青年海外協力隊(JOCV)研究セミナー第1回「協力隊の半世紀を振り返る」を開催

2013.09.26

JICAの青年海外協力隊(JOCV)事業は、日本政府の国際ボランティア事業として1965年に発足して以来、現在まで世界の88か国に3万8千人余りを派遣してきました。2015年には50周年という大きな節目の年を迎えるこの事業は、開発協力だけでなく、日本と開発途上国間の相互理解、さらに青年の育成と、多様な目的を持ち合わせています。このような特徴を持つ協力隊事業は実務だけでなく、学問の面からも関心が寄せられてきました。

こういった背景からJICA研究所では、研究プロジェクト「青年海外協力隊の学際的研究」を立ち上げ、政治学、人類学、経営学、そして社会学などの様々な学問から、JOCV事業の研究に取り組んでいます。今回、研究成果の発信や研究ネットワークを構築する目的で、JOCV研究セミナーを定期的に開催することになり、その第1回目を9月19日に研究所で開催しました。発表を行ったのは、青年海外協力協会(JOCA)会長の金子洋三氏と、プロジェクト研究責任者である岡部恭宜主任研究員です。

加藤宏JICA研究所所長は冒頭の挨拶で、「ODAは多面的な事業で、多様な動機、活動、そして多様なスキルを持ち合わせているという特徴があり、全体像をとらえるのは難しい一方で、ODA事業を多面的、長期的な視点から見る必要性がある」と述べました。

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加藤所長の挨拶

金子会長は、「協力隊の半世紀の歩み」というテーマで、協力隊事業の設立から現在に至る経緯を歴史的に論じました。まず青年海外協力隊事業は、一般に米国の平和部隊(Peace Corps)にならって、日本版平和部隊としてスタートしたという説があるが、実は1961年の米国における平和部隊の創設以前から、日本で民間の青年団体や大学関係者などの間で、後の協力隊の原型となる日本青年の派遣計画が活発に議論されていたことを指摘しました。ケネディ大統領による平和部隊の創設を契機に、自民党の若手政治家を中心に協力隊構想の実現に向けての気運が一気に高まり、1965年度に政府事業として予算化されたと説明しました。同年4月、OTCA(JICAの前身)の外局として協力隊事務局が設置され、初年度に約40名の隊員がアジア・アフリカの5か国に派遣されました。また金子会長は、元協力隊事務局長の経験を踏まえて、事業展開の歴史についても説明し、事業発足からJICA成立(1974年)までの基礎固めの時期、事業拡張期(1975年から1990年代)、そして2000年から現在に至る時期を概観しました。発表の最後には、これまで協力隊が目指してきたものとして、官製事業の枠組みの中で、いかに国民運動としてのダイナミズムを保ちながら事業を展開していくかを模索してきたこと、また、JOCAなどの外部支援者からの協力を事業推進の原動力にしてきたことを指摘しました。

岡部主任研究員は、協力隊が創設された歴史について、3つの問題を設定して発表を行いました。第一は、なぜ日本政府はJOCVを創設したのか、第二は、技術協力と青年育成などの多様な目的があげられたのはなぜか、第三は、これまで事業が持続的に発展できたのは何によるものか、などの問いです。発表では、創設の要因として、冷戦下の日米関係、農村や都市の青年問題、青年団体指導者や政治家のリーダーシップが指摘されたほか、目的の多様性は、青年団体、自民党、外務省の間の妥協の産物であったことが論じられました。さらに、事業が持続的に発展できたのは、協力隊が外務省とJICAのODA体制の中に位置づけられることで制度的補完性が機能したこと、また青年団体や政治家によるチェック機能が働いたからだと分析しました。最後に、今後の課題として、欧米諸国の事例との比較研究に取り組んでいきたいと述べました。

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金子会長(左)による発表、岡部主任研究員(右)

二名の発表の後、会場からは、現在の政治家のJOCVに対する関心や、初期の隊員の職種に関する質問があったほか、事業の持続的発展を支えたのは隊員OB/OGやその家族、JOCA、青年団体などの熱意や情熱があったからではないか、との考えも示されました。それらを受けて、セミナーの最後に金子会長は、今後の課題として、隊員の帰国後の就職問題や、協力隊員の募集方法を再考する必要性についても触れました。

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開催情報

開催日時:2013年9月19日(木)
開催場所:JICA市ヶ谷ビル

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