもが多いですが、子どもたちの中には祖父母と会話をするために家庭内で日本語を多少なりとも使用する家庭もあれば、特に若い世代の家庭では、日本語よりもポルトガル語の使用頻度が高い上に、その生活様式もブラジルの要素が強くなってきていることから、日本の生活習慣や文化、マナーを知らない子どもたちも増えています。最近では、日本語能力試験等で、日本特有の文化や生活様式に関する問題が出た場合に回答できないといった問題も出ています。その結果、学校では日本語に加えて文化面の指導も強化する必要性があると感じています。

子どもたちに日本語を教え始めて数か月が過ぎましたが、ここはブラジル、日系社会です。日本で外国人に教える外国語としての日本語が日本語教師のイメージとして定着していた私にとって、ブラジルの日本語学校は全く違う世界でした。今回は特に違うと感じた点を3つご紹介します。
まずは、成人ではなく年少者に教えるということです。成人とは違い、年少者は集中力が続かなかったり、勝手に席を立って動き回ったりします。初めはなかなか子どもたちをコントロールできず困り果てていました。今でも苦労することはありますが、教具やアクティビティを増やすことにより、少しは集中してくれるようになりました。
2つ目は、授業は単式授業ではなく複式授業であるということです。ブラジル学校独特の通学事情から日本語学校はなかなか単式授業が行えず、どうしても個別指導の複式授業になります。また、年齢や日本語レベルの違いからさらにクラスが細分化されるため、グループワークがしづらいなどの課題もあります。
3つ目は、子どもたちにとって日本語は外国語であると同時に継承語であるということです。世代が進み、母国語がポルトガル語である子どもたちにとっては、日本語は外国語の要素が強くなっていますが、日系社会には「コロニア語」と呼ばれるポルトガル語と日本語が混ざった言葉が存在します。例えば、コロニア語だと以下のような会話が成立します。
「このCebola(玉ねぎ)casca(皮)がseca(乾燥)してるけど大丈夫かな。」
「Acho que(〜と思う)大丈夫。」
日系社会では、このコロニア語に加えて、継承語としての日本語には方言が継承されてきた言葉も数多くあります。特にイタペチのような植民地で育ってきた子どもたちは、普段から継承語としての日本語やコロニア語を耳にする機会があるため、授業でも既習外の言葉でも分かることが多々あり、語彙コントロールをあまりしなくても理解してもらうことができます。しかしながら、文法を考えず自然と耳で覚えてきた日本語であるため、あまり文法の仕組みを理解していなかったり、方言を標準語だと思っていることがあるため、指導する際に注意が必要になります。以上の3点が特に私が日系社会ならではと感じた違いになります。

最後にブラジルは推定190万とも言われる世界最大の日系社会を持つ国です。私がこの国に来て感じることは、地球の反対側にこれほどまでに日本を思ってくれる人々がたくさんいるということです。イタペチ植民地でも元旦の拝賀式はブラジル国歌と日本国歌斉唱から始まります。そして、お正月にはお雑煮を食べ、皆で新年を祝います。さらには、ひな祭りや母の日などの年中行事も行い、次の世代を担う子どもたちに日本の文化を伝え残そうと努力しています。先日、学校で「こどもの日」のイベントがありました。皆で背比べをし、植民地のご婦人方持ち寄りの料理と手作りのちまきや柏餅で子どもたちの成長を祝いました。今のこの時代、日本でもなかなか手作りのちまきや柏餅を食べる機会がなかった私にとって、とても印象的な出来事でした。日本よりも日本らしい日本がブラジルにはある。そう感じさせてくれるこの国は、違う言語を話し、様々な人種がいるにもかかわらず、日本にいるかのような雰囲気も味わえる不思議な国です。愛媛のみなさん、ぜひブラジル日系社会に目を向けてみませんか?
(えひめJASL 6月号掲載)